板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

6水無月・川柳 2012

2012-06-29 11:05:40 | 川柳(時事)


6水無月・川柳 2012

1.泥縄も出来ぬ国家に誰がした
尖閣で石原氏怒る

2.十手持ちカメラと懸賞頼りきり
    十手持ち:町方奉行、刑事

3.別人と誤診するような大臣病
評論家・森本防衛大臣

4.そろばんは弾いてなんぼうまい汁
三党合意

5.再発に主治医もお手上げ小沢病
    国政より政局

6.消費税泥鰌のいのちと引き換えに
    野田総理の殺し文句

7.豆鉄砲食っても感じぬ三代目
祖父鳩山一郎もあんぐり

8.妻よりもガールズ大事小兵なり
    家庭も党もハチャメチャ

9.命かけ身内も切れず野たれ死ぬ
    国民が見捨てる

10.ニガウリや今夏は格別腸(はらわた)に
節電・消費税法

11.意気込みや五輪の前の躁(そう)気分(きぶん)
    一時の除厭世気分



エッセイ:「健気な日本人」2012.06

2012-06-23 19:14:40 | エッセイ


エッセイ:「健気な日本人(17)」2012
板井省司 2012.06

妻が台所で生姜をスライスしながら声を出したので、「どうしたのだ」と聞くと、「生姜にスが通ってスカスカ」だという。「買ったスーパーにクレームをつけて来るよ」と言うと、「いいよ、仕方がない」と人ごとのように応える。大した金額でもないものに騒いでも馬鹿馬鹿しいということらしい。
 電話が掛かってきて妻の会話を横で聞いていると、相手は知らない者らしい。向こうのペースに乗って余計な応答している。私は、関係のない者の電話は、即座に切るように言っているが、一向に直らない。
私が取った電話の例は、訓練された若い女性からのものである。先方が名乗っている2~3秒の間に、瞬時に断る相手だと分かる。先方が要件をしゃべり始めると「ガン保険」の外交である。即座に私が「はい、興味がありませんので」と電話を切ろうとすると、さすがはプロだ。「お客さまは現在何かガン保険に入って---」と続ける。私は「興味がありません。すみません」と電話を切った。

この二つの例に出てくる、「仕方がない」と「すみません」という会話は、我々が日常無意識のうちに使っている。                    
「仕方がない」は、ここで自分が我慢をすればこれ以上の問題や面倒なことは起こらない。日本人の自己犠牲的な悲観性を表す表現とされている。欧米では「仕方がない」というメンタリティがないので、翻訳するのにぴったり当てはまる言葉がないそうだ。
日本語には、「長いものには巻かれろ」とか「朱に染まれば赤くなる」など、権力に逆らってもどうせやられてしまうのだからと、最初から争わないようにするのだ。

日本には絶対的な「神」が存在しないため、日本人にとっての価値は相対的な「対人関係」によって決まる。したがって状況に応じて「これはしょうがないな」と引き下がることになる。
日本人は理屈で議論することが基本的に出来ない。「押しが弱く」議論で勝っても負けても不快感が残る。場合によってはお互いの関係が修復出来なくなるかもしれないのだ。

こうした社会では声の大きい人、押しの強い人には逆らえない。「自民党をぶっ壊す」「郵政民営化、イエスかノーか」と大変な剣幕で選挙に圧勝した小泉純一郎、大阪知事から市長に鞍替え、維新の会を創設した「大阪都構想」の橋下徹、五輪の招致、尖閣諸島の買い取りで息巻く石原慎太郎などに正面切って反論出来る気骨な相手はそんなにいないと思う。
これらの人物に共通する特徴はと云えば、何と言っても回りとの衝突やケンカを恐れずに発言し突き進む剛腕ぶりであろう。独裁だ、ヒトラーだとマスコミに叩かれ、プライバシーを週刊誌で暴かれても平気どころか、それを餌にして益々勢いづくのである。


