幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

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改めて書くまでもないことだが…

2017-03-08 21:16:51 | Weblog

日本には精神性がなくなってしまった。だから教育勅語を復活させるべしという発想は単純すぎる。日本人の“精神性”とは何だろうか。実は単なる“懐古趣味”なのではないか。つまりは「ないものねだり」を過去に遡って行なっているだけだったりする。
「父と母を敬え」という教えはモーゼの頃から変わらない道徳だが、「天皇を戴く国家に忠誠を誓え」というのは近代思想だったりする。一見見分けがつかないが、新旧混ぜ合わさっている。それ以前は“藩主”だったりしたものが、明治になって“天皇”に格上げされたのだ。そのとき天皇を支える思想に“神道”を持ってきた。仏教や儒教では“日本”の国家としての独自性が保たれない。そこで“国学”を持ってきた。同時に、それまで日本人が吸収してきた“外来思想”を憎悪し始めた。廃仏毀釈は“近親憎悪”であり、中国侵略は“母殺しの試みだった。そして今度は、“国民国家思想”を借用した西洋近代思想を憎悪して父殺しを試みた。真珠湾攻撃、そして“植民地解放”としての太平洋戦争である。そして結果は、万世一系の天皇を戴く近代国家、大日本帝国による大東亜共栄圏の確立の夢は儚く潰えた。その“夢よもう一度”が、日本人の精神性を取り戻すことだと主張しているのがアベさんを初めとする現政権の思想であるが、それは、近代以降に生まれた哲学、つまりポスト近代思想(60年代以降)をまったく無視している。か、または、まったく知らない、無知であるかのいずれかなのだ。そして、自らの思想のみが真理であると信じ切っている。つまり、“無知の知”以前、ソクラテス以前の“思想家”なのである。要するに、ソクラテス以前の思考回路で、ポストモダニズムをまったく無視しながら、夢よもう一度と潰えた理想に情熱を燃やす“精神的”政治集団が今の自民党の阿部一派なのだ。