りたいあまん

リタイア後どうしたら充実した人生を送れるか。日々模索しています。

曽野綾子『夫の後始末』を読む

2018年07月25日 | 日記

 物騒なタイトルもさることながらサブの「夫90歳、妻85歳」
というのにも惹かれて読むことにしました。
我が家では妻が彼女の著作を時々買ってくるが私はあまり
まじめに読んだことがありません。理由はいくつかあります。
さて、曽野綾子は夫の三浦朱門ともども世間によく知られている
人ですね。二人ともずいぶんと長生きだしその活動も実に長期間
にわたています。
曽野綾子については、かって政治・社会問題での発言を
めぐって物議をかもしたことが幾度もあります。
私が知るかぎり、彼女はかって震災の被災者や高齢者を
弱者扱いをしたことがあり、彼らの甘え(と曽野はとらえて)
高齢者・弱者を糾弾したのです。これは上から目線でしょう。
 それはさておいて、今取り上げているこの本。
あれほど元気だった夫の三浦朱門もついