板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

如月・川柳

2012-02-29 11:12:13 | 川柳(時事)




如月・川柳

1.神の手は天皇さえも広告塔
   (心臓外科の執刀名医)

2.鳩の糞助成ぐらいで拭き取れず
   (野田総理、沖縄訪問)

3.大騒ぎ原発止めて回る国
   (経産省、東電の言いなり)

4.戦地から必ず帰ると一兵卒
   (小沢一郎の無罪巻き返し)

5.インフレの一声欲しい物づくり
   (日銀1%インフレ策)

6.冷え込んだ景気が叫ぶ春よ来い
   (沈んだままでは)

7.支持率にメール覗きが保証され
   (大阪庶民の閉塞感怖し)

8.強いはずナデシコ化石蘇(よみがえ)り
   (3万年前のタネが)

9.インフラを断ち黄泉(よみ)へ送る非情国
   (生活保護届かず)

10.坊主刈り他人(ひと)に厳しい人もいた
   (川内選手 対 菅・前総理)

11.無職よく内定確保ロンドンへ
   (藤原ランナー)





エッセイ:「臭い(くさい)臭い(におい)ほど有用」

2012-02-18 12:00:35 | エッセイ



エッセイ「臭い(くさい) 臭い(におい)ほど有用」
 2012.02

高校時代に部活で剣道をやったことがある。剣道着や防具の“汗臭さ、カビ臭さ”の臭い(におい)にはさすがに閉口した。通風もない体育館の倉庫で保管してある「面」などは一度も洗ったことも、干したこともなく先輩から代々引き継がれたものであった。

最近、やたら“臭い(におい)”に関する話が多いような気がする。

「 中高年の体臭をポリフェノール配合の石鹸が原因から洗い流す。
40歳になって臭いが気になり始めたら! 」

などのCMや広告を見ると、加齢臭や口臭を抱え込んだ私など老人には何となく居心地が悪くなってくる。

日常生活の中で「加齢臭」「口臭」や「洗濯物の臭い」「トイレや靴の臭い」「ペットの臭い」などの人が嫌う様々な“臭い(におい)”を対象に消臭剤、芳香剤等のビジネスが広がっている。
その理由として、清潔への意識が高まり“臭い”を嫌がる人が増えたのは「多い人数で住んでいた昔と違って人間関係が希薄化し、自分や他人の“臭い”が気になるようになった」からだという。ある調査によると、他人の臭いが気になるは人は90%にも上り、同時に自分の“臭い”への「疑心暗鬼」が一層膨らむようである。

しかしこれはメーカーが市場調査をもとに製品開発を行った上でのことであろうが、私には話が逆のような気がしてならない。
すなわちメーカーが過当競争の中で打ち出した製品の差別化であろう。洗濯物のいやな“臭い”を「消臭、除菌」する洗剤からその効き目よりも“香り”の面を強調した商品が続々登場している。
洗濯用柔軟剤から始まり、台所洗剤、除湿剤、消臭芳香スプレー、他の日用品などにも広がる。香水ほど濃厚でなく、さり気ない“香り”がするのが特徴だ。生活の中の“臭い(におい)”を気にする人が増えた、と云うより“臭い”を意識させた上で、各社は新たな価値をつけて値段を高く設定して売れるメーカー側の狙いもあるようだ。これをメーカー主導で起こした「需要喚起」ですとは口が裂けても言えないのではないか。これぞまさにマーケティング戦略の本筋であろう。

人類は医学の概念すらなった時代から重い病気にかかれば祈祷、お祓(はら)い、占いなど今でいう迷信(?)に頼ってきた。また先人達の知恵で薬効のある種々の植物等に救いを求めて来たのである。
わが国でも、江戸時代まで庶民の大半は飢餓の一歩手前の栄養失調に近い状態で生活をしていたと思われる。したがって、食べられるものなら何でも食べざるを得なかっただろう。
しかし食べ物は腐敗しやすく、“臭い(におい)”と“味”でその安全域を確認する術(すべ)を持たなければ命を失う可能性だってあったのだ。そこで食べ物を安全に保存するために発酵と云う先人の素晴らしい知恵が生かされてきたのである。
したがって、細菌学や顕微鏡のない昔の人々は我々よりはるかに食べ物の“腐敗”ついての危機意識があり、その原点は現在の我々よりも優秀な 彼らの“臭覚”であり“味覚”であったはずである。

