ほるほる

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逵(つじ)志保のページです

「子連れで大学院」の私は、「子連れで議会」を全面的に応援します!

2017-12-04 21:43:29 | シホのホ(雑記帳)
熊本市議会で「子連れで議会」が問題になりました。
別件でたぶん熊本市議会史上初の大量のマスコミが集まってきている状態で、エイヤッと挑んだことに、この人すごいぞ!と思いました。
でもこの時を逃してはたぶんあの議会でのやり取りは熊本市内にも伝わったかどうかはわからない。
エイヤッのかいあって、いまでも新聞やテレビやいろんなところが話題にしてくれています。
もうそれだけで初期の目標は達成できたのではないかと思うくらいです。

なんでこんなことを書いたのかというと、私も「子連れで大学院」したなあと思いだしたから。
あれいつのことだったろう?と古いブログを探ってみると、記録って素晴らしい。きちんと出てきました。
もう17年前、私も子連れで大学院し、揉めたり励まされたりしたのでした。
昔のブログはとても見にくいので、ここに再録してみたいと思います。



2000年6月12日 ヒトヒトピッチャン子連れ授業

 今週は、とうとう始まった六週連続発表の地獄の授業が休講という、なんとも穏やかな一週間だったはずなのに、ワタルとサホの体調に振り回されて、初夏の爽やかさも味わえない辛い日々でした。でもその中で特筆しなくてはいけないこと、それはサホが授業を受けたということです。
 前日に熱で早退してきたものの(しかもズルズルと携帯を持つことを避けている私のせいで相棒がお迎えに…。)翌朝には全く元気なサホを見ていて、これなら連れて行けると確信し、授業の前に教授に子連れで挨拶に行き、教室でみんなに、どうしても受けたい授業だからと断って、とうとう子連れ授業をやってしまいました。
 十人もいない授業だから、きっと先生もみんなも気が散ったろうなって思うけれど、みんなとってもあったかい声をかけてくれて、私はすっごく嬉しかった。
 この授業、これまで聞いたことのない文献がどんどんあがってきて、欠席してプリントをもらっても何がなんだかわからないという厄介な授業なんです。でもまあこの授業のテーマが「『孝子伝』から『二十四孝』へ」という、つまりは歴史的な親孝行話なわけで、院生仲間からは「三歳にして親孝行話を聞かされるとは…。」と、サホに同情の声もありました。
 このあと、学生生協でお菓子を買ってあげて、(生協の人は子どもに慣れていないだろうにわざわざ袋をサホにもたせてくれた。優しい!)学食でお昼を食べ、帰宅しました。
 とはいうものの、正直、みんなに迷惑じゃなかったかなあって、気にはなっていたのね。だってSKIPとは違うわけじゃない?
 ところが翌日、こんなメールが院生仲間のやまちゃんから届いていました。
「かわいい、かしこい、笑顔がいい、三拍子揃ったお嬢さん!お子さんのことで悩んでいる人がいたから、「学校へ行きたくないって言ったら、教室に来て、横で待っていてもらえばいいじゃない!」と今日「昨日の可愛い見学者」のことを話したんですよ。」
 だって。嬉しい!SKIPで「ママが勉強する時は静かにしてね」ってそうやって積み重ねていた事があったから私も連れて行けたわけだし、周りの理解があったから実現したわけだし…。
 ここで話が終わればいいのですが、サホが昨日から発疹。みずぼうそうと診断されました。もし誰かにうつしていたらどうしようかと、やはり気をもむ私でした。院生仲間に言おうかな、やっぱり黙っていようかなって、うわー、天使と悪魔がささやく夜なのでした。


