板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

エッセイ「える日本語の奥深さ(26)」2016.11

2016-11-30 19:24:38 | エッセイ
エッセイ「える日本語の奥深さ(26)」2016.11


 大相撲福岡場所(11月場所)で横綱鶴竜が七場所ぶり三度目の優勝をした。他の二人の横綱に比較して成績に差があったことは事実である。本人もファンもそのコンプレックスを払拭できたのではないだろうか。彼を含めてモンゴル出身の力士の話す日本語は実にすばらしい。下手をするとネイティブである日本人以上かもしれない。彼らは読書家でよく勉強しているという。
 
 それに比べると、ひところ多かったハワイ出身の力士は明るく、ユーモアに溢れて大相撲の雰囲気を一変してくれた功績は大きかった。しかし彼らの話す日本語は、いかにもたどたどしいという感じがした。
 
 ところで、日本語は世界でも難しい言語の一つであると言われる。世界でおよそ300万人の外国人が日本語を学習しているという。彼らは難しい理由を以下のように上げている。

A.漢字が覚えられない
 一説によると5万語以上(「諸橋大漢和」漢字の正確な数は誰にも分からない)あるという。常用漢字2136字(音・訓)を日本人は中学生ぐらいまでに一生懸命に覚えるのであるから、外国人にとっては厄介であろう。”漢字は複雑な絵のようである”という。

B.直訳できない表現が多い
 「よろしくお願いします」、「恐れ入ります」、「お邪魔します」、「お疲れ様です」などは全て直訳しようとするとおかしな意味になってしまう。
 これらの言葉は日本の文化や習慣を反映しているもので、「日本語の教科書」でいくらその用法を勉強しても、実際にその場面を経験しないと使い方がいまいち理解できないようだ。

C.敬語が使えない
 日本人でも正しく使えないことが多く、敬語の概念がない外国人には難しい。

D.語尾のニュアンスがつかめない
 日本語は曖昧な言語で、重要視される言葉のニュアンスが掴み取れない。

E.和製外国語が厄介
 正しい意味(原語)と間違った使われ方が混在しているためわけが分からなくなるそうだ。

F.方がころころ変わる
 英語のように単純ではないから大変である。
数える言葉(助数詞)の奥深さについて今回のエッセイとした

G.助詞の使い方がイマイチ分からない
 経験をつまないと、どうしようもない部分がある。

というものである。

 人類が何十万年か前に最初に発した言葉として、「数」を表す言葉が重要であったと考えられる。難しい日本語の中でも日本人でも正確に知らないのが「」である。日本語には約500種類の「助数詞」があるそうだ。外国人の日本語の学習者が「卒倒するほどの多さだ」と。
 もちろん、現実の生活では使わないものが多数ある。例えば「仏像」とか「兜ひと」などである。

 さて、寿司の原型と言われる、魚を米飯に漬け込んで発行させた「なれ寿司」は,鮒や鮎などの魚を主として食すため「一匹、二匹」や「一尾、二尾」と数える。「かぶら寿司」や「大根寿司」などは、漬け込む樽を数えて「ひと樽」ということもある。
 「押し寿司」や「樽寿司」は、切り分ける前を「一本、二本」と数え、切り分けた寿司は「一個」または「一切れ」という。一本の寿司を何個かに切り分けるかを表す際、「五つ切り」や「七つ切り」のように言う。「海苔巻き」も同様の数え方である。
 「千まり寿司」や「茶巾寿司」、「いなり寿司」などは「一個」、「ちらし寿司」や「握り寿司」は箱に入っていれば「ひと折」、樽で供されれば「ひと樽」、パックなら「ひとパック」である。

私たちが慣れ親しんでいる寿司の数え方の「一貫」は、どういうルーツがあるのだろうか。
主要な新聞紙面ではもっぱら寿司を「一個、二個」で数えている。民放テレビ局では「一貫、二貫」と数えている。NHKだけはいずれの数え方も用いず「ひとつ、ふたつ」と数えている。なぜこのような不統一な数え方になってしまったのだろうか。

