誰にでも心に「良心」はあるようだ。
悪い事をした時、後ろめたいことをした時、意に沿わぬことをやった時等には、「良心」の呵責に悩んだことだろう。
この「良心」てなんだろうと考えたことがある。
「聖書」にあるように、人にはそれぞれ神様の神殿が備えられているという。
これが「良心」の居場所ではないだろうなか。
「壁に耳あり、障子に目あり」と言って、神様はすべてをお見通しだ」と、
子供の頃云われてきたが、「良心」に訴える言葉だ。
「良心」は反省・悔い改めの起爆剤があるように思う。
「良心」に背くことはしないことだ。「良心」は人生のチェック機能になっている。
竜 安 寺 の 庭
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