2000年6月24日 子連れ授業その後

 ちょっと前に子連れで授業を受けたことはお話しました。実はそれが・・・。
 一昨日になって、院生の一人(定年退職後の男性)から「この間の子連れはまずかった。 以前、小学生の子を授業中、院生室で待たせた人もあったらしいが、子連れで来るとは言語道断だ。二度とあなたのような事を真似するような人はいないと思うが、私は一年生をまとめる者として二度と無いように、言っておきます。」
 勿論黙ってはいなかった。良い事をやっているとは思わない。それにできれば連れてこない方法をとりたい。しかし現状はそういう選択しかとれない事があるのだ。それを同じ学生の立場の人に、とやかく言われたくない。(ちょっとこの人は、日頃からおせっかいだったので)私は院生室で子どもが待ってることが悪いとは思わないし、私の子がもっと大きかったらそうしていたろう。二度としないとは今後の人たちのことを考えても言えない。まあ、そんな風な事を言いかえしました。
 私としては徹底抗戦を今後広げるべきかと同じ学年の子持ち組みに相談を持ち掛けました。でも、所詮この人が言ってるだけの事だから、無視しよう!なんて結論になりました。それより、そんなうっとおしい話を聞かなくてすむ別室(院生室は2室有る)に来れば?といわれ、そうだな、わずか2年の院生生活でわざわざそんな嫌な思いする事ないよなって考えてました。
 ところが今日、研究科長の先生に呼ばれました。長年、福祉政策論をされている先生のようです。喧嘩の相手がわざわざ私の事を言いに行ったようなのですが、先ずは先生に「授業に子どもを連れていくのはまずい」と言われました。私は誤解されていてはとの思いもあって、いちから聞いていただきました。
 先生はそんな事は全てわかっているとのことでした。その上で、「問題はそんな事で解決はしない。しかもあなたのような人がこの学術ゾーン(うちの大学近辺のことね)に、どれほどいることか。だから、そんなことやってないで、本当に問題を解決するために動くべきだ」と言われたのでした。「問題は病気の子どもを預かってくれる施設が欲しいということ。それを実現させましょう。私はその動きを応援するし、この学術ゾーン全体のあるいは働く女性たちのために、県大はそれを実現させる義務があると思う」そんな風に言われました。
 私はそれまで、正直、たった2年だからなんとなくみんなと上手くやって、適当に理解してもらって、進んじゃえば良いなあって思っていたんです。だからそんな大きな話として考えた事が無くて、それに院生生活は本当に勉強勉強の毎日で、時間がないこともあります。先生がそんな風に理解してくれるのであれば頑張るしかないかなあという思いと、内心、おもーい気持ちも引き摺りながら、院生室に戻りました。
 そこでみんなに話すと「たしかに私たちだけの問題じゃないね」って口々に言ってくれて、嬉しかったのは子どもを持たない女性たちがこれは私たち全員の問題だから頑張ってみよう、といってくれたことです。
 そうだなと思って帰宅。ちょうど運良くミイちゃんから電話があり、聞いてもらいましたが、でもまだうーんうーんと、だんだん週末になるとばててくるせいもあるんですが、ぐずぐずしていました。
 相棒の帰宅後、この話をすると、「サホのために頑張るんだと思えばいいジャン」とあっさりいわれました。ほんとうにそうだった。私たちがいろんな道を作ってもらっているみたいにそれが我が子の事に最後は帰ってくるんだよね。
 とりあえず、頑張ってみようと思います。みんなからも力を貸してもらわなくては行けないかもしれません。その時は宜しく。


2000年6月25日 もっと大きな「私たち」になれるかな

 今日、F先生に呼び出されたので行ってみると、「さっき、『ほるほる』見たよ。」と言われた。ぎょえー!なんで知ってるのお?たまたま私の取り組んでいる徐福伝説を検索していて、見つけてくださったらしい。同じ学内で事件の成り行きを良くご存知の先生が読まれるとは、考えてもおらず、とっても照れくさかった。F先生は、「本音も書いてあるところがいいじゃない。僕も君の相棒と同じ意見だね。」と言ってくださった。全くご専門の分野とは違うのに、託児施設についての情報も調べてくださっていて、とても励まされた。
 帰宅すると、私が子連れで聴講した授業の先生が、悪いのは君じゃないというメッセージを届ける、院生からの留守電が入っていた。先生の好意を結果的にはご迷惑かけてしまったなと気になっていたので、とても嬉しかった。
 院生室内で巻き上がった竜巻が、知らない間に、先生方の間でも旋風となっていたのだと思うと、わたし一人じゃないなって心から思える。そして、メールを開くとやっぱりそこにも声・声・声…。

みーちゃんから
 これこそ、われらがシホが、「学生する」意義みたいな事件ですよね。ほらほら、岡さんの、「私の問題は一人の問題ではなく皆の問題であって、女性の問題、社会の問題でもあるのです。」って声が聞こえてきそう?!そして、まさしく私たちの娘たち(次の世代の女性達って意味でのね。)の問題でもあるのですね。う~む 
 もちろん、応援させてください。子どもも、おとなも、年配のかたも、妊婦さんも、そのほかいろいろな条件の人が一緒に生活しているのがあたりまえの姿のはずなのに、、、そうでないのが今の日本、、、だから私たちSKIPしてるのですものね。きっと、みんなも応援してくれるはずです。
 そういえば、以前、東邦短期大学の講座で、大学の多い区(千種区?名東区?)から学生のこどもも公立の保育園で預かるように変わったというような話しを聞いたことがありました。そして、以前、大学に常設の託児施設が作れないかと動いていた方があったはずです。(彼女の案は、地域の親が皆使えるものとしたかったようですが。)病気の子どもを集団のなかで預かるのって難しいよね。たしか、まゆちゃんちの子の保育園で一時期実際に、別室でやっていたような気がします。(もちろん軽い子ね)
 あとは、てらちえがしている、自宅で子どもを預かってくれる保育ママの制度ではどういうルールなのかなあ?
 以前、ウイルあいちであった何かの分科会で三重県かどこかの小児科の先生本人が、自分の医院では、病気の子を預かるシステムをつくり実際におこなっているって発言していました。ただ、思ったより利用する人が少ないとも。今日、思いついたのは、これくらいでした。

