なのにオイラは京都へゆくの?

大阪の中年男が、京都の山に登った際の赤裸々(?)な公式日記帳やねん。
のはずが……京都・自己満足ブログとなりにけれ。

大文字山・消し炭拾い+銀閣寺 再訪

2011-08-29 15:22:39 | 大文字山&周辺

 大文字山にはオイラが知っている限りでも高石ともや氏、森見登美彦氏、つじあやのさんという有名人が登っているのであるが、今月の18日には、なごみんことKBS京都の海平和アナウンサーがラジオ・リポートで大文字山登頂を成功させたのである。

 自称「大文字山歩こう会」会員(←そんな会はない!ハズ)のオイラとしては、このようにパブリックな人たちにお山の良さを体感していただいて、広く世間一般の皆の衆に「大文字山ってスゴくない?」と広報活動していただけることは喜ばしい限りなのだ。おっちゃん、泣けてくらぁ。

 【大文字山歩こう会・会則】(注意:オイラが妄想した山歩きの会ですので、あしからず)
 一、大文字山は観光スポットではないのでトイレはありません。銀閣寺参道入り口の公衆トイレなどで用を済ませておきましょう。
 一、ゴミ箱もありません。弁当の空き箱、空き缶、ペットボトルをはじめとするすべてのゴミは持ち帰りましょう。
 一、火床と山頂での喫煙は可。マナーを守り、吸い殻のポイ捨ては厳禁です!
 一、山の草木、石を持ち帰らない。ただし送り火の消し炭はお持ち帰りOK。
 一、弘法大師堂に必ず参拝すべし。温度計での気温観測は必須事項とす。

 8月28日(日)

 今年もまた、送り火の消し炭を求めて大文字山へ行ったのだった。

 ▼ 朝8時の大文字山は、ふもとから「大」の字が見えてませんでした。

 ▼ さりげなく森見登美彦氏の聖地巡礼。銀閣寺交番

 ▼ ラジオでなごみんが紹介した銀閣寺コースで登っていこう☆

 奥に見える自販機を越えると、空気が一変して山の空気となる。涼しいし、緑のニオイが心地よい。

 最近は旧道を使って火床まで登っていたのだが、本日はなごみん推奨のメインルートで登ることに。
 やはり旧道は石コロ道と急登で歩きにくかったことを実感。整備されているメインルートの歩きやすさはこの上ない。比べてみるとよくわかる。

 ▼ 数えたら151段あった階段も比較的楽チンで登れるのであった。

 ▼ 8:30 火床に到着。

 ▼ 弘法大師堂の祠の上に貼り付けてありました。

 「よりよき日本、よりよき世界」になりますように。なむなむ。

 ▼ ただ今の気温は25度。

 タバコを吸って、おにぎりを食し、消し炭を拾う。

 細切れの消し炭しか残っていなかったけれど、これで今年も無病息災なのだぁ!

 ▼ しばし火床で休憩後、山頂まで行ってみた。

 ここまでオーソドックスなルートを歩いてきただけに、自称「大文字山歩こう会」会員のオイラとしては人外魔境へ突撃探検したくなるのだった。

 いにしえの地図によると、山頂の先から奥大文字山を北へ縦走して志賀越道へと至る道があるという。

 ▼ 試しに破線の道を進んでみたのだが、

 50mぐらいは踏み跡がはっきりしていた道も途中で途切れてしまい、どれが道なのかわからずじまいになってしまった。それでも道らしきものがかすかにあったのでちょっと進んでみたのだが、こっち方面は人があまり歩かないようで、まるっきり虫天国なのだ。気付くとリュックサックの上を尺取り虫がはい、シャツの上を毛虫がはっているではないか。((;゜Д゜)ガクガクブルブル
 挙げ句に顔面から蜘蛛の巣へ突撃してしまい、口の中に蜘蛛の糸が入ってしまったのである。
 mg(。Д。)プギャー (゜д゜◎/)/ビックリヽ(◎゜д゜)ノタマゲタ

 今の時期に奥大文字山への探検は絶対無理と判断し、すぐさま来た道を戻り下山した。

 下山中、同行のご主人に、京都趣味登山会のロゴ入り赤リュックサックを背負った年配のご婦人が、「今日はたくさん若い人が登ってはったねえ。前来たときは年配者ばっかりやったのに」と言うてはった。これもひとえになごみん効果であるのだなあ、とオイラは独りごちて二人を追い抜かしたのだった。

 ▼ 下山最後にこの湧き水で顔を洗うとチメタクて気持ちが良いのだよぉ。

 今日は奥大文字山へ行けなかったのが心残りであった。その無念を払拭するために銀閣寺こと東山慈照寺(とうざんじしょうじ)へ寄ってみることにした。(拝観料大人500円)

