goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶…向島清水町農地🔂…Alp📚🍱…> 240323‘

2024-03-23 21:37:00 | 🚶 歩く
☂️🚙↔︎🚉
☂️🚶…右岸堤防道&河川敷道…🌂隠元橋…左岸堤防道47km碑+…向島清水町農地🔂…左岸堤防道47.4km碑…隠元橋…右岸堤防道…Alp📚🍱🥮…右岸堤防道…>
🚶11781歩2kg+171歩

☂️のち☁️隠元橋8℃:微風で寒さマシ。
醍醐山系に山霞広く立ち幻想的光景,しばし見惚れる👀 防水上下不用でした。

📚名城5松本城,Capa4,地球の歩き方:ムーjapan,LivePocket:鉄道乗物,同:天気気象,仏教学者キリスト教徒の問いに答える。

夜)🚙〜伏見桃山Std〜丹波橋👗〜観月橋Std〜>   (衣装搬送)


🏠起床時🌡️一昨日:昨日:今日=7℃:6℃:10℃
朝)8:30頃;地震:震度2揺れる,震源美濃の方


醍醐山系に山霞広く立ち














 


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 中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」だ!しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている。 2024/03

2024-03-23 03:36:41 | 📗 この本

 中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」だ! しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている。
  24/03/24 現代ひ学術文庫&選書メチエ編集部


 日本のお葬式や法事で耳にする「お経」が、チンプンカンプンでまったく意味が分からないのはなぜだろうか? 
 「仏教」とは、本来そういうものなのだろうか――。日本人が知っているのは、「仏教」のほんの一部分にすぎないことを教えてくれるのが、講談社選書メチエの新刊『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』(ジャン=ノエル・ロベール著、今枝由郎訳)だ。

⚫︎「日本のアショーカ王」は誰か?
 本書によれば、中国・朝鮮やチベットはもちろん、東南アジアやヨーロッパでもまったく違う姿を見せることこそが、仏教の大きな特質だ。

〈仏教について何かを語るときには、それがどの時代の、どの国の、さらにはどの宗派のことなのかを限定する必要がある。(中略)仏教は多様性を含んだ宗教であり、ある事柄に関して〔仏教ではこうであると〕決定的に断言することが非常に難しい。〉(『仏教の歴史』p.27)

 そのなかで、「日本仏教」はどう位置づけられるのだろうか。日本の天台宗の研究で国際的に高く評価されるロベール氏は、日本仏教について多くのページを割いている。

 550年頃に百済から公式に日本に伝来した仏教は、聖徳太子(574-622年)の働きによって本格的な発展を始めた。

〈十七条憲法は仏教を国教として宣明したものと見なされるが、実際にはこの中には仏教的要素以上に儒教的要素が含まれている。しかしながら日本史においては、聖徳太子は仏教を保護した治世者として、日本のアショーカ王的存在として記憶されている。〉(同書p.110)

▶︎奈良、東大寺の盧舎那大仏と如意輪観音。photo/istock
 その後、奈良時代の東大寺・唐招提寺など「南都仏教」の発展、平安時代の天台宗・真言宗の誕生を経て、鎌倉時代には新たな動きが起こる。日本の教科書で「鎌倉新仏教」と呼ばれる浄土系宗派や禅宗の創始だ。

〈こうした潮流の全てに共通しているのは、膨大な大蔵経に説かれている極めて複雑な教義、実践、儀式の抜本的単純化である。実際のところ、大蔵経全体を読んだと自慢できるのはほんの一握りの僧だけである。民衆、貴族、武士に自らが実際に、そして有効的に仏教を実践しているという気持ちを抱かせたことが、こうした単純化された教えが、さまざまな階級に受け入れられ、普及した理由である。〉(同書p.115)