まるきたちゃんから
 2000年にむけて,大きなネタができましたねえ。さすがシホ,転んでもただでは起きん(って,この場合はちょっと違うのか...)
 エリア的に名古屋東部となると,いろいろと地元の情報は遠くなりますが,そこはそこ,日進チームもおみえだし,天白支部(どっちかというと最近は本部だね)もあるし。
 具体的にどこからいくの?とりあえずプロジェクト名,考えてるってのはどうでしょう?今 学会の仕事でも これからの学会の仕事を考えるワーキンググループを作ってまして,その名も「実行部隊730」と呼んで,盛り上がっております。やっぱ何かやるときはまず チーム名だよね。あれ,本題からはずれましたね....

 
すぎちゃんから
 これは、池田市の社協がやっているMLに流したのだけど、なんか、すごーーい偶然を感じるわ。今度、トランタンサロンでこんなのするのよ。できれば、シホちゃんにも聞いてほしいわ。シブリンみたいに新幹線乗ってくるかい?
 小田さんいわく、厚生省はね、現存の病児保育施設さえも、減らして派遣制度をとれ、みたいなこと言ってるんだって。そんなアホな話があるかい?子どもの熱ってのは、大体夜中から明け方に出るもんだ。早朝いきなり保母の手配ができるとは思えないし、「明日、うちの子熱出すのでよろしくー」なんてこと有り得る???だから、新たに作ることはとっても大変みたい。でもね、がんばってね。応援するよ。
 育児休業だって、私らの先輩女性たちが長いことがんばってやっと実現したじゃない。私らの子どもが大きくなってしまっても、次の世代の子育てには活きるよ。女性、とくに子育て中の専業主婦の視点は「我が事」だけに陥りがちだけど、その先生はさすがだね。小田さんから何か、資料とかアイデアもらえそうなら聞いとくね。

○トランタンサロンのお知らせ○
6月26日(土)10時から正午・ドーンセンター中会議室にて
 「病児保育所の保母として」病児保育所の保母さん、小田文江さんをお迎えしてお話を聞きます。
 働く母親にとって、子どもの病気は辛いもの。そばにいてやりたい思いを涙でこらえてでも仕事に行かないといけないこともある。でも、この子はどうしたらいいの?母親ばかりが仕事を休まなければならないの?そんなとき、安心して預けられる場所があれば、どんなに助かるか・・・。「病気の子も元気な子も同じだけ大切。ママ病気になってごめんねと、子どもに思わせることなく、安心して預けてほしい」とおっしゃる小田さんは働くお母さんのつよい味方です。現場で働く保母として、また自分自身2児の母として、子育てのこと、そして行政の病児保育への実態など、お話を伺います。
参加費1000円・保育ひとり800円(0歳~未就学児、おやつ・保険込み)

 とにかく丸ごと嬉しいです。自分の中で楽しんじゃうしかないなって気持ちになってきました。昔、女性センターを考えるというテーマで、「わたしがわたしたちとして出会える場に」といった題の文章を書きました(『あごら』238号所収 「「私」が「私たち」として出会い、大きな声をつむぐ場に-子連れの目から見えること-」)。けれど、大切なのは「場所」ではなく、そんな「わたしたち」が実感できることなんだよね。今よりもっと大きな「わたしたち」になれるかな。


2000年6月26日 すがすがしい週末

こういう時だから、発表授業は満足できるものをしたいと思っています。今日は漢文研究授業の発表用資料で、いくら捜しても見つからなかったものが、見ている資料の視点を変えたことで、あっさりと出てきてくれて、見つけ出すまでのここ数日の苦労が報われました。見つかった瞬間は、ドキーンとして、頬擦りしたくなって、今日は本当にその文字を撫でてしまいました。あー、良い週末!!
 さて、院生室では、今日、現役生のアンちゃんがこんな事を言っていました。「わたしお母さんにこの話したのね。そしたら、すごいって。嬉しいって。良い先生持って良かったねって。」あー、きっとアンちゃんのお母さんは自分の事と感じてくれたんだね。