 大文字山には阿呆ほど来ているのに、今まで銀閣寺に入りたいと一度も思ったことがなかったのは何故であるか?
 20年ほど前に拝観しに来たときには、すでに拝観時間が終了したあとだったのだ。オイラと銀閣寺とはご縁がないのである。その時はしかたなく、今出川通の天下一品でラーメンを食べた想い出がある。

 実は両親に連れられて幼少のころ一度拝観していたのだが、

お坊ちゃまだったオイラは銀沙灘を砂遊び場と勘違いしたらしく、柵を乗り越えて乱入してしまい、寺の人に両親共々怒られたという苦い想い出があるのだった。

 さらに、この形で何百年も残っていた歴史的遺物をオイラが破壊してしまったのだと思いこんでしまい、次の日の新聞に名前が載るのではないかと恐怖におののき夜も寝れなかったのである。ホンマでっせ。

 因縁のおよそ40年振りの銀閣寺をあとにした。

 ▼ 11:20 「大」の字がクッキリ見えるようになってました。

 ▼ さりげなく森見登美彦氏の聖地巡礼。百万遍交差点北西角のレブン書房

 ▼ さりげなく森見登美彦氏の聖地巡礼。鴨川デルタ

 もっともっと森見登美彦氏の聖地巡礼をしたい方は

森見登美彦の京都ぐるぐる案内
森見 登美彦
新潮社

を購入すべし。

以上。

 ▼ 本日の歩行距離=14.6km


2011 五山送り火・嵐山にて

2011-08-17 13:30:03 | 五山送り火

 岩手県陸前高田市の薪の放射性物質問題で二転三転した今年の五山送り火

 結局、陸前高田の薪を燃やすことは残念ながらできなかったけれど、雨降って地固まるがごとく、京都と東北の絆は一層深まったのではないのかなあ。そうオイラは思いたい。

 それに、五山送り火が観光イベントではなく(そういう側面がまったくないとは言わないけれども)、神仏混淆の宗教行事であることを世間に再認識させたことは、今回の騒動も意義深いのであります。

                    ○

 五山送り火は京都市内全域で行われるので、毎回、どこで見るべきかが思案のしどころであり、それがまた楽しみのひとつであると言えよう。

 今年の送り火はいつも以上に世間の注目を浴びているので、ここは逆にひっそりと「とある町中の名もなき空き地から心静かに送り火を見届けるのも良し」であったのだが、ミーハー心がオイラにそれは「No!」だと言う。

 地元放送局のKBS京都がテレビ中継すると、まことしやかに囁かれているへ行くことに決めたのだった。

                    ○

 8月16日(火)

 19:50 JR嵯峨嵐山駅に到着。
 戒名が書かれた水塔婆と灯籠を手に持った地元民の一団に紛れ込み、真っ暗な裏道を渡月橋へと進む。

 渡月橋界隈は交通規制がかかっていて歩行者天国となっていた。人が多すぎて真っ直ぐには歩けない状況なのだ。

 テレビ中継は中ノ島公園で行われているので、渡月橋を渡りきって向こう岸に行かねばならぬのだが、

人の壁が邪魔をして、遅々として前に進めない。

 渡月橋の真ん中あたりで20:00をむかえてしまった。遠くに見える大文字山の火床に火が付くと、群衆がウォーとどよめき、一斉に写真撮影大会が始まった。


 オイラも大文字を写し、なむなむした。

 「ごめんやっしゃ」と人の壁を突破し、ようやく渡月橋を渡りきったのだが、中ノ島公園も人が多くて真っ直ぐに歩けない状況なのだった。

 すぐに嵯峨佛徒連盟が主催する嵐山灯籠流しの会場が目に入った。

 桂川の数百メートルほどの川面を、幽玄な光をたずさえた灯籠がおごそかに流れていく。

 毎回ここに来ている人の話では、今年は東日本大震災があったために灯籠の数が多いように思うと言っていた。

 20:20過ぎ、曼荼羅山の鳥居形に火が灯りはじめた。


 なむなむ。

                    ○

 河川敷でテレビ中継中。

 目の前でケータイのワンセグを見ながら中継を見学していたのだが、オンエアーとリアルタイムとの間に数秒の時差が発生していて、平野智美アナウンサーの口の動きとワンセグの声がまったくちがうのでスゴく違和感あり。

 東日本大震災で被災された後藤貞夫さん・静子さんご夫妻がゲスト出演されていた。

 「亡くなられた方々がありがとうと言ってくれているだろうし、行方不明の方々も早くお家に帰って来て欲しい」とおっしゃった貞夫さんの言葉が心にしみた。

 こんな時に誠におちゃらけて申し訳ないのでありますが、オイラのデジカメもかつてないほどの数のお精霊(しょらい)さん(オーブ)をキャッチしてしまっただよ。(´・д・`)ごめんなさい・・・。

