俺って古いのかなあ

2012-10-22 18:09:36 | 塾あれこれ
ネットの斜め読みで視野の端の方に
「イジリ」と「イジメ」という文字が見えました。

イジリとイジメは違う、けれども一応注意しないといけない
などという程度の内容だったに違いありません。

「・・のでしょう」と不確実な推測に基づいて書くので
気が引けますが、(イジリとイジメ)という発想自体に
私はついていけないんですよね。

子供たちはイジリのつもりが相手にはイジメであった
とか
イジリがエスカレートしてイジメになったとか。

何だか「イジリ」は許せるが「イジメ」になると悪い
という風に思われているのでしょうか。
あるいは、そういう意味で言葉を使い分けているのでしょうか。


イジメについて「昔からあったことだ」と人間の社会的存在を
考えることも有効でしょう。

イジメに対して今の子は弱いのではないか、というアプローチも
ありえます。

もちろん、学校を初めとする現代社会の分析も有用でしょう。

それらを、子供自身の側から「イジリ」ということを持ちだして
イジメ論が棚上げになりかねないとも思われます。

遊びなんだ、悪意はなかったんだということが強調されるのですね。

しかし、(やる側)の意思がどうであれ(やられる側)が
どう感じるかがただ一つの真実です。
イジリのつもりの行為でも「いじめだ、耐えがたく思う」ならば
それはイジメなのです。
・・さすがに常識になっていると思います。

ですからイジリとイジメを区別すると言う話は嘘っぽいですね。

であるのに一定の場所で「イジリとイジメ」のように意識されてる
こと自体がイジメ問題の深刻さのひとつだと思われます。

きっと学校の先生がたが「イジメとは」と学習される折などに
持ちだされることでしょうが、私は不要な話だと考えます。

私も子供のころ他の子供たちと一緒に「や~い」などと囃し
それは遊びのつもりでもイジメだったかもしれません。

また、あとでじっくり考えて「いじめられてたか」もありました。

大人になっても引きこもり状態になったことも時々ありますが、
数日でまた出社していました。

多くの人間はイジメたりイジメられたり、その近所にいたり
しているハズですね。

大人になって教師職を選んだ人が、一人の人間としてキチンとした
意見がないほうがおかしいでしょう。
マニュアルがなきゃ、対処の仕方を教えてもらえなきゃ動けない
そんな人間が、人を教えられる??


子供たちに「死ぬな」と教えようという動きが教育界にも
あるようですね。

学校では取り組みが不十分になっているそうです。

TVから聞こえてきたその理由は
「マニュアルがない、教材がない・・・」

それがなければ生徒にモノを言えないなんて・・・教師?

自分が生きてきて、一人の人間として、後から来る子供に
「生きよ」とすら伝えられませんか?



私の尊敬する、小学校の時の担任、T先生は唐突に
「君ら、死んじゃいかん」

ときおりそう言われ、発育の遅い私などは「何、それ」と
ポカンとしていました。

けれども未だに覚えていますね。

T先生の人間的な声が伝わったのでしょう。

教師とは、人間とはかくあるべし、と思います。


上から目線の生意気でスミマセン。
他人様にはキツクいう性質でして。


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