横浜のヒラリンからは
 がんばれ!シホ!!こちらの友人の中にも、この春から大学院に行ってる人がいて、5歳(年中児)の息子をどうしたものか・・・と随分,悩んでいました。今は、幼稚園(ちょっと、普通のとちがうんだけど・・・)と、近隣の友人たちにお願いしてなんとか、のりきっているようです。でも、入学して、はじめてのオリエンテーションの日は、子連れで出席したそうです。「あのー、今日だけですよね・・・授業には・・・・」と言われたそうな・・。即座に、「はい、連れてきません」と答えた彼女も、今後綱渡りのような状態が続くことが予想されます。こんなふうに、いろんなところで、同じことで、とっても困ってる人がいる!!がんばれ!!シホ!!
 追伸:そのうち、老人介護をしている人から、痴呆老人の託児付き講座ありませんか?などという問い合わせも、くるようになるのでは・・・などと思ってしまいました。ちょっと、はずれてるかもしれないけど、子育て、その次に待ってるのは老人介護だもの。どこかでジョイントさせて考えておきたいな。

 
お友達の院生、それはなかなか気の重いスタートだったろうね。そして、高齢社会の問題も、すぐに起こりうる問題だと思います。子育てと違って、どんどん負担が大きくなってくるものね。

保育サポーターのネットワークを準備中のてらちえからは
 この話を聞いて、一番に連想したのは『五体不満足』です。この中で、オトタケ君は言ってます。誰でも何かの使命を背負って生まれてきたんだ、と。だから、シホは中国の不老不死云々とこの問題と2つのために生まれてきたんだよ。シホはまったく考えてなかったと言ってるけど、これ、以前言ってた美術館に託児を!と同じ線上にあるよね。力になりますよ。あのあたりに、保育科の学校なかったっけ?新しく建てる、これが一番いいんだけどね。山積の問題でも、大勢でやればきっと切り崩せるよ。オトタケ君はこうも言ってます。ぼくはたまたま早く(自分の使命に)気づいただけだ。32で気づくのは早いか遅いかは別にして、なんかうらやましいよ。見つけられて、おめでとう。

職場での問題もどんどん乗り切るノノマミからは
 まあ、そんなことわざわざ言ってくれる親切(?)なひとがいるのねぇ。その時の「はぁ~?」から「何言ってんだコイツ」への気持ちの流れがよくわかる。でも、考えようによっちゃあ立ち上がるのには絶好のシチュエーションじゃない?何もないところからは何も生まれないけれど障害があってクリアしたと思いきや大きくしてくれるなんてさ。シホの時間不足と精神的なプレッシャーはよーくわかるけどせっかくだからねぇ。もちろん、私たちでできることでしたらなんでも協力するよー。うーん、やっぱ手っ取り早いとこで学園祭ですか?みんなで乗り込むってのもいいねぇ。

そして、マイペースのカヲリンからは
 この日本の社会が、男性優位になっていることに気づくのは、女性と一部の男性だけなのかなぁ 残念です。小さい子どもがいて主婦業をしながら、大学院で勉強する……並大抵のことじゃないと思うんだ。悠々としている人に言われたくないなぁ。子どもを持つ母は勉学するなということか!!と思ってしまいます。みんなのおーえんメール見ていたら、なんだか涙でちゃって、とっても大変な事になるかもしれないけれどくじけないで、がんばっていこうよ!!がんばれ!! シホ!!

そしてオカクミさん
 そうなんです.オカクミが浜松で仕事をはじめるときに、学童保育所を作ったのもこれです.下の娘の小学校入学に対して、団地の元小学校の教師だった友人に個人的に頼んで、自分の子どもだけのことは解決するんですが,でもそれもその人に負い目を感じてお願いすることになるので、継続することまで考えると、個人と個人の契約だけでは不足だなあと考え,そして,私と同じ立場の人が助け合える方法をと考えて学童保育所を作りました.
 あなたを呼び出した研究科長の先生は、名古屋でのパイオニアです.わたしもいろいろなところでご縁のある方です。最近では、名古屋市の女性白書もご一緒に執筆,彼女は座長です.女性会館の運営審議会でもご一緒の時期がありました.たしかもうじき定年で退官されるはずなので、彼女がおられる間にバックアップしていただいて体制づくりをしたほうが良いと思います.時間的にきつくて大変かとは思いますが、やってみませんか.みんなで応援しましょう。

