なのにオイラは京都へゆくの?

大阪の中年男が、京都の山に登った際の赤裸々(?)な公式日記帳やねん。
のはずが……京都・自己満足ブログとなりにけれ。

供水峠の地蔵堂

2017-01-13 13:03:33 | 魔界めぐり?

 ▼ 日野から供水峠(こうすいとうげ)へと登る山道で、「バイク走行禁止」という注意書きを何回か見たんだす。

 ▼ 地蔵堂の直前、折れた木々が道をふさぐようにして横たわってました。これはMTBの走行を妨害するための施策やと思ってたんだすが……もしかすると「結界」やったかもしれんのだす。(゚Д゚;)

 ▼ 峠の頂上にお地蔵さんが祀ってあるのはよくあるパターンだすが、この場所は頂上から数百メートル下がったところにおます。いつ、誰が、どのような目的でお地蔵さんを祀りはったんでしょう?

 ▼ しかも50体以上の数なんだす。





 ▼ お地蔵さんのほとんどが日野の町の方向を向いてはるんで、日野の安全祈願が目的なんでしょうか?

 ▼ この時、薄気味悪さとか、怖い感じは何にもしなかったんだすが、家に帰って写真を確認したところ、白いモヤが1枚だけ写り込んでいたんだす。

 モヤの正体はわからないんだすが、浮遊霊は石仏に助けをすがって集まって来るという話を聞いたことがおます。もしやその類いかも……なんちゃって。\(^o^)/


瑞泉寺

2016-07-13 13:03:51 | 魔界めぐり?

 ただ今放送中のNHK大河ドラマ「真田丸」。

 7月10日の放送分では、豊臣秀吉と淀殿の間に秀頼が誕生したことによって、秀吉の後継者として養子縁組していた秀次と秀吉との間の溝が深まり、どえりゃー方向に向かいつつあることが描かれておましたなあ。

 次回予告で一瞬映ってましたが、豊臣秀次は高野山で切腹しはります。(T_T)

 たぶん、ドラマの中では残酷過ぎて描かれないと思いますが、三条大橋の西畔河原で秀次の首を晒したうえ、側室、子ども、侍女、乳母ら39名を次々に斬首したという史実がありますねん。公開処刑だす。

 ▼ 現在の三条河原に、陰惨な歴史の気配は微塵も感じられまへんのやが……。

 ▼ 雑沓の三条木屋町にひっそりと、豊臣秀次と一族を弔う瑞泉寺がおます。

 ▼ 山門には、大河ドラマで秀次公を演じた役者さんたちを紹介する額が飾っておます。

 三条木屋町あたりは、もう何十回も歩いているオイラでおますが、瑞泉寺に入ったことが一度もおまへん。
 ▼ 境内に入ってみましたがな。外の雑沓がウソのように静か。狭い場所なれど、何かをギュッと凝縮したような感じがそこはかとなく漂っているかも……?

 ▼ 極楽浄土へ死者を導く「引導地蔵尊」を祀るお堂。処刑の際に刑場へ運び込まれたお地蔵さんやという。なむなむ。

 ▼ 資料展示。

 ▼ 秀次公(中央)と一族の墓。なむなむ。

 ▼ 秀次公を囲むようにして並ぶ一族39名+自刃した家臣10名の墓。

 ▼ 処刑場所の真上に建てらたという本堂。なむなむ。

 そして……一通り回ったんでお寺を辞そうと思った矢先、突然、キリリと頭痛に襲われたんだす。

 墓地や因縁深そうな場所へ幾度となく行っているオイラではありますが、こんな経験一度もありまへん。

 瞬間的に「この場所はヤバい!」と思いまして、一目散に境内から脱出しましたがな。

 ▼ 家に帰ってコンデジ写真を確認したら……!

 秀次公の墓に被るようにして大きなオーブが写ってるやおまへんか!

 光学的な見地からオーブの正体の理屈はつくんでおましょうが……とりあえず合掌しときまひょ。\(^o^)/


深泥池

2015-09-27 02:12:24 | 魔界めぐり?