そして、江戸時代の一種の国教化、明治時代の〈中国の文化大革命にも匹敵する徹底的な排斥〉(同書p.116)すなわち「廃仏毀釈運動」が吹き荒れた後――

〈終戦と共に、神道はそれまでの地位から失墜したが、仏教が返り咲くことはなかった。ここで出現したのは、「新興宗教」と呼ばれるかなり独自な現象である。その中では、日蓮を祖と仰ぎ、『法華経』を崇拝する在家宗教が数多く見られる(創価学会、立正佼成会など)。
 しかし一層革新的な運動もあり、伝統を無視して、外国─―中には西洋もある─―の仏教を直接導入したりする、正直なところ軌を逸したと言えるものもある。こうした中で、もっとも過激な集団であるオウム真理教による1995年春の東京メトロでの襲撃事件は記憶に新しい。〉(『仏教の歴史』p.116)

⚫︎日本仏教が「偏食」になった理由
 一神教では、同じ宗教の信者間に連帯や友愛の感情が生じるが、仏教徒には「すべての仏教徒」を代表して語る人や、中心的組織が存在しない。ダライ・ラマでさえ、〈その宗教的権威は自らがその長である宗派の域を越えるものではない。〉(同書p.26)という。日本仏教ももちろん、御多分に洩れない状況にある。

〈仏教が最も深く浸透した極東の一つの国である日本の例を取ってみよう。仏教には数多くの宗派があり、全仏教界を統一しようとする試みはあるものの、近代社会が直面する大きな道徳的問題に対して、仏教を代表して一つの立場で見解を述べることができないし、その必要性すら感じていないのが現実である。〉(同書p.26)

 そうした日本仏教の歴史と現状については、訳者の今枝由郎氏が巻末で解説してくれている。なお、今枝氏はチベット歴史文献学の第一人者で、フランス、ブータンで長く研究に携わり、2023年、第57回仏教伝道文化賞を受賞している。

以下、今枝氏の解説によると――

 インドから各地に伝播した仏教は、大別すると、スリランカ、東南アジアに伝わったテーラワーダ系(南伝仏教)と、中央アジア、チベット、中国、日本へと伝わった大乗系(北伝仏教)の二系列があり、さらに大乗系は、大きくチベット系と中国系の二つに分けることができる。

 このうち、テーラワーダ系仏教ではすべての経典が大蔵経として一まとまりで伝承され、スリランカ、ミャンマー、タイをはじめすべての国に共有されている。文字は国ごとに変わるが、言語的には古典語であるパーリ語のままで伝承され、注釈書や僧侶による法話は現地の言葉が用いられる。

 また、チベット系は、八世紀後半にチベットが仏教を国教として取り入れ、国家の一大事業として、当時インドで入手できた大乗仏教経典がすべて数十年の間に組織的にチベット語に翻訳されたという。
 こうしてテーラワーダ系仏教とチベット系仏教は、その教義、修行体系は大きく異なっているものの、各々が一つのまとまった大蔵経を共有しており、本来の僧侶の集団も存続し、仏教本来の姿が見失われていない。
 ところが中国系仏教では、仏教経典全体が一まとまりとして翻訳されることはなかった。
 インド、中央アジアの僧侶が、自らが精通しているいくつかの経典を単発的に中国語に翻訳してきたのである。
〈こうした翻訳活動が数世紀に及び、結果的には膨大な経典が訳出されたが、けっして整然と組織的に行われたわけではなかった。いってみれば、仏教はアラカルト的に単品ごとにしか紹介されることはなく、仏教全体がセットメニューとして提供されることはなかった。
 すなわち中国人僧各人は、大蔵経全体からすればごく一部の経典だけに基づいて仏教を理解する、いわば「偏食」することになったわけである。〉(同書「訳者解説」p.168-167)

そして、中国仏教の延長線上にある日本仏教は、この偏食――仏教用語で「専修(せんじゅ)」の傾向が一層高まったという。

 日本の各宗派は、もっぱら特定の経典を専門に修め、しかも経典そのものは漢訳仏典のままで、近代にいたるまで日本語に訳されることもなかった。

 結果的に「お経」は一般信者にはチンプンカンプンになり、日本の仏教は「信仰」というよりは、葬式、お彼岸といった「行事」「法要」としてのみ存在している感がある。

〈かつて日本の携帯電話は、国際標準仕様とは異なる進化を遂げたがゆえに、生物が南米大陸から西に離れた赤道直下のガラパゴス諸島において独自に進化したのになぞらえて、「ガラパゴス携帯電話」(略して「ガラ携」)と評された。
 これにならえば、アジア大陸の東の海に浮かぶ日本列島に孤立して、千五百年近くにわたって特異な進化をたどった日本仏教は「ガラパゴス仏教」すなわち「ガラ仏(ぶつ)」ということができるのではないだろうか。〉(同書「訳者解説」p.169-170)