江戸時代、「にぎり寿司」が登場したのは、文化・文政期(1803~30頃)で、にぎり寿司は「一つ、二つ」と数えていたようだ。
 時代はずーッと下って、1990年前後のグルメブームに乗って一気に一人歩きを始めたのだ。高級な寿司を一般の人が口にする機会が増え、料理全般に使っていた数え方「カン」が、あたかも寿司専用のものであるかのようにテレビた雑誌に登場するようになった。
 「カン」は江戸時代の尺貫法に使われていた単位の字が当てられ、回転寿司屋の台頭も相まって見事に定着したものと考えられる。寿司を数える「貫」はバブルが生んだ助数詞なのである。 

 もちろん、今でも正当な江戸前の寿司は「一個」あるいは「ひとつ」と数える.特別感や高級感のある寿司について、助数詞でもそれらを演出しようとしたのは日本語の面白さである。
 漢字の音読みの妙で、ウニやイクラの載った「軍艦巻き」を「一艦、二艦」と「艦」の文を用いて表したり、「手巻き寿司」の「卷」の字も「かん」と読めるので回転寿司や宅配寿司などでしばしば「ネギトロ」のように記している。「カン」は「カン」でも貫・卷・艦と三種類もあるのだ。

 海外で日本食ブームが報じられているが、店で寿司をオーダーする際にどのような助数詞が使われるのであろうか。



エッセイ:「トランプ(25)」2016.11

2016-11-20 15:28:24 | エッセイ
エッセイ:「トランプ(25)」2016.11

今年もプロ野球ドラフト会議が開催された。目ぼしい選手を獲得したいどの球団もクジ運任せに悲喜こもごもだ。

 こうして獲得した選手も当たりハズレがあるのは当然ある。私見ながら、近年のハズレとしては、日本ハムの斉藤祐樹投手であろう。2006年夏の甲子園大会で早稲田実業高校のエース斉藤は、駒大苫小牧高校と対戦、田中将大投手との投手戦を制して早実を初の夏の甲子園大会優勝に導いた。

 斉藤は東京六大学でも早大のエースとして大活躍をする。別名ハンカチ王子と言われ、世の女性ファンの心を捉える。
 斉藤は、日本ハムにドラフト一位指名でその実力と人気を期待されて入団した。しかし、ケガと人気に押しつぶされてか、ファンの期待を裏切る不甲斐ない成績に、戦力外として忘れ去られようと----。

 ところで今年、世界を騒がせた選挙が二つあった。英国のEU離脱の国民投票(ブレグジット;british exitの造語)と、米国大統領選挙(トランプ・ショック)である。

 世界中の名だたるメディアと多くの人々が、英・米両国民の意志を読み間違えたのである。そんなことは有り得ないだろうという常識に翻弄されたのだ。
 英国にとってEU離脱は経済損失が大きいので、賢明な英国民が離脱を選択するはずがないと。また、米国の大統領選挙は共和党主流派からも批判が出るほど、暴言を繰り返すトランプ氏を国民が選択するはずがないと。

 すでに言い尽くされた話ではあるが、そもそもどうして英国に経済的損失のある「EU離脱」を国民が支持したのだろうか? 日本人の発想からは解せないのである。
 グローバル化に取り残され、格差による大多数の不満が、全体にとっては大損をする選択肢を選んだのだ。 

 同じ理屈は米国大統領選においても本質的な争点は同じである。イスラム教や移民の差別、世界貿易の縮小に繋がる通商制度(PPT)の見直し、半世紀に渡って築き上げてきた安全保障体制の見直し等を掲げているトランプ氏を選択したのである。

 グローバル化は、世界の富を大幅に押し上げた。世界全企業の時価総額は7倍の約7,000兆円にまで膨れる。時価総額の増えた分だけ企業は利益を生み、また株主の資産額も6千兆円以上増えたことになる。

 一方、グローバル化の罪は、「格差拡大」と「移民問題」をもたらした。現在、世界の1%の人が全世界の富の47%を持っているといわれる。残りの99%が半分ほど残った富を分け合う構図である。
 この不合理に対しては、投票で51%の人が「YES」と言えば、経済的打撃を与える結果も選択されるわけだ。
 戦争はいやだとするEU統合の理想主義にこれ以上付き合えないとする英国のブルーカラーの現実主義がEU離脱になったのだ。