 京都の心霊スポットとしては超有名処。

 【深夜、タクシーの運ちゃん女性客を乗せる。「深泥池まで」と言ったきり終始無言の女性客。「深泥池に着きましたよ」と運ちゃんが後部座席を振り返ると、女性は消えていてシートが濡れていた】という話は、全国津々浦々に伝わっているとオイラは認識しております。

 昔、テレビ番組で、つのだじろうセンセと女性霊能者が深泥池のほとりで除霊だか浄霊をして、女性霊能者が「ここはヤバい!」とか言ってパニックになってたんやなかろうかと……記憶しております。

 夜に来たら怖く感じるのかもしれませんが、日中なら全然平気です。

 ▼ 案内板はないんですが、池のほとりを散策できる遊歩道がございます。皆様もぜひ散策に行かれてはどうでしょう。

 ▼ 散策路の途中で道が分岐していたりします。道を誤るとどこへ行くのかわかりませんが……。

 ▼ 池のほとりの道を歩いていれば大丈夫ですよ。

 ▼ 途中、立入禁止の設備があったんですが、そばを通り過ぎるとき、突然、ガガガガガと音が鳴りだしてビビりました。

 ▼ ぬかるんでる所もあるので足元にご用心を。

 ▼ 木が倒れていても乗り越えるなり潜るなりして進んで行きましょう。

 ▼ 京都博愛会病院の「関係者以外立入禁止」の看板が見えれば終点です。来た道を引き返して帰りましょう。


まぼろしの勝軍地蔵

2015-05-28 15:16:06 | 魔界めぐり?

 瓜生山の勝軍地蔵についてインターネットで調べてみた。

 由来がよくわからない。

 南北朝時代の延文6年(1361)に勝軍地蔵堂が勧請されたという説。(誰が? どのような理由で?)
 16世紀、室町時代の山城築城の際、細川高国または六角定頼が戦勝祈願のために勧請したという説。

 たぶん、応仁の乱などの戦火で縁起を記した文献類が焼失したんでしょうね。

 疱瘡治癒に庶民からの信仰が厚かった勝軍地蔵は、宝暦12年(1762)、瓜生山山頂までは難路のため、照高院門跡の忠誉法親王によって足場のよい北白川山へ遷されたことは定説となっている。

 だが待て、しばし。
 愛宕山にも、明治時代になって廃仏毀釈がある前は勝軍地蔵が祀られていたのである。

 愛宕山の標高は瓜生山の約3倍。麓から山頂への距離も愛宕山の方が相当長い。どちらかと言えば愛宕山の勝軍地蔵を麓へ遷す方が正しい選択やったのではないだろうか?

 まあ、そんなことをすりゃ、山頂にある神社の存在理由が希薄になってしまうのであろうが、せめて小倉山の山頂程度の高さの場所に愛宕神社が遷ってくれていたら、千日詣りも楽に行けたのになあ。

 ▼ 現在、瓜生山の勝軍地蔵が安置されている禅法寺に、オイラは2013年12月29日に行っていたのであった。

 ▼ 餃子の王将・北白川店へ行く途中、瓜生山への登山ルートを探しにその辺を徘徊していたのであった。


 ▼ その時は勝軍地蔵が禅法寺に遷っていることを知らなかったので、本堂には立ち寄っなかったのだが、偶然にもその辺のお地蔵さんを写真に収めておりました。なむなむ。

 ググって画像検索してみても禅法寺の勝軍地蔵の写真は見当たらない。見せると天変地異が起こるとされる門外不出のスタンスは今も貫いてはるようだ。まぼろしのお地蔵さんである。


落合橋

2014-08-29 11:19:18 | 魔界めぐり?

 「保津峡の赤い橋に幽霊が出るらしい」という噂を聞いたことがあります。

 ずっとオイラは、JR保津峡駅前にある大きな赤い橋のことなんやと思っておったのですが、最近、2chを読んでいると、その赤い橋が「落合橋」のことやったんやと、今更ながら知りました。

 落合橋は、こじんまりとした和風の小橋で、オイラは何回か歩いたことがあって、怖い感じがするような場所ではなかったのですが……。

 ▼ 秋は紅葉のプチスポットでもありまする。


 ▼ 落合トンネルには、登山者姿の男性の幽霊が出るというのだが……。

 ▼ 入り口上部に「竭誠盡敬」というプレートがはめ込まれているのですが、何を意味してるのやら……?

 ▼ トンネルに入っても、出口がすぐそこに見えているので、閉塞感は感じられない。

 ▼ 保津峡駅方向に落合トンネルを抜けると、京都一周トレイル「西山5-2」道標がございます。

 ▼ 道標のすぐそばに、保津川と清滝川との合流点を上から俯瞰できる絶景展望ポイントがあるのだ。

 この崖は、時代劇やサスペンスドラマのロケに使われていたりするそうな。
 ▼ 道が崖の下まで通じております。

 保津峡の道なき道は、急斜面すぎて命がけであります。場所によってはお助けトラロープがあるところもありますが、ロープが切れたら「ハイ、それまーでーよ」。
 滑落によって不慮の事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。合掌。