 しかし、だからといって、日本仏教が「本来の仏教から逸脱した誤ったものであると一蹴することはできない」と今枝氏はいう。ロベール氏が本書で述べているように、〈多様な文化に対する並はずれた適応能力によって、特異な豊かさを呈している〉(同書p.27)のが仏教なのである。

※著者・ロベール氏の詳しい経歴については、〈日本研究国際賞を受賞したフランス屈指の東洋学者による〈世界レベル〉の仏教史入門、待望の日本語版。〉を、さらに、〈ユダヤ教・キリスト教・イスラム教との決定的な違いは何か? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。〉もぜひお読みください。
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「乗り換え面倒」 北陸新幹線・敦賀延伸が招いた“落とし穴” 福井は近く、関西は遠くなった庶民のリアル 2024/03

2024-03-23 00:58:21 | 気になる モノ・コト

「乗り換え面倒」 北陸新幹線・敦賀延伸が招いた“落とし穴” 福井は近く、関西は遠くなった庶民のリアル
 MERKMARL より 240323  高田泰(フリージャーナリスト)


🚝3月16日開業「関西が遠くなる」の声
 北陸新幹線が3月16日、福井県敦賀市のJR敦賀駅まで延伸した。これにより、北陸と首都圏の距離が縮まる一方で、「古くから交流が深い関西が遠くなる」と嘆く声も聞こえた。

 北陸新幹線が敦賀へ延伸した週末が終わり、敦賀駅では帰りの観光客らが切符売り場に列を作っていた。JR西日本の職員が案内役を務めるが、混雑をなかなかさばけない。そんな中、千葉県浦安市へ帰る60代の夫婦は

「福井の食と名所を堪能できた。東京から新幹線1本で来られるようになり、福井がとても近くなった気がする」

と笑顔を見せた。

 延伸当日、県都の福井市では歩道を埋め尽くす人出に地元の人が驚いていたが、敦賀市も敦賀駅前とその周辺で「つるが街波(まちなみ)祭」と銘打った記念イベントが催され、多くの観光客でにぎわった。

 石川、富山、福井の北陸3県は関西との行き来が盛んな土地だが、敦賀市新幹線誘客課は

「首都圏や長野、新潟両県など北陸新幹線沿線からの観光客が目立った」

という。北陸新幹線が人の流れを変えたようだ。

⚫︎関西からの旅行客は乗り換えに不満の声

敦賀駅止まりとなった大阪発特急のサンダーバード(画像:高田泰)

 北陸新幹線の敦賀延伸で大阪市から石川県金沢市まで運行してきたJR北陸本線の特急「サンダーバード」は、敦賀止まりになった。関西から金沢市や福井市へ向かうには、敦賀駅で乗り換えが必要。大阪市から福井市までは3分、金沢市までは22分の時間短縮になるとはいえ、乗り換えの影響は大きい。
 敦賀駅の新幹線ホームで話を聞いた。京都市から来た30代の会社員は
「系列会社がある越前市へ出張でよく来るが、乗り換えは面倒。サンダーバードを金沢まで残してほしかった」
と不満げな表情。堺市から50~60代の6人で観光に訪れた女性グループは
「敦賀駅が広くて乗り換えが大変。来年は乗り換えのない行き先にする」
と苦笑していた。

