朝、特に月曜の朝には、アッチはああでコッチはこうでとか、アレやってコレやってとか、なにがしらの「つもり」を持って家を出る。心の準備、と言い換えてもいい。一見、いいことのように思える。もちろん、やるべきことだと思うからそうしている。
だが、ときとしてこれがマイナスになることがある。現場の状態が想定したものと違っていたり、担当者の対応が想定どおりではなかったりしたとき、それはやって来る。
「ん?ハナシが違うやんか (--)」
「ん?ソレ聞いてないよワシ (・へ・)」
「ちゃうやろ、そのやり方 (*_*)」
などなど。
だが、ごくごく当たり前のことながら、プロジェクトに変更はつきものだ。変わらないプロジェクトはない、といってもいい。それへの対応は千差万別、正解も幾通りかある。数あるおのれの引き出しのなかの答えと他人の引き出しから出てきた答えを総合し、そのなかから取捨選択をして、問題を解き、その場そのときの正解を生み出すのがプロジェクトマネジメント、すなわちわたし(たち)の仕事である(だからこそオモシロイんですね、これが)。
少し冷静になって考えれば当たり前のそのことを、ときとして妨げるのが「想定」だ。「思い込み」と言い換えてもいい。「想定」をするのは悪いことではない。むしろ必要なことだとわたしは思っている。だが、その「想定」が「思い込み」にまでなってしまうと、ことは少し変わってくる。もっとたちが悪いのは「思い込み」の悪い方への進化形、「よかれの思い込み」だ。そして彼我の関係が上下の場合、すなわち上司と部下の場合、上司の「思い込み」は、得てして「よかれの思い込み」へと「進化」(退化だね、実際は)してしまう。
嗚呼。
と、ここでジレンマが生じてしまう。
「想定」は必要だ。しかし「思い込み」は不要だ。「よかれの思い込み」はもっと要らない。ではどうすれば良いのか。
答えは「想定を保留する」である。
デヴィッド・ボームの『ダイアローグ』(金井真弓訳、英治出版)から引用してみる。
想定は必ず発生する。自分を怒らせるような想定を誰かから聞いた場合、あなたの自然な反応は、腹を立てるか興奮するか、またはもっと違った反撃をすることだろう。しかし、そうした行動を保留状態にすると考えてみよう。あなたは自分でも知らなかった想定に気づくかもしれない。逆に想定を示されたからこそ、自分にそうしたものがあったとわかったのだ。他にも想定があれば、明らかにしてもかまわない。だが、どれも保留しておいてじっくりと観察し、どんな意味があるかを考えよう。(『ダイアローグ』、デヴィッド・ボーム、P.69~70)
ふむふむ、なるほどね。
なんてカッコつけてはみたが、じつを言うと、この「想定を保留する」に関しては、ボームさんを引いて何度かここで書いたことがある。だが、言うは易く行うは難しだ。わたしにとってその実践は、そんなに簡単なことではない。何よりスピードが優先される場合に、「想定を保留する」などと呑気にかまえていて問題が解決するのか、と思わぬでもない。しかし、「ちょっと待てよ」という心の持ちようは、緊急危急のときほど大切なものでもある。だから(わたしの場合)何度でも自分に問いかけてみなければならない。
「オマエは阿呆か」
「できもしないことを何度も言うな」
と、別のわたしが頭上45度から嘲笑う。たしかにそうだ。「バッカじゃなかろか」と思わないでもない。
しかし、いかに「できもしないこと」でも、何度も何度も唱えているうちにいつの間にか(少しは)「できる」例だって世の中にはゴマンとある。だから、たぶんこれからも折りに触れて書く。なんとなれば、良くも悪くも、それがわたしのスタイルだもの。
想定し、ちょっと待てよと保留する、それが上司の生きる道 (^o^)v
ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ | |
デヴィッド・ボーム著 金井真弓訳 |
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英治出版 |
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