板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

エッセイ:「冷静にパニクラないで(5)」

2020-02-21 11:43:55 | エッセイ
エッセイ:「冷静にパニクラないで(5)」2020.02


世界は、中国が温床になった「新型コロナウイルス」の猛威にさらされ、予測がつかない状況になって来た。

ところで、約100年前に大流行した「スペインかぜ」という言葉は何方(どなた)もがご存知だろう。それがどんなものだったかを概略に拾ってみる。
その前に、感染元の中国(チャイナ)は現代科学・医学の恩恵を受けながら、未だに「国家の安定」という口実の下に、人民に対する情報管理・隠ぺい「聞かせず(伝えず)、見せず、言わせず」を徹底しているのだ。その結果「新型コロナウイルス」の恐怖を世界中にまき散らしてしまったのだ。

チャイナのやり方は、まさに「スペインかぜ」が猛威を振るった1918年当時の世界の状況の現代版と言っても過言ではないのである。
すなわち、当時は疾病に限らずあらゆるものの情報は少なく、また医学・衛生のレベルは低くインフルエンザの存在さえ知られておらず、さらに一般大衆は無知そのものであった。

テレビに出演の感染症専門医師のコメントで「武漢(他でも)の人たちは手を洗う習慣がない。トイレに行っても手も洗わない。公衆衛生の概念が欠如し非衛生的な生活習慣には驚く」と。

「スペインかぜ」の流行源は、1918年3月のアメリカ合衆国である。カンザス州の小都市「ハスケル」にある陸軍「キャンプ・ファンストン」がインフルエンザウイルスの温床となり、アメリカは内外にインフルエンザ禍を拡大させた。

第一次世界大戦(1914~1918年11月)のさ中に世界中に瞬(またた)く間に広がったが、軍事機密として情報が封印、コントロールされていた。しかしスペインは中立国であり、大戦とは無関係だったため国内で大流行した風邪を報道したところ「スペインかぜ」と言われるようになったのだと。
一説によると、この大流行により多くの死者が出て、徴兵できる成人男性が減ったため、世界大戦の終結が早まったともいわれている。 (戦死者:900万人~1500万人)

感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及び、当時の世界人口は18~20億人であると推定されているため、全人類の3割近くが「スペインかぜ」に感染したことになる。
これは、ダイアモンド・プリンセス号を地球と見なすと、乗船人員は約3700余名、感染者約700名で感染率約2割(2月20日現在)、まさに治療薬もなく逃げ場がない軟禁状態なのである。

「スペインかぜ」が大流行した当時、世界は情報のない時代で風評、流言で世界中がパニックに陥ったことは想像に難くない。
面白いことに、感染者が最も多かった高齢者は基本的にほとんどが生き残った一方で、青年層には大量の死者が出ている。これは1889年以前に生まれた人は「スペインかぜ」と似た型のウイルスの免疫を持っていたためらしい。

*日本でも当時の人口5,500万人に対し2300万人が感染し、35万人が死亡したとされている。
日本ではインフルエンザによる死亡者は年間に約3000名いる。このことを念頭に置いて、新型コロナウイルスの報道を判断したい。これに対して、これから感染が広がっていくだろうが、新型コロナウイルス感染者による死亡者数は現在3名である。

「スペインかぜ」がこれほどに拡大したのは、最初に医師・看護師などの多くの医療従事者が感染したために、医療体制が崩壊してしまったためだという。
この経緯を教訓とし、2009年新型インフルエンザの世界的流行の際には、インフルエンザワクチンを医療従事者に優先接種することとなったのだ。

チャイナは今空軍を使って軍の看護師などの医療従事者を武漢に大量に送り込んでいる。そして、「白衣の天使がわが身も顧みず人民を救うためにこの戦いのためにやってきた。必ずや戦いにかって凱旋する!」と。
これはチャイナが隠蔽、初動の遅れ、医療施設の不足などで、人民からの批判をかわすためのプロパガンダとも読めなくはない。

また人民のために1週間で武漢に病院を建築したとしているが、これは野戦病院に毛の生えた程度の病院であると。建物の基礎部分に流し込むコンクリートだって固まるまでには1週間以上かかるはずだ。道路に使うアスファルトで代替しているのであれば、半永久的な病院ではありえないのではないか。
さらに全病室に十分な救命用の設備も完備したとしているが、これもプロパガンダ用でごく一部分のみではないかと。

また、新型コロナウイルスに対する武漢の初動対応とその後の対策の報道を見て目を疑った。
昨年11月末には武漢の一医師(30歳代)が新型ウイルスの存在を唱えたところ当局に連行され、その後に医師は病気で死亡したと。この年齢の医師が病気により死亡するとは考えにくくおそらく当局から消されたのだろうと。

さらに武漢市の眼科医師が新型コロナウイルスをSNSに流したところ、デマを流した罪で当局より戒告処分。しかし、その後感染が拡大しことが公になるとその医師を英雄扱いされたのだと聞く。チャイナらしい、全くお笑いである。

感染が拡大する一方の最近になって、さすがに勇気あるジャーナリストや大学教師らが正しい実態の報道を求めるなど、党への批判が噴出し始めているようだ。

武漢などでは感染拡大を恐れて、戒厳令並みの厳しさで市民を閉じ込めている。それでも麻雀などをやる無知な市民が後を絶たない。これには取り当局も見せしめに麻雀台を叩き壊す。これには日本人の感覚では全く理解できない。人民は逆らうし、当局はこの横暴に“どっちもどっち”だ。