我々は「すみません」と云う言葉を、一体一日に何回ぐらい使っているだろうか。英語で言う「アイアム ・ソーリー」は、自分に非があり申し訳ないと謝るのである。ところが同様な意味の日本語の「すみません。申し訳ありません」は、会話の中で深い意味もなく、また謝ることが変な場合でも習慣になっているので、違和感を覚えなく使っている。
普段から言いたいことも言えず、謝っている日本人はビジネスの世界でも謝りまくる。
「お忙しいところ大変申し訳ありませんが」「お手数をおかけしてすみませんが」「恐縮に存じますが」など必ずと言っていいほど謝罪の言葉のオンパレードです。日本人同士だとこうした言葉を使わないと、逆に変わった人のように思われてしまうのだ。

一昨年、米国でトヨタ自動車はリコール問題が発生し、シェアを下げた。最終的には急加速問題は、運転者の操作ミスであり、車には欠陥はなかった。しかし、トヨタは真相がはっきりする前からリコールに対応し、何とも日本人らしい謝罪をしたのである。米政府からは「濡れ衣を着せて悪かった」との謝罪もなく、トヨタはその要求すらしなかった。アングロサクソンは謝るのは絶対に嫌というタイプなのである。


日本人は「仲間外れ」、要するに他人に嫌われることを極端に恐れ、争いを回避しようとする。欧米では他人と意見が違うのは当たり前で、まずそれぞれの意見をぶっつけ会うことが基本。そこからディベートで平衡状態を見つけ出そうとする。言い争いを避け、それとなく自分の意見をほのめかし、相手の意見を察知し何となく「ここら辺だろう」と云うところに落し所を見つけるのが日本人である。

外国の報道関係者は、昨年の東日本大震災の際に被災者の間でも略奪や混乱がない日本人の秩序ある行動に驚嘆し打電していた。日本人からすれば、至極当然の話で目先の利得のみを求めて行動するのははしたないのである。欧米のように個人主義、家族主義ではなく、集団主義、地域主義が強いのである。


人類がアフリカで誕生したのが約16万年前である。日本人はアフリカからユーラシア大陸を経て「ファー・イースト(極東)」の地に1万数千年前に移り住んだのである。と云うよりも、「押しが弱い」ゆえに土地を追われ、大陸から「押し出されて」しまった人々の末裔だそうだ。
そして、狭い国土に詰め込まれ押しの弱い人々は、その狭い土地を譲り合い、気を遣い合うことで共存するという、日本独自の社会システムを作り上げて来たのではないかと推理される。

そうだとすると、極東の隅っこで、地震、台風などの天災に耐えつつ、資源の少ない状況で頑張って整然とした秩序の社会を作り上げて来たのだと思うと、押しの弱い日本人がいっそう健気に見えてくるのではないか。(参考・引用:斉藤孝、「日本人は、なぜ世界一押しが弱いのか」)



エッセイ:「日・ロ 引き分け(16)」 2012.06

2012-06-12 16:49:35 | エッセイ


エッセイ:「日・ロ 引き分け(16)」 2012.06


 30余年前、大韓航空機が樺太南部海上でソ連軍迎撃戦闘機のミサイルにより撃墜された。理由は何であれ領空侵犯し警告を無視したら民間機でも撃墜されてもやむを得ない東西冷戦の激しい時代ではあった。このニュースに衝撃を受けたことを思い出す方も多いであろう。今日のロシアは、全てが闇の世界で恐ろしさを感じさせたソ連時代とは隔世の感がある。

 日本とロシアには第二次大戦後の平和条約がまだ締結されておらず、建前上では戦争状態は続いているのである。最大の障害となっているのが北方領土の問題である。
今年ロシアはメドベージェフ氏からプーチン氏に大統領がバトンタッチされた。


 柔道家、山下泰広氏は言う。両国が主張ばかりして譲らなければ、この問題は永久に未解決ということになる。柔道の大事な精神に「対戦相手を敬う」がある。交渉においても自己の主張から離れ、相手の立場を考えることが必要だ。