⚫︎かつては繊維産業の往来
  敦賀駅で切符売り場に列を作る観光客ら(画像:高田泰)
 北陸3県は言葉が関西弁に近く、関西と密接な関係を持っている。福井県西部の若狭地方と京都市を結ぶ若狭街道は「鯖(さば)街道」と呼ばれ、古くから京都へ日本海の物資を運んできた。
 戦前から高度経済成長期にかけては、繊維産業が北陸と関西を結んだ。当時、石川、福井の両県は日本を代表する繊維産地。大阪市は繊維製品を扱う問屋が集中していた。このため、関西と北陸の往来が盛んで、サンダーバードやその前身の「雷鳥」は“繊維特急”と呼ばれていた。

 福井県産業技術課は
「生産拠点の海外移転や大阪の企業の多くが東京都へ本社を移転したことから、当時ほどの往来はないが、密接な付き合いに変わりない。乗り換えでビジネスが不便になるかもしれない」
と不安がる。京都市の村田製作所が福井県に関連会社、大阪市の参天製薬が石川県に工場を置くなど、繊維以外の産業も関西との結びつきが深い。

⚫︎大学進学にも影響
 新幹線延伸祝賀ののぼりがはためくJR敦賀駅(画像:高田泰)
 北陸3県の高校生が北陸を出る場合、京都の大学へ進学し、大阪の企業に就職するのが一般的だった。福井県教育庁によると、2023年に福井県の高校を卒業した若者の進学先トップは京都府で、2位は大阪府。今も関西志向が続いている。

 しかし、文部科学省によると、石川、富山の両県は北陸新幹線が金沢延伸した次の年の2016年卒業生から東京都がトップに立ち、
「首都圏志向」
に変わった。関西の大学や企業からすると、北陸出身者の確保が難しくなりつつある。

 観光への影響も頭が痛い。福井県は温泉客や名所を訪れる観光客の7割程度を関西や東海から集めてきた。当分は新幹線延伸効果で首都圏からの誘客が見込めるとしても、リピーターとなってきた関西の客を失う危機にさらされている。

「関西の奥座敷」と呼ばれるあわら市の芦原温泉では、ベテランの女将が
「兵庫県の城崎温泉など特急1本で行ける地域に客を奪われかねない」
と危機感を募らせる。福井商工会議所も
「関西との縁をつなぐには、新幹線を大阪へ延伸させる必要がある」
と語った。

⚫︎北陸の関西離れに関西経済界が危機感
  敦賀駅で発車を待つ富山行き北陸新幹線のつるぎ(画像:高田泰)
 ところが、大阪延伸のめどは立っていない。ルートは敦賀市から福井県小浜市へ西進したあと、京都府を南下して京都市下京区の京都駅を通り、京都府京田辺市経由で大阪市淀川区の新大阪駅へ向かうが、京都府で反発の声が高まっているためだ。

 京都府のルートは主に地下を通る。地下水への影響や建設残土の処理など環境面の不安に加え、兆単位となりそうな建設費の地元負担など難題が山積している。さらに、並行在来線になるとみられる湖西線の扱いも、滋賀県の反対を考えると難しい。

 関西経済連合会の松本正義会長や大阪府の吉村洋文知事らは早期開通を訴えているが、2月に投開票された京都市長選では主な4候補のうち、落選した3候補が反対の立場で、当選した松井孝治市長も
「慎重な判断が必要」
と賛否を明言しなかった。京都の世論がルート反対に傾きつつあるからだ。

 膠着(こうちゃく)状態にしびれを切らせた石川県では、敦賀市から東海道新幹線が通る滋賀県米原市の米原駅を目指すルートへの変更を求める声が出ている。加賀市の宮元陸市長が米原ルートを主張しているほか、小松市議会が2023年12月、米原ルート採用を求める決議を採択した。しかし、東海道新幹線はダイヤ過密で、北陸新幹線の乗り入れが難しい。

 関西は戦前、工業出荷額で首都圏を上回る日本経済の中心地で、大阪市の人口が当時の東京市を上回ることもあった。戦後の東京一極集中で経済の地盤沈下に苦しむ関西経済界は、北陸の関西離れに危機感を持つが、大阪延伸を妨げる難題解決の妙案は浮かばない。新幹線延伸の陰で苦悩は深まるばかりだ。

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