今日(こんにち)のようにコマーシャルリズムに乗って過度に味付けされた“美食”や“ファーストフード”が食事の主体となっていけば、“旬”のものや“素材”自体の本当の味を楽しむ大事な決め手である“臭覚”“味覚”の感覚はどうなって行くのだろうかと思う。ましてや画一的な“芳香剤”の中で心地よく生活していたら鼻が鈍感になっていき“何をか言わんや”と余計な危惧をするのである。

私の既エッセイ「寿命」でも取り上げたが、日本人の平均寿命は縄文時代(15歳、15歳時の平均余命16歳)、室町時代(24歳、15~19歳の平均余命16.8歳)、 江戸時代(30歳)、昭和30年(50歳)であり、現在では80歳を超えて世界一の長寿国になっている。

長寿を支えるには日々のバランスのよい食事や運動等で自らの健康は自らで守るしか方法はないのである。最近はどちらかと云うと洋食に押される傾向にあるが、日本食の中でも発酵食品が健康増進には有用であることが学問的にも裏付けられて注目を浴びている。
発酵食品の特徴は“臭い(におい)”である。その代表とも言えるのが“臭い”から敬遠される魚類の「くさや」である。私も三宅島特産の「鯵のくさや」を頂いて食べたことがあるが、本当においしく病みつきになるのではと思った。幸か不幸か地方都市では入手するのが困難でそれっきり「くさや」にはありつけないでいる。
日本はこれ以外にも味噌、醤油、酒、漬物、納豆、ヨーグルト、魚介類など様々な発酵食品に取り囲まれている。

サッカーW杯でベスト16入りしたサムライジャパン。あのスタミナを支えた食事が“納豆”であり、箱根駅伝の優勝常連校・駒沢大学の選手が毎日食べているのは“キムチ”だった。 発酵食品は、発酵前よりも栄養価が高くなり、酵素の働きで、その栄養が体に吸収されやいとされている。

腸内には100種類を超える100兆個以上の腸内細菌が生息しており、糞便の約半分が腸内細菌の死骸と云われている。他の種類の細菌とバランスを保ちながら一種の生態系を形成しているのだ。

ぬか漬けは乳酸菌ならではのプロバイオティクス効果(乳酸菌が生きたまま腸まで届けられ腸内細菌のバランスを改善し、体の防御機能を高めること)が期待できる。

また、大豆を発酵させる納豆菌は、腸内で有害な菌の発生を防いでくれる。納豆菌が作り出す酵素のナットウキナーゼは、血栓を溶かす作用があり、脳梗塞や心筋梗塞の予防に効果がある。また血圧の正常化を促す酵素も見つかっているのである。

さらに「酒粕」などは“カス”と廃棄処理されそうなネーミングであるが、アミノ酸、ビタミン等をたくさん含み、腸内細菌を正常の保つ最高の食品であることが判明している。
このような発酵食品でなくても“臭い(におい)”の強い野菜は抗酸化力が強くつとめて食べてほしい食品である。例えばニンニク、にら、ラッキョウ、ネギ、タマネギ、セリ、茗荷など。

多くの動物が自己を主張し、縄張りを誇示するために“臭い(におい)”を武器とする。また繁殖のためにオスがメスを探すにあたってもこの“臭い”が有効となる。
犬は1万2千年前(日本で言う縄文時代)~4万年前に人間に飼われるようになったが、今日でも縄張りを誇示するめのマーキングを本能的に続けているのである。
“臭い(におい)”を嫌う人から見れば、犬が電柱や塀のすみにマーキングの“立ちション”をしていくのは迷惑な行為としか映らないだろう。しかし犬は「人間の3千倍と云われる臭覚を有効に使って自己主張しているのに、人間は自分の臭いを消して自己主張する変な動物だ」と云うかもしれない。

お互いに清潔にしているにもかかわらず、自分の“臭い”を恐れ、他人の“臭い”を憎む。そんな風潮に疑問を感じるのである。



「謎かけ」クイズ(3)

2012-02-15 10:34:58 | 謎かけクイズ


「謎かけクイズ」(3)
 2012.02


1.節分の鬼    とかけて:   体操の内村耕平選手        ととく                                                  その心は:   *(どちらも) 鉄棒で威圧する


2.北方領土    とかけて:   松村和子のお岩木山(いわきやま)の歌の題名                   ととく
          その心は    *    「帰ってこーいよ」


3.老兵の手柄話  とかけて:   出世した人の元恋人の言い草    ととく                  
          その心は:   *    未練がましい                