 これまで20回プーチン氏と会い、人柄や日本への好意を肌で感じている。氏は「日本とロシアの間には昔からの難しい問題が一つある。逆にこれ以外は何もない。別の問題を作ろうとも思わない。両国が知恵を絞って解決したら、障害は亡くなる。」と語った。

 2年前、首相府で会ったプーチン氏は、私の「日ロの信頼関係が深まることを期待している」という言葉に、身を乗り出して、「お互いにプラスになる形で経済交流をやりましょう」と言い切った。真摯な態度に、信用出来る人だと確信した。
 プーチン氏は交渉の場では表情を変えず、本心が読みにくいと聞く。柔道やKGBで養った観察眼は鋭く、当たり障りなく立ち回ろうとしても上手くいかないだろう。ロシア人は本音の言い合いを好み、ぶれない人を評価する。本気でかかることだ。日本の姿勢が問われる。

 日本へのロシア人の感情はとても良いのに、ロシアに対する日本人のそれは最悪である。シベリア抑留もあって無理がない面もあるが、そこにとどまるのは無意味だ。プーチン氏はシベリアや極東の経済発展のため、日本の進出を期待している。日本にも利益がある話だ。両国が互いを尊重し引き分けを受け入れることが、国益にかなうと考える。(朝日新聞部分抜粋) 


 柔道という繋がりとはいえ、山下氏がプーチン氏に20回も会っているとは驚きである。プーチン氏は柔道で尊敬する山下氏だからこそ特別な思いがあるのだろう。外交とは違って心を許すプーチン氏の本音が語られるのかもしれない。
 
 日本の政治家の中で、国際会議以外でロシアに行ってプーチン氏と話をした人が何人いるのだろうか。それを考えると山下氏の存在は中曽根元総理とレーガン元大統領の“ロン・ヤス”のように親しみを持った関係が構築されているように思う。“一芸に秀でるは---”の喩えである。
 

 ところで、ソ連崩壊後ロシア極東部では大量の不耕作地が生まれた。今そこでは中国人が大規模な大豆農場を経営しているそうだ。中国東北地方には1億人がひしめく。それに比べロシアでは7倍の面積にわずか630万人だ。
 日本でもハバロスク市郊外に1千ヘクタールの農場を開く計画が北海道銀行の主導で進められている。生産量と付加価値を高める北海道の耕作技術を見せるモデル農場を作るという。

 今年9月、ウラジオストックではAPEC首脳会談が開かれる。極東開発が緊急の課題であるロシアは、APECで各国に投資を呼び掛けるという。人もカネも技術も足りなく、自らの力では不可能だということだ。

 ロシアの資源の天然ガスや原油の主な輸出先であるヨーロッパは財政危機で今後の要増は期待できない。しかも、米国のシェールガス(頁岩(けつがん)に閉じ込められている非在来型天然型ガス)の採掘により、カタールが米国向けに増産したLNG(液化天然ガス)が欧州市場へ向かいロシアの天然ガスと競合するようになった。極東でもトルクメニスタンからパイプラインを稼働させた中国とは価格が折り合わず、また韓国への北朝鮮経由でのパイプラインも進展がない。



 昨年プーチン首相は野田総理に、シベリア・極東でのエネルギー開発に強い意欲を見せて来た。ロシアの相手先は中国、韓国から日本に変わりつつある。ロシア国家プロジェクト関係者は「日本企業に期待するのは技術だけではない。アジア太平洋で販路(資源や製品の)を持っていることが重要なのだ」という。
 
 それは日本が福島原発事故後、エネルギー政策の見直しを余儀なくされ、原発から化石燃料型に方向転換せざるを得なくなる。日本のLNGの輸入は11年度が前年比12%増、ロシアからは18%増だった。サハリンから日本まで3、4日で、ウラジオストックからは1日半、それが中東からだと20日かかるうえに、海賊のいるホルムズ海峡 マラッカ海峡を通過しなければならない。中東ではイランなどの国際情勢も黄な臭い状況にある。日本の原油輸入先は約80%が中東からであることを考えるとリスクが高すぎる。