 「ありがとう」と乱舞しているよ。

 21:00 鳥居形松明が消えたのを確認しオイラは帰路についた。同時刻、交通規制も解除され、渡月橋は普段の渡月橋に戻っていた。


第24回下鴨納涼古本まつり&夏あかりの夕べ

2011-08-15 14:21:31 | 

 8月14日(日)

 去年、糺の森の会場に着いたら閉店10分前で、満足に古本を物色できなかった怨念を晴らすべく、今年は15:20に糺の森に着きました。

 全国の黒髪の乙女たちが集まるとまことしやかに囁かれていない下鴨納涼古本まつりであるが、見たところ、黒髪以外に金髪、白髪の乙女たちが大勢参集されているようだ。

                    ○

 18:00の閉店時間までまだまだ時間があるので、まずは下鴨神社に参拝することにした。

 昔一度来たときには気づかなかったさざれ石を発見!

 不思議な縁結びのご神木「連理の賢木(れんりのさかき)」を再確認。

 7月の土用の丑の日前後にみたらし祭りが行われる御手洗池では、涼を求める人たちが足を水に浸していた。

                    ○

 古本まつり会場へ戻る。北側から南側へ突撃した。

 会場入ってすぐの児童書コーナー横では、絵本の語り手さんがチビッコたちにお話をしていた。

 森の中の木陰とは言え、所々に日が差す場所があり非常に暑いのだ。アブラゼミの鳴き声が暑さに拍車をかける。

 17:00を過ぎてようやく日差しが弱まった頃、俳優の栗塚旭(くりづかあさひ)氏を発見。各書店の店主と熱心にお話をされていた。横で立ち聞きしていると、映画監督の中島貞夫氏とさっきまで下鴨神社で映画の講演会をされていたらしい。

 オイラは先月亡くなった小松左京先生の著書を2冊購入した。

                    ○

 18:00になったので各書店が店じまいを始めた。

 帰路、古本まつり会場横にある河合神社へ寄ってみた。

 この神社は鴨長明先生ゆかりの神社でもあるので、『方丈記』を書いたとされる方丈が復元展示されていた。とても小さな庵である。

 「ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。澱みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたるためしなし。世中(よのなか)にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし

 (川は涸れることなくいっつも流れて、しかも水はもとの水とは違うねん。よどんだところに浮かぶ水の泡も、あっちで消えたかと思うと、こっちにできたりしよって、決していつまでもそのまんまということではないんや。世間の人と住まいを見てもやっぱりこんな感じやねん)

                    ○

 お腹がすいてきたので新京極まで足を伸ばしたのだが、途中、三条大橋を渡るときに鴨川河川敷で、去年から始まった「京の七夕」という光のイベントが今まさに始まらんとしているのを発見。

 宵闇が迫る19:10、再度鴨川河川敷へ行ってみた。

 オーブが乱舞しておるぞ!

 河川敷沿いに七夕飾りの笹が続きます。

 ↓ 東北の復興を願う七夕飾りも設置されていた。

 ↓ 鴨川では友禅流しの実演。チビッコたちが体験させてもらっていた。

                    ○

 四条大橋を渡り、そのまま東進。八坂神社までやって来た。夜空には真ん丸お月さん。

 八坂さんにお参りし、


清水寺方面へ進行。

 「夕涼みと灯りの路」というイベントで、一念坂、二年坂は行灯でライトアップされていた。

                    ○

 清水寺では千日詣りが行われていた。夜間拝観料400円を取られるので外から参拝。

 次に東大谷万灯会を見ようと清水寺横の墓地に行こうとしたが、墓地への扉が閉ざされている。しかも墓地では万灯会が行われているような雰囲気がまったく感じられない真っ暗な闇なのだった。

 ↓ とりあえず京都タワーを撮影。

 ここは坂の上なので、もっと下の方で万灯会をやっているのかなと思い、坂をひたすら下る。

 20:10 大谷本廟前に到着。本廟の門は固く閉ざされ、万灯会をやっている雰囲気はゼロ。
 ケータイで「東大谷万灯会」をググると場所をまちがえていたことが発覚。ここは西本願寺派で、万灯会は東本願寺派の大谷祖廟で行われているのであった。(+_+)

 大谷祖廟は円山公園の隣なので完全に行き過ぎているのだ。万灯会が21:00までなので大急ぎで来た道を戻る。

 20:40 なんとか大谷祖廟の参道へ到着。
 「こんなところで写真なんか撮ったら幽霊が写るで」と通りすがりのオッチャンに言われた。
 実際に撮ってみると、この辺に川のような水気はないのにオーブが写ったぞ。

 ↓ 「お墓のない人生は、はかない人生どすなあ」の河波忠兵衛はんの提灯。

 門をくぐったのが20:45。「21:00に閉門します」のアナウンスが流れていた。

 オイラは慌ただしく物見遊山でこの墓地まで来てしまったのだが、実際にお墓参りをされている方が大勢おられました。お邪魔してすみませんでした。

 

 あらゆる御魂が成仏なさいますように。


アレは何だったんでしょうね?