4.ぶら下がり記者 とかけて:   妻の誕生日に飲んで帰る夫     ととく              
          その心は:   *    手ぶらでは帰れない 


6.サクラ前線   とかけて:   明治時代の屯田兵         ととく                             
          その心は:   *    北海道に渡る


7.風評      とかけて:   山本リンダの歌詞         ととく            
          その心は:   *   「噂を信じちゃいけないよ」


8.ボランティア  とかけて:   誉め上手な母親の子供       ととく               
          その心は:   *    何でも自発的にやる      


エッセイ:「日本よ、未来永劫、日(ひ)出国(いずるくに)であれ。アーメン!」

2012-02-07 13:49:12 | エッセイ



エッセイ:「日本よ、未来永劫、日(ひ)出国(いずるくに)であれ。アーメン!」
  2012

男たるもの、一生懸命やった自分の仕事の結果を上司や回りから「ずさん・杜撰」な仕事であるとの評価を受けるほどショックでみじめなことはない。「ずさん」という評価はサラリーマンならずとも信用を失うくらいの厳しい言葉である。普通は相手の仕事に不満があり問題があったとしてもこの言葉を口にはしないものである。

「ずさん・杜撰」は漢字で書くと意外に難しいが、その意味はきわめて簡単でハッキリしている。「手を抜いたところが多い、ものごとがいい加減で、誤りや手落ちが多いこと。また、その様。であり『ずさんな計画・管理』『ずさんな工事』」と云うように使われる。
しかしこれがひとたび企業、団体、役所などの組織が対象となる場合には「ずさんな計画・仕事」「ずさんな工事」と云うように消費者、国民、マスコミ等から批判の言葉として厳しく浴びせられるのだ。

日本の社会は概ね「ずさん」で成り立っているのではないかと思えるほど「ずさん」なことが多すぎる。
その最たるものが「年金記録漏れ問題」であろう。時の安部総理は慌てふためき秋までには解決して見せると豪語したがそれどころではなく退陣する羽目になった。
今でも思い出すのは社会保険庁の信じられないような「ずさん」な仕事ぶりである。すなわち5,000万件ある年金記録のうち、60歳以上の約2,880万件の記録について年金の支給もれの疑いがあるとされたのである。大方の人には、ああそういうこともあったね、懐かしい話だね、と忘れ去られようとしている。
支給もれもゆゆしき問題であるが、聞き取り調査、広報、郵送等に要した数百億円と言われる費用に対しだれが責任をとったのだろうか。

さらに卑近な例が福島第一原発事故である。東電、産経省・保安院、専門有識者などほとんどの関係者が“安全神話の物の気(もののけ)“に取りつかれた結果、あの高さの津波を想定しなかった、想定出来なかったのである。
経産省の組織下にある原子力安全保安院の役割は一体何だったのか。「ずさん」な仕事が改めて批難の的になったが、こんな結果になってもろくに反省するわけでも責任をとるわけでもないのである。

それに引き換え、3.11以降に地質学者(高知大、国大)等はわずかの予算と自前の機器と手弁当で調査を続けているらしい。その結果、高知県、徳島県、三重県などでは東日本地震を超える巨大地震(南海地震)による津波に襲われた痕跡が池の底の土砂(堆積物)で判明した。さらに根室、十勝でも同様に巨大地震の痕跡があるのが確認されたのである。
わずか一年足らずの研究者の地道な調査結果からこれだけのことが判明したのである。「後悔先に立たず」ではないが、巨大津波の可能性を考えて東電の体力から見れば大した設備投資でもない電源確保ぐらいしっかりやっていればこんなことにはならなかったのである。

そして日本の歴史上最大の汚点の一として刻まれ、その「象徴」になったのである。しかし東電などの当事者にはこの恥ずべき汚点の認識すらないのかもしれない。言い訳は「これほどの津波の想定は出来なかった」「悪いのは津波の方である」と。数十年かかると言われる放射能汚染による被害等に対して誰も責任はとれないだろう。

一方、我が国は地形学的にも河川氾濫による洪水が頻発する。200年に一度起こるかどうかの大洪水を想定して、スーパー堤防を400年の日時と12兆円(現時点)の費用をかけ約900キロ近くの堤防を補修して住民の命と財産を守ろうというのが国交省である。