 日本向けLNGの価格は米国の2~4倍、欧州より5割高い。したがって、日本向けに世界各地で新規LNG開発が立ちあがり、ロシアとの競合は熾烈になって来ている。エネルギーを安定確保したい日本、輸出先を増やしたいロシアの双方の国益に合致するところであろう。日本の商社関係者は、「LNGだけでなく、様々な可能性の中で何が両国の利益になるかを柔軟に探るべきだ」と話す。



 プーチン大統領が期待するのはロシア極東での日本による天然ガス、石油の協力事業の促進、一方日本側はエネルギーの安定確保である。それらがスムーズに進展するためには北方領土の問題解決が前提条件になるのである。

 北方領土交渉では、日ロ間に自国領土に大きな隔たりあり、両国の言い分がすれ違っているのである。領土交渉は当事国のナショナリズムに関する問題でもある。日本が力ずくで取り返せるものでもない。山下氏が言うように、両国が主張ばかりして譲らなければ永遠に未解決となる。
 
 日ロ領土交渉に前向きなプーチン氏が大統領にカムバックしてきた。そして極東開発に日本の協力を大いに期待している。極東に住むロシア人にとってもこれは魅力的ではなかろうか。日本はこのカードを使って、現実的な交渉を行ってほしいものである。


 柔道の勝敗は“一本”“技あり”“有効”“効果(IJF)”による。しかし、北方領土交渉は何が両国の利益になるのか、相手を敬い“引き分け”を受け入れ、まさに双方“WIN―WIN”の決着をはかることが望ましいと思うのだが。

                    了


(備考)

           柔道家プーチン大統領について


 11歳の頃より柔道とサンボをたしなみ、大学在学中にサンボの全ロシア大学選手権に優勝、1976年には柔道のレニングラード市大会でも優勝した。政治家には珍しい逞しい肉体や戦闘技術を保有していることから、インターネット上では一部でカルト的な人気を博しており、自国ロシアのメディアも2008年8月31日に「研究者らによる野生のトラの監視方法を視察するため国立公園を訪問していた際、カメラマンに向かって走ってきたトラにプーチンが麻酔銃を撃ってカメラマンを救出した」などと報じる[67]ほど、ことさら超人的なイメージが前面に打ち出されている。なお、プーチンの身長は168cmとの事[68]。

 柔道について「柔道は単なるスポーツではない。柔道は哲学だ」と語っている[69]。また、少年時代は喧嘩ばかりしている不良少年だったが、柔道と出会ってその生活態度が改まったと述懐している。大統領になってからも、大統領以前に書いた『Учимся дзюдо с Владимиром Путиным (プーチンと学ぶ柔道)』という本を出版しており、その中で嘉納治五郎、山下泰裕、姿三四郎を柔道家として尊敬していると記している[70]。得意技は払腰。


 2000年7月の九州・沖縄サミットでは沖縄県具志川市(現・うるま市)を訪問し、柔道の練習に飛び入り参加。掛かり稽古(お互いが交互に投げる練習形式)を行い、相手の中学生を投げたあとに、今度は同じ相手に投げられるというパフォーマンスを披露した。中学生は大統領相手にためらったが、プーチンに促されて投げたという。投げられるプーチンの姿は印象的で、その写真や映像は世界中に報道された。警備員やSPは稽古とはいえ大統領が投げさせるとは考えられなかったようで、非常に驚いたという[71]。
 
 2000年9月の来日時には、講道館で技の型を首相の森喜朗(当時)に演武した。またこの際に講道館より柔道六段の名誉段位贈呈を提示されたが「私は柔道家ですから、六段の帯がもつ重みをよく知っています。ロシアに帰って研鑽を積み、1日も早くこの帯が締められるよう励みたいと思います」と述べて丁重に辞退した。