2011-08-13 13:38:20 | 雑記

 この世の中には常識では考えられない不思議な出来事、怪異がたくさんあります。いついかなる時でも途切れることなくテレビ、本、インターネットなどを通じて怪異譚が日々発信され続けています。

 季節柄お盆ということでもあるので、今回はオイラが体験した怪異について書いてみたいと思うのです。

 次に書くことを与太話として読んでいただいても結構ですが、これはまぎれもなくオイラが体験してしまったまぎれもない事実なのです。

                    ○

 生まれて初めて大文字山の送り火を見て、大阪の自宅に帰ってきてからのこと。深夜の3時頃だったのかな……。

 N君と寝屋川市から大阪市旭区の自宅まで歩いて帰ったのであったが、深夜の夜道を歩いたことによって少々テンションが上がっていたのか、自宅に着いてもすぐには眠れなかったのです。

 ですので、睡魔に襲われウトウトとしていたわけでもなく、酒を飲んでいたわけでもなく、変なクスリを服用してラリっていたわけでもない普段と変わらぬ状況だったのです。

 オイラはいつも自宅ではベランダに出てタバコを吸うとことにしていたので、その夜もオイラはベランダに出たのでした。

 ベランダが南向きなんで、南の夜空を見上げながらボォーっとタバコを吸っていた時のことです。天気は曇っていて星は見えていませんでした。

 ふと視界の左側に違和感を感じたので、左を見たのです。

 当時、オイラの自宅界隈は2階建ての家がほとんどでした。100m先にある家々の屋根の上すれすれに、赤い光球がスゥーッと北から南方向へ、自転車のような時速20kmぐらいのスピードで音もなく滑るように真っ直ぐ水平移動していたのでした。

「ありゃ何だ!?」

 赤い光球とベランダとの距離から推定してみて、そいつの大きさはサッカーボールほどの大きさでした。

 赤い光球が水平移動していたのは、時間にして10秒ぐらいだったでしょうか。次の瞬間、突然、赤い光球は垂直に物凄いスピードで急上昇していき、あっという間に雲の中に入っていって視界から忽然と消え去ってしまったのでした。

                    ○

 あれは宇宙人が操るUFOだったのか? お盆が終わり冥界へ帰って行く魂だったのか? 常識的な判断として、タバコの火の残像ではなかろうか? と考えてみたのですが、やはり明らかにそれとは違うリアルな不可思議物体だったのです。 

 見た瞬間、怖いというよりも、アレは何やったんやろう? という不可思議感の方が強く残りました。
 未だに正体不明の赤い光球なのです。

                    ○

 20歳を過ぎたあたりの当時のオイラは、ベランダで、赤い光球以外にも他に三つも不可思議なものを目の当たりにしているのです。
 その当時、オイラの超能力が開花しつつあったのか?
 それ以降、何も見ないし、今のオイラは霊感ゼロの単なる凡人になってしまっているのでありました。

 当時のオイラは平井和正氏の小説、特に『幻魔大戦』シリーズにハマっていた時期だったので、心のベクトルがスーパーナチュラル方向へ向いていたことは確かであるが……。
 この本を読んでオウム真理教に入信する人が増えたと、まことしやかに囁かれている禁断の書でもあるので、未読の方は心して読むべし。精神に影響を与える力はエヴァンゲリオンよりも絶大なのである。

幻魔大戦 1 幻魔宇宙/超戦士 決定版 幻魔大戦 全10巻 (決定版 幻魔大戦) (集英社文庫)
平井 和正
集英社

 大文字の送り火と赤い光球との直接的な因果関係はないと思うのですが、送り火を見た後の夜の出来事だったので、何らかの関係性があるのかもしれぬと思い、秘かにあの光球を正体を確かめたくもう一度見たいという欲求にかられ、6年前から毎年送り火を見に行っているのですが、未だに再会を果たしておりません。

 よし、今年こそ!


京都市が新たなマツ受け入れ計画 連合会に打診

2011-08-10 11:29:30 | 雑記

 http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20110810000015

 日々揺れている「大文字」問題。

 ならば最初の薪を陸前高田で燃やさなくてもよかったのに……。

 8日の夜に迎え火として薪を燃やしている映像をニュースでチラッと見ましたが、現地の女性と思われる方が火床の横で泣いてはりましたよ。(コメントも説明もなかったので、涙の意味はわかりませんが)

 「覆水盆に返らず」なのです。

 明日はどっちだ?