 EU内の自由移動により、ポーランドなどの安い労働者がイギリスの労働者を追いやっている。
ポーランド人をメキシコ人に置き換えれば、アメリカでの不法・移民問題と同じである。
 そして異文化間の抗争がパリやフロリダで大規模テロを生む。フロリダの惨劇を受けてトランプは直ちにイスラム教徒の入国禁止と自らの主張の正当性を訴えた。
 グローバル化の産物である「人の自由な移動」が摩擦を産む毎に、トランプへの支持は増し、EU離脱を叫ぶ声が各国で増すことになる。現にドイツ、オランダ(EU離脱へ)、フランスなどでは反移民を掲げる政党が躍進しているのである。
 
 米国民の多くは、大統領選挙で候補者が発した公約が実現するとは思ってはない。候補者の単なるパフォーマンスであることを知った上でのことである、と識者の多くは言う。

 白人中産階級には、抱える失業問題や低所得に対する不満が鬱積している。彼らに溜まっていた本音を上手に掴み、これまでの候補者が吐けないような暴言で公約したトランプに拍手を送ったまで、隠れトランプもしかりと。

 ちなみにOECDデータでは日本は、世界の先進国のなかでも貧困率No.5にランクインされていることを大部分の日本人は認識していないのではないか。
 
 日本の貧困率は15.3%にものぼり、24ヵ国の平均である10.4%を大きく上回る。日本は世界でもアメリカに次ぐ世界第2位の格差社会の先進国ということがハッキリと示されているのだ。 「一億総中流」 とか言われて、貧富の差の少ない国であったのは遠い昔のことである。
 また、「日本の格差はひどくない」、「日本の貧困層はまだ幸せだ」 といった言論も全くの的外れであることを認識いただきたいのだ。
 日本の浮沈を握る出産率の低下は深刻だ。若者の正規雇用は夢のまた夢、その多くが結婚できない、出産できないという低所得の現実に起因するのだ。
 メディアは、日本の「格差社会」や「貧困率」を隠さず堂々と問題報道してもらいたいものである。そして早く国民に問いかけてもらいたい。どのメディアも金太郎アメみたいに中立、公正などと肩肘張った報道では日本国のためにはならないと思うのだが。


 最後に、ノーベル賞受賞者P.Rugmann氏のコメントを引用して閉じたい。

 選挙とは、権力をつかむ人を決めるためのものであって、真実を語る人を決めるものではない。
 トランプ氏の選挙運動は、かってないほど欺瞞に満ちていた。このウソは政治的な代償を払うことなく、確かに多数の有権者の共感をも呼んだ。だからと言って、ウソが真実に代わることはない。
 トランプ政権は米国と世界に多大な損害を与えることになる。トランプ氏の政策は、彼に投票した人々を救済することにはならないだろう。それどころか、支持者たちの暮らしは、かなり悪化すると思われる。(朝日新聞掲載:NYタイムズ、ノーベル経済学賞受賞:P.Krugmann)





エッセイ:「百合子と好朗のねじりあい(24)」2016.11

2016-11-02 12:41:31 | エッセイ
エッセイ:「百合子と好朗のねじりあい(24)」2016.11


 森好朗会長が仕切きる組織委員会が後先を考えずに決めたこと。関係者が喜ぶ行け行けどんどんで、予算もどんぶり勘定、誰が払うのだそのムダ金は? というのが小池都知事の本心だろう。
 森氏のような太っ腹風のタイプのリーダシップが日本では好まれ、政界では派閥のボスとして一目置かれてきた。それは予算を獲得する 腕力であり、儲かった関連ゼネコンなどからの集金力が巧みな実力者なのである。政界引退後でも森氏の力は厳然と続いているのだ。
 
 東京五輪のボート・カヌー、水泳、バレーボールの競技場で意見が割れている。組織委員会としては、ボート会場は都内の「海の森水上競技場」とIOCに了承されているものをいまさらなぜ変更せねばならぬのかと言うのである。
 
バッハIOC会長とコーツ副会長が来日した。IOCの内部では東京都と組織委員会が競技施設の選考ででもめていることに対して不快感を示していると伝えられる。真偽のほどは分からないが、リーク風に誰かが装っている可能性もある。
 小池都知事との会談ではバッハ氏はそんなことは御くびにも出さず、東京が大原則に則って準備を進めることに全面的な協力をするという。 
 さらに、オリンピック開催に多額の経費が掛からぬようバッハ会長は2020アジェンダを発表しているほどである。
 会談はあくまでも都側の意向や希望を尊重するが、都側に会場を決め打ちしないように釘を刺し今後四者会談で検討していくというもの。
 
