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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

風琴工房 冬公演 『penalty killing』

2015-02-19 | 舞台

*詩森ろば作・演出 公式サイトはこちら 下北沢/ザ・スズナリ 18日まで 最終日14時の回に追加公演決定  (1,2,3,4,5,6,7,89,10,11,12,13,14,15,16,17,18

「ドキュメンタリー演劇」のくくりに入れるには躊躇するが、詩森ろばは現実に起きた事件や実在の人物を題材にした舞台を多く発表している。死刑制度や水俣病、日航機墜落事故、朝鮮半島や樺太で生きた市井の人々。そこには史実と創作の境界線が明確にあるわけではない。その地を訪ね、人々を訪ねて話を聞き、資料にあたって、その対象にできうる限り近づく。それをそのまま舞台に乗せるのではなく、演劇としてのみせかた(絵面ということではない)、俳優の個性などを考え抜いたものが風琴工房、詩森ろばの劇世界であると考える。

 それが近年の数作をふりかえると、社会的な問題作というよりは、もっと純粋に詩森ろばが強く惹きつけられた事象が、こちらが考えつかないような舞台になっている。これは意識して狙ったのか、あるいは興味を引いた偶然が劇作の必然に結びついた結果なのかはわからないが、若手から中堅、ベテランまで、一癖も二癖もあって、それだけに魅力にあふれる男優陣による舞台に結実している。一昨年秋の『hedge』しかり、その少し前の『Archives of Leviathan』しかり。今回も詩森ろばの「演劇男子祭」である。

 対面式の客席中央に演技スペースがあり、それが練習場や控室や、アイスリンクになる。試合のスコアなどを映し出す電光掲示板もあって、臨場感を醸し出す。

 自分はアイスホッケーの試合をみたことはないのだが、ビートの効いた音楽にのって選手ひとりひとりがリンクに登場するときの高揚感は、贔屓の役者が見栄を切るときの興奮に似ている。選手によって登場のポーズも個性的で、ぞくぞくする。最後は監督まで紹介されるのですね。
 俳優陣のなかで特殊なのは、文学座の粟野史浩である。この方が元は西武鉄道のアイスホッケー部の選手だったことはよく知られている。とにかく身体能力がずば抜けており、文学座が夏に行っているファミリーミュージカルの稽古場において、軽いウォーミングアップにはじまってゲーム風に遊びながらからだを慣らし、体力をつけていくメニューを作りや出演者をリードする様子がまことにすばらしいと、何かの記事で読んだことがある。
 粟野さんがほんもののホッケーを見せてくださるのか?!と期待したが、監督の役であった。しかし、スーツを着て選手たちの前に仁王立ちした体格の立派なこと、ベンチからリンクを見据える姿勢の堂々たるさま。惚れぼれする。背格好が同じくらいであっても、この有無を言わせぬ迫力は、そうは出せまい。「ほんものっぽい」という言い方はあまりに軽薄で、それこそ監督にぶっとばされそうだが、これは何なのだろうか。

 物語後半の試合シーンの迫力と、それが客席に与える高揚感はものすごい。息もつかせぬ試合のなかに、選手たちひとりひとりの独白シーンが挿入される。自分とホッケーとの出会い、どんな思いでこのリンクに立っているか。上演台本をみると、非常にあっさりした記述なのである。それを音響や照明、俳優の動作、ぜんたいの動きなど、あらゆる要素を最大限に駆使して盛り上げる。そのさまに思わず前のめりに。

 残念なのは演技の強度、とくに台詞の言い方が強すぎ、声が必要以上に大きくて聞き取れないこと、あまりに大仰で引いてしまう場面が多かったことであ る。単純にいえば演出のつけすぎであろう。後半には大迫力の試合シーンが待っているのだ。もう少し抑制されてもいい。

 それにしても、ここまで動ける俳優をよくぞ集めたものである。演技スペースが狭いだけにちょっとした気の緩みが怪我につながることもあろう。この狭いリンクを大勢の男たちが長いスティックを振り回しながら戦うのである。それをスポーツとしてのみみせるのではなく、ダンスの要素もふんだんに取り入れ、そこへさらにアクロバット的な動作も加わる。
 考えてみると、スポーツの試合は演劇に似ており、スポーツ選手も俳優と似た要素がある。観客にみせるものであること。スポーツ選手が試合前に「お客さまに最高のパフォーマンスをお見せしたい」と語ることにも、それは表れている。
 台本があって演出家がいるわけではなく、まさに筋書きのないドラマである。しかし「筋書きがない」けれど、「ドラマ」なのだ。
 そこに観客は痺れるのである。どうなるかわからない、そこで選手たちがどんなパフォーマンスをみせるのかに魅入られるのだ。しかし選手たちは、程度のちがいはあっても「見せ方」を考えると想像する。それは自分がより魅力的にみえるという極めて手近なところから、「どれだけお客さんに楽しんでもらえるか」という視点まで。
 それはそのとき、その場にともに存在したもの同士だけが共有できる喜びであり、体験である。

 いつもの風琴工房の客席にくらべると、男性率が高かったのではないか。「はじめて見に来たけれど、おもしろかったです」と満面の笑みで劇団スタッフに声がけをしている男性や、アイスホッケーファンなのだろう、「劇中のあの人が○○選手だ」と、これもやはりとても嬉しそうに語っている風景も。こちらまで幸福な気分になる。どうか演劇を好きになってください。
 まったく門外漢であった詩森ろばを、ここまで夢中にさせたアイスホッケーのことを、もう少し知りたい。劇作のきっかけとなった伊東武彦著『アイスタイム 鈴木貴人と日光アイスバックスの1500日』を読んでみようかという気にすらさせる。詩森ろばはたたずまい、話し方や文章も優しくもの静かな印象であるが、このところの作品は力強く男前である。今度はいわゆる文弱の徒、たとえば俳句や将棋や書道などの、「闘う文系男子」のすがたを舞台にしてくださらないだろうか。

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