ネットの斜め読みで視野の端の方に
「イジリ」と「イジメ」という文字が見えました。
イジリとイジメは違う、けれども一応注意しないといけない
などという程度の内容だったに違いありません。
「・・のでしょう」と不確実な推測に基づいて書くので
気が引けますが、(イジリとイジメ)という発想自体に
私はついていけないんですよね。
子供たちはイジリのつもりが相手にはイジメであった
とか
イジリがエスカレートしてイジメになったとか。
何だか「イジリ」は許せるが「イジメ」になると悪い
という風に思われているのでしょうか。
あるいは、そういう意味で言葉を使い分けているのでしょうか。
○
イジメについて「昔からあったことだ」と人間の社会的存在を
考えることも有効でしょう。
イジメに対して今の子は弱いのではないか、というアプローチも
ありえます。
もちろん、学校を初めとする現代社会の分析も有用でしょう。
それらを、子供自身の側から「イジリ」ということを持ちだして
イジメ論が棚上げになりかねないとも思われます。
遊びなんだ、悪意はなかったんだということが強調されるのですね。
しかし、(やる側)の意思がどうであれ(やられる側)が
どう感じるかがただ一つの真実です。
イジリのつもりの行為でも「いじめだ、耐えがたく思う」ならば
それはイジメなのです。
・・さすがに常識になっていると思います。
ですからイジリとイジメを区別すると言う話は嘘っぽいですね。
であるのに一定の場所で「イジリとイジメ」のように意識されてる
こと自体がイジメ問題の深刻さのひとつだと思われます。
きっと学校の先生がたが「イジメとは」と学習される折などに
持ちだされることでしょうが、私は不要な話だと考えます。
○
私も子供のころ他の子供たちと一緒に「や~い」などと囃し
それは遊びのつもりでもイジメだったかもしれません。
また、あとでじっくり考えて「いじめられてたか」もありました。
大人になっても引きこもり状態になったことも時々ありますが、
数日でまた出社していました。
多くの人間はイジメたりイジメられたり、その近所にいたり
しているハズですね。
大人になって教師職を選んだ人が、一人の人間としてキチンとした
意見がないほうがおかしいでしょう。
マニュアルがなきゃ、対処の仕方を教えてもらえなきゃ動けない
そんな人間が、人を教えられる??
◎
子供たちに「死ぬな」と教えようという動きが教育界にも
あるようですね。
学校では取り組みが不十分になっているそうです。
TVから聞こえてきたその理由は
「マニュアルがない、教材がない・・・」
それがなければ生徒にモノを言えないなんて・・・教師?
自分が生きてきて、一人の人間として、後から来る子供に
「生きよ」とすら伝えられませんか?
○
私の尊敬する、小学校の時の担任、T先生は唐突に
「君ら、死んじゃいかん」
ときおりそう言われ、発育の遅い私などは「何、それ」と
ポカンとしていました。
けれども未だに覚えていますね。
T先生の人間的な声が伝わったのでしょう。
教師とは、人間とはかくあるべし、と思います。
◎
上から目線の生意気でスミマセン。
他人様にはキツクいう性質でして。
「イジリ」と「イジメ」という文字が見えました。
イジリとイジメは違う、けれども一応注意しないといけない
などという程度の内容だったに違いありません。
「・・のでしょう」と不確実な推測に基づいて書くので
気が引けますが、(イジリとイジメ)という発想自体に
私はついていけないんですよね。
子供たちはイジリのつもりが相手にはイジメであった
とか
イジリがエスカレートしてイジメになったとか。
何だか「イジリ」は許せるが「イジメ」になると悪い
という風に思われているのでしょうか。
あるいは、そういう意味で言葉を使い分けているのでしょうか。
○
イジメについて「昔からあったことだ」と人間の社会的存在を
考えることも有効でしょう。
イジメに対して今の子は弱いのではないか、というアプローチも
ありえます。
もちろん、学校を初めとする現代社会の分析も有用でしょう。
それらを、子供自身の側から「イジリ」ということを持ちだして
イジメ論が棚上げになりかねないとも思われます。
遊びなんだ、悪意はなかったんだということが強調されるのですね。
しかし、(やる側)の意思がどうであれ(やられる側)が
どう感じるかがただ一つの真実です。
イジリのつもりの行為でも「いじめだ、耐えがたく思う」ならば
それはイジメなのです。
・・さすがに常識になっていると思います。
ですからイジリとイジメを区別すると言う話は嘘っぽいですね。
であるのに一定の場所で「イジリとイジメ」のように意識されてる
こと自体がイジメ問題の深刻さのひとつだと思われます。
きっと学校の先生がたが「イジメとは」と学習される折などに
持ちだされることでしょうが、私は不要な話だと考えます。
○
私も子供のころ他の子供たちと一緒に「や~い」などと囃し
それは遊びのつもりでもイジメだったかもしれません。
また、あとでじっくり考えて「いじめられてたか」もありました。
大人になっても引きこもり状態になったことも時々ありますが、
数日でまた出社していました。
多くの人間はイジメたりイジメられたり、その近所にいたり
しているハズですね。
大人になって教師職を選んだ人が、一人の人間としてキチンとした
意見がないほうがおかしいでしょう。
マニュアルがなきゃ、対処の仕方を教えてもらえなきゃ動けない
そんな人間が、人を教えられる??
◎
子供たちに「死ぬな」と教えようという動きが教育界にも
あるようですね。
学校では取り組みが不十分になっているそうです。
TVから聞こえてきたその理由は
「マニュアルがない、教材がない・・・」
それがなければ生徒にモノを言えないなんて・・・教師?
自分が生きてきて、一人の人間として、後から来る子供に
「生きよ」とすら伝えられませんか?
○
私の尊敬する、小学校の時の担任、T先生は唐突に
「君ら、死んじゃいかん」
ときおりそう言われ、発育の遅い私などは「何、それ」と
ポカンとしていました。
けれども未だに覚えていますね。
T先生の人間的な声が伝わったのでしょう。
教師とは、人間とはかくあるべし、と思います。
◎
上から目線の生意気でスミマセン。
他人様にはキツクいう性質でして。