街を消毒している作業員に消毒液の噴霧を頭から浴びせられ、着ていた洋服が脱色してしまっていたのには驚いた。おそらく塩素系の消毒剤だろうが、ひどいことをするものだ。

マスクなしの老婆が歩いていると、それを見つけたマイク付きのドローンで警告し追いかけ回す様は、まさにチャイナ共産党が人民を羊や牛、豚などの家畜並みに見下しているからだろう。

其処へ行くと日本は平和主義だ。人権やプライバシーを最優先に物事は動いていく。一方、ウォール・ストリート・ジャーナルなど諸外国からはダイヤモンド・プリンセス号乗客の日本政府の扱いが相当の批判を浴びせられている。

しかし私は、“日本政府が武漢に特別機飛ばしたように、もっと早くに特別機で自国民を引き取りに来るべきではなかったのか”と言いたい。

“あと出しジャンケンなら、誰でも無責任な批判はできる”

エッセイ:「頑張れ・ハツ(心臓)(4)」2020・02

2020-02-17 11:11:59 | エッセイ
エッセイ:「頑張れ・ハツ(心臓)(4)」2020・02


先生に「これじゃ大変だったろうね」と言われて、私は「そうなんです」と窮状を必死で訴えた。
地元にある大学附属病院の循環器外来でN教授の診察を受けた時である。私のホルター心電図を見ながら説明してもらったが難しくてよく理解できない。
要するに不整脈であり徐脈と頻脈が混在し、さらに期外収縮(脈が飛ぶ)が被(かぶ)っているのだ。そのこと自体は毎日の症状だから自分でも理解はしている。

しかし睡眠中に心拍が20回位になり、また80回にもなっているらしく、夜中に息苦しくて目が覚めるのはそれなのだろうかと。
 このままポックリ逝けばこんな楽なことはない。心臓発作を死因に持つことは案外いいことかもしれないと(だがそこへ行くまでの日常生活はつらいが)。人より少し長生きをしても「ガン」などに罹(かか)って死を待つのもつらいな。

 私の窮状が伝わったのか、医師としての使命感かどうかはかわからないが、先生は即座に「カテーテルで検査をやってみてその後の対応を決めましょうね」と言った
そしてスケジュール表を見ながら2月は10日と12日なら可能だがどうしますかと問われたので、私は藁をも掴(つか)む思いで“善は急げ”と12日に同意した。
しかし私には腑に落ちないことがあった。上のアンダーラインの部分が理解できていないのだ。私も頻脈性の不整脈の治療(根治)にカテーテルアブレーション(電気的焼灼(しょうしゃく)術)が行われることは知っていた。
しかし知識のない私にはカテーテル検査は検査であって手術ではないという認識である。であれば、カテーテル検査の結果により改めてカテーテルアブレーションをやるのであろうかという疑問であった。

 入院すると担当医師より説明があり私が危惧していたことは当然のことながらクリアーになった。要は私が手術だと思っていたカレーテルアブレーションはカテーテル検査だったのである。
 分かりやすく言うと、心臓内に挿入した電極カテーテルによる電気刺激や薬剤の投与で頻拍を誘発させて、心臓の拍動を司る興奮の電気の流れ道である「刺激電動系」の異常興奮部位を特定、すなわち検査をして焼灼(焼く)するものなのである。

カテーテル室に行く前に若い看護師が申し訳ないが「おチンチンが邪魔になるそうですから前張りをさせてください」と言って昨日私がシャワー室で剃った陰部の竿を握ってさっさと前張りしてしまった。その後に「おしっこ、我慢大丈夫ですか」と言われたが、今さらやり直すのも面倒くさいので「尿道バルーンをやってくれるから大丈夫でしょう」と返事をした。
 
定刻通りの1時に手術台に上がった。大腿静脈と鎖骨下静脈の二か所の局所麻酔であるから最後までスタッフの会話が聞き取れた(顔を覆われた状態)。
作業の進行中に部屋の温度が低くて、尿意をもよおしてきたのだ。むろん尿道バルーンは装着していない。このままで手術台の上で漏らしてしまうだろう。どうしようか。
「おしっこがしたい」とそばにいた人に言うと尿瓶(しびん)を当ててくれたが体を動かしてはいけない仰向けの状態で尿を出せるものではない。

そうこうしているうちに、「はい、終わりましたよ」と声が掛かった。教授は「気分はどうですか。期外収縮の方はこれからの様子見だけど、頻脈の方は大丈夫ですよ」と。私はすでに手術台の上でアブレーションの効果を実感できていた。
「先生、今何時ですか」と尋ねると「2時半です」と。所要時間1時間半であった。
「先生おしっこがしたいんですが」というと「それはすみませんでしたね」と言って若い先生に尿道カテーテルを挿入させてくれたが急に尿は出ない。教授自ら私の下腹部を抑えて尿の出を催促させてくれた。
私は敬意と感謝を込めて「先生、午前中も手術されて、午後は私ですか。タフですね」と言うと、教授は「それが取りえみたいなものですよ」と言って部屋を出て行かれた。

翌日、検査のために私の車いすを押してくれた女性スタッフに「教授は怖そうな顔をしているけど、やさしい方ですね」と話しかけると、笑い顔で同意してくれた。
へたばってきた私のハツ(焼肉の心臓部、ハーツheartsの訛)あと何年働けるか、騙しだまし使って行こうか。

こんなに簡単な手術(検査)ならもっと早くにやっとけばよかった。そして医学の進歩を実感し、日本の健康保険制度に感謝した次第である。