考えようによっては、原発事故は絶対に起こらないと信じていた経産省(所轄)より少しはましな想定をしているのだから誉めてやりたいところだ。

しかし、「八ッ場ダム」建設でも50年たって未だに大もめしている状態である。この雲を掴むような壮大なスーパー堤防計画の真の狙いは一体何だろう。つい最近国交省はスーパー堤防整備率を5.8%(51キロ)と公表していたが、実際は1.1%(9キロ)に過ぎないことが会計検査院により指摘された。早い話がウソがばれたのである。

政府の事業仕訳で「無駄遣い」と批判された国交省が焦って実績を水増したのではないかとの見方である。国民から見れば既得権益を守ろうとする役人根性丸出しの「ずさんな」計画ではないかと思われるものである。

国の借金は膨大に膨れ上がり、消費税を5%上げても足りないと言っているのにスーパー堤防どころではないはずだと思うが。

日本は絶対につぶれない、破産はしないと言ってはばからない政治家、学者やノーテンキな御人(ごじん)がいるようだ。その時になって「想定外だった」などと云っても後の祭りである。
日本が最悪になったら世界の経済活動に与える影響度はギリシャの比ではなくなる。世界からの信用を失い、消費税の値上げどころの比ではない重い負債(つけ)を長く背負いこむことになるのである。

“この期に及んでも総論、建前論がまかり通るばかり。『日本よ、未来永劫にわたり日出る国であれ。アーメン!』”






エッセイ:[男はもっと泣きゃはったら]

2012-02-01 10:42:00 | エッセイ


エッセイ:「男はもっと泣きゃはったら」
2012.02

この頃は歳のせいか私は2~3歳の幼児の姿を見るとその可愛いい表情で無性に癒される。ましてや母親に抱かれたりベビーカーに乗った乳児と目が合うと思わず顔がゆるむ。さらには乳児に限らず幼児がぐずる泣き声を聞くとなぜかしらもっと泣けと云いたくなるのである。当事者である母親は子供の泣き声が回りに迷惑をかけないようにとそれどころではないだろうと思うが。

「涙は人間の最高の感情表現なのです。これは人間だけが持っているのです。厚生労働省の村木厚子さんは決して泣かず、屈せずに無実を主張し、人間としてもとても立派だったと思います。私は人間の自然な感情の発露と云うものを大切にしたいと考えます」と言ってはばからないのが新党大地代表・鈴木宗男氏である。

これに反して、元女子ソフトボール日本代表監督、宇津木妙子氏は人前で涙を流すことはなく(一人の時は泣くこともあるそうだ)、めそめそする男を見ると、「もっとしっかりやれよと云いたくなる」と。しかし、鈴木宗男氏が苦労をかけた家族のことを思って泣くのは理解できると。

一方、1974年来日したシタロジャー・パルバース氏(米)(日本に長く暮らし、宮沢賢治の英訳で知られる)は「今でも外国では、日本人は感情を表に出さないと思われています。私はサムライ精神とは正反対の日本文化のウエットさに取りつかれました。大好きな浪花節にも男泣きはよく出てくる。文学でも、太宰治、石川啄木、正岡子規も泣き虫です。
『男はつらいよ』の寅さんも毎回のように涙ぐむじゃないですか。日本人、特に庶民はよく泣く男が好きだったんです」と。
「一番印象深いのは『雨ニモマケズ』『ヒデリノトキハナミダヲナガシ』と云う言葉はすごい。自己犠牲の精神が賢治の涙には含まれている」
「海江田万里氏が国会で泣いたことで批判されたけど、外国でも公の場で鳴いた政治家はいっぱいいる。アメリカには、一度も涙を見せない政治家は心がないという空気さえある」
「江戸時代の日本の男はよく泣きました。本来日本では男でも泣くのが当然でした。明治になって、帝国主義が男から涙を奪った。その影響がまだ残っていますが、もう男が泣きたいときに泣いてもいいんじゃないですか」
「『男泣き』は、強さと弱さが組み合わさった日本の国民性象徴です。泣くには自分の弱いところを見せる勇気がいる。その勇気がなければ、男泣きが出来なければ、男じゃありません」とも言う。(朝日新聞「耕論」抜粋)

20数年前、私は交通事故で亡くした父親の告別式の喪主挨拶をしている最中に泣きじゃくってしまった。自分の意志とは違うところからこみ上げてくるので押さえようがなかったことを記憶している。父親の無念さを思ったのかもしれない。