 東京五輪の競技施設や運営コストが、当初見積もられていた額の3~4倍の3兆円を超えそうだというのである。小池都知事は”お豆腐屋さんじゃあるまいし”と皮肉交じりで言う。
 この金額はまじかよ! と、誰だってビックリする。談合でぼろ儲けを狙っている大成建設などの大手ゼネコンやそれらに肩入れする組織委員会や政治家の利権が絡み合っていることが週刊誌等で報じられている。それが事実とすれば眞に腹立たしい。
  
 ボート会場は「海の森水上公園」に決定し、当初予算の7倍の約500億円でいつの間にか着工しているとは驚いた。日本の土木工事の技術からすればそんなに慌てて着工しなくても十分間に合うはずのものだ。

 IOC水連の会長も来日し、都知事との会談では新設の会場が真のレガシーになると。これに呼応するかのように日本バスケ協会会長川渕三郎氏をはじめ、有名なアスリートまでが一斉に水泳会場などの新築の会場を声高に求め始めた。旧来の建物を改築した会場で何がレガシーだ、ということらしい。
 そりゃー、アスリートにしてみれば、立派な会場でやれれば志気が上がると言うことだろうが、そんな軽い志気ではまことに頼りない。これまでアスリートは、こういう問題には口を挟まず言葉を濁して来たように思う。いつの間にか自己主張をする世の中になってきた。
 
 った見方をすると、森組織委員会からの指示、あるいは組織委員会の主張を援護をするために仕組まれたパフォーマンスのようにも思える。
 そのことはボート会場の候補に長沼(宮城県)の話が出ると、すぐさま「東京から遠すぎる、IOCは韓国での開催も検討している」という記事が新聞で報道された。これは長沼に反対する森組織委員会長による揺さぶりのために流したガさネタであろうとも言われているからだ。それが証拠にこの話はそれっきり出てこないのである。

 さらに、すべての会談・会議はオープンにしたいとする小池都知事に対し、それを認めたバッハIOC側から四者会議はクローズドにという要望が出された。これなども有識者は、森組織委員会長側からの要請による可能性が高いと言う。クローズドにする必要性や理由は全くないものであると。会議後に議事録がオープンにされためにそんなにいい加減な決定はできないだろうと。

 ところで、東京誘致が決まった時点で一番喜んだのは誰だったのだろう。もちろん誘致に尽力した関係スタッフやアスリートと大多数の国民であろう。
 しかし最も喜んだのは、オリンピックがもたらす経済効果の恩恵にあずかる企業やそれを取り巻く政治家や役人らではなかろうか。
 特に経済政策で打つ手なしの状態にある安倍政権にとっては起死回生の一打ともいえる。総理が地球の真裏のブラジルへ土管を抜けてタイムスリップしたい気持ちはよく分かる。
ましてや、五輪という千載一遇のチャンスに自民党総裁の任期を延長してまでその恩恵に預かりたいとする気持ちもである。私はそのことを決して否定するものではない。

 いずれにしても、世界の先進諸国のなかで日本は、女性が冷遇されている国、男社会の国として恥ずべき国家に位地(世界100位以下)しているのである。
 しかも、世界から嘲笑されているにもかかわらず未だに男性は気づいていないのだから滑稽である。
 男性は、女性に比べていい加減なところ、無責任なところが多いようだ。結果に対して責任を取らない、取らせない、互いにいあうのである。
 その最たるものが、太平洋戦争の開戦の責任である。誰一人よして自ら責任をとった人はいない(?)。正に「赤信号、皆で渡れば怖くない」式の価値観である。真に責任を痛感して自害した近衛文麿侯(総理大臣3回、通算約4年)くらいだろう(私の偏見)。
 このことは、何も太平洋戦争に限った話ではない。最近の東電、東芝、三菱自動車など企業のトップの責任逃れ、取り方を見れば一目瞭然である。

 東京五輪における男社会の責任者の代表ともいえる森組織委員長と、開かれた都政の代表者であり女性を代表する小池都知事のねじりあいはまだまだ続く。もちろん私が応援するのは小池都知事であることは言うまでもない。