 
 ああ、来年からは学童の問題もやってくるのでした。わが町はあまりにも遅れていて…。オカクミさん、いろいろ教えてください。

そして最後にクニちゃんから
 がんばれシリーズ読みました。いい方向に向かうといいね。私も応援します。しかし、実現に時間がかかるようなら、多分大学に一番近い?我が家をご利用ください。病気のピークのときは自信がありませんが、幼稚園にはどーもというときは、我が家にお預かりしましょう。そのかわりワードを教えていただくというのはどうでしょう(冗談だよ)。とにかく、助け合いです。考え方を変えていくには時間も必要ですね。外国ではどうなっているのでしょう。ま、遠くの親戚より・・・・というやつで、頼りたくなったら、頼ってください。

 
 みんな本当に本当に有難う。みんなの声を聞いていると、それぞれ自分の中で、自分自身の問題にしてくれているところが嬉しい。そしてその声は、決してわたし一人に向けられたものではなく、もっと遠くに!もっと大きく!向かっているように思う。本当に力が湧いてくるよね。洗濯物ののれんが部屋中を飾っていても、なんだかとってもすがすがしい週末です。


そして上記に登場するF先生(!)がすぐに紹介くださって、中日新聞に書かせていただいたのでした。

「中日新聞」文化欄 千字百花 2000年6月30日



大学院と子育て

 「子どものことならいつでも言って。預かるよ」
 友人たちの温かい言葉に励まされて大学に向かう。子どもの就園を機に大学院に通って二年目。先生方と学友たちに恵まれて、独学では成し得なかった研究の一歩一歩を積み重ねている。
 子どもたちは、まだ四歳と六歳の手のかかる年齢。帰宅後は、なかなか研究時間がつくれないけれど、夫と子どもたち、そして遠方ではあっても互いの両親が私を支えてくれる。何よりも嬉しいのは周囲の理解。さまざまな協力があって、大学院生と子育ての日々を過ごしている。
 こうした日常を揺さぶるのは、子どもの体調。深夜になって、子どもの様子がおかしいことに気づく。心配は子どものことから、次第に明日一日をどう乗り越えたらよいかという不安に変わる。また授業を休まなくてはならない。
 ある日、どうしようもなく子連れで授業に臨んだ。担当の先生と大半の学友の温かいまなざしに救われた。しかし、「子連れなんて」と異議を唱える人もあり、子連れに対する厳しい目があることも痛感した。
 子連れを非常識と言うのは簡単だ。「非常識」にならないためには休めばよい。しかし休むことで、私の目の前にある問題が、無くなるわけではなさそうだ。子どもの事情で身動きが取れなくなることは度々ある。そうした場面で請け負うのは、結局は母親だ。そしてそれはいつまでも「仕方がない」ことなのだろうか。それとも冒頭の言葉を頼みに、どんな時も身近な友人に甘えるのか。彼女に代わって、公が優しい手を差し伸べてはくれないだろうか。一時しのぎでは、根底にある問題はなくならない。
 今、社会人学生は確実に増えているだけでなく、「社会人」という言葉では抱えきれない、それぞれの生活背景がある。その中には、「私」が私であるために、自分の時間をつくろうと通う、子育て中の母親も大勢いる。ところが半ば出産で休学し、子どもの預かり先がなく、復学できずにいる人もいる。大学内に、あるいは大学が点在する地域に託児所があれば、私たちが心砕く問題を解決する糸口となるのではないだろうか。
 大学院生となって気づいたのは、出産・育児という体験は、決して自分の中のブランクではなかったこと。一人ではできないこともあり、それを手をつなぐことで可能にすることも知った。だからこそ、「子どもがいるから」と気後れせず、「子どもがいるからこそ」頑張れることを確信したい。公の施行を待つより早く、私たち自身のネットワークが、乗り切るほどの実力を既につけているかもしれないのだから。


 これが17年前のことでした。あのときこんなにたくさんの励ましをいただいていたんですね。だからきっと乗り越えてこれたんですね。
 でも17年前とどれだけ変わったんでしょう?あのとき確か上記の新聞記事をみた方が私のメールアドレスを探し出して、「子育てなんてあと数年のことなのに、子どもがかわいそうだと思わないんですか?みんな我慢してきたんです」と諭すようなメールを送ってきた方(女性)がありました。
 きっと17年後のいまも、あの熊本市義のところにはたいへんな量のそんなメールが届いていることだろうと思います。がんばれがんばれ!それ以上にたくさんの人たちが励まされ、よし私も頑張ろうと思っています。わたしもそのひとり。いま思えばもうちょっとうまくやれたかなって思うところもあるのだけれど、それは17年分年とったからいえること。ストレートに気持ちをぶつけることの気持ち、行動できる気持ち、もう一度思い出させてもらいました。
 
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