今年1月に亡くなった谷垣禎一自民党総裁(66)の妻佳子さんの密葬で谷垣氏は「政治家の妻として頑張ってくれた」と涙で声を震わせたという。

ワールドカップ(南ア)でのPKをはずした駒野選手はあの後ずうっと泣き続けたという。それは外した悔し涙と云うよりは他のメンバーに迷惑をかけたこと、国民の期待に応えられなかったことへの責任感の涙だったと思われる。

男は自分のために泣いちゃいけない。男泣きは基本的には他者のために流す涙を言うはずだ。それも男の涙は、義理人情や正義感や、何らかの感動で流される涙であって欲しい、というは思い入れかもしれない。
これは日本ではごく一般的に言われてきた言葉ではあるが、今の時代では現実の生活からはずいぶんかけ離れてきているようにも感じる。社会的地位の向上で女性も強くなったし、共働きで最近では「イクメン(育児をする父親)」などと云う新語が飛び出してきた。
その極めつきが女性宇宙飛行士の山崎直子さんである。11年前に飛行士に選抜されずうっと訓練を受けて来たのだ。その間に結婚、出産したので育児など家事一切を夫がやらざるを得なくなった。夫が仕事・職場を放棄して妻の夢をかなえるためにである。
映画評論家の佐藤忠男さんは、「戦後間もなくは泣く男は多かった」と当時を振り返る。ただ、泣く男がいる一方で、涙をぐっと堪えるヒーロー像もあったようだ。黒沢明作品の三船敏郎が泣かない一方で、木下恵介作品の佐田啓二は泣く、といったようにすみ分けができていた。                    
 そのバランスが崩れたのは、東京オリンピック開催が決定し、それへ向けて東京圏の都市開発が進むなど、日本の経済力が急速に強まっていった1960年代を中心とする高度経済成長期であるという。
映画館やテレビから繰り返し流される「耐える男こそカッコいい!」に“洗脳”された多くの日本人は「男の涙」を蔑む(さげすむ:軽蔑する)精神風土の中で長く暮らすことになる。
たとえば、高倉健の演技に憧れた世の男性は、「背中で泣く」姿に日本男児の美学を見たのである。
一方、医学的な見地から、東邦大学の有田秀穂教授(生理学)の見解は「数分間の号泣は、ひと晩寝るよりも人をリラックスさせる」という。もしそうであるなら、ストレスが溜まりやすい現代、「涙でストレス解消」を人類の半分の男も活用しない手はないとも言える。
男が泣くことを軽視、あるいは敵視する人というのは、その反対にある喜びに対しても距離を置いているように思えるということである。泣くこともなければ、笑うこと、怒ることも、ある意味“淡泊”であるのかもしれない。
古来、日本人は男もよく泣いた、それが証拠に「涙」がつく多くの言葉(下記)があるのだ。これほど言葉を微妙に使い分けて涙を表現する民族が他にいるだろうか。歌舞伎をはじめとする日本の伝統文化の中で、また万葉集の和歌を始めとする文学の中で巧みに表現されてきたのである。
そろそろ「泣くことの男女同権」から「男はもっと泣きゃはったら」の時代になってもいいのではないか。そう考える人が出始めても良いのではと思うが。
(涙がつく言葉)
①涙雨、②涙顔、③涙片手に、④涙勝ち(泣くことが多い様)、涙川(川にたとえ)、⑤涙金(同情して与えるお金)、⑥涙ぐましい、⑦涙声、⑧涙する、⑨涙茸(建物の湿った所に生えるキノコ。発育中は水分を含み、涙のように水滴を出す)、
10涙強い(めったに涙を見せない)、11涙ながらに、12涙にくれる、13涙にむせぶ、14涙の雨(涙が激しく流れ落ちる)、15涙の糸、16涙の色(ひどい悲しみや怒りの時に流す)、17涙の底(流す涙が溜まって出来た淵の底)、18涙箸(嫌い箸の一つ、いやいや食べ物の汁を垂らしながら口に運ぶこと)、19涙袋(目の下の膨らんだ部分のこと)、20涙交じり、21涙目、23涙もろ(涙もろいさま)、13涙を絞る、14涙を呑む(くやしさ)、15涙を振る(私情を振り切る)、16涙液、17涙器(涙腺と涙道の総称)、18涙痕、19涙小管、20涙点、21涙堂(目の下のふくらみ)、22涙道(涙液を目から鼻へ導く道)、23涙嚢(涙道の一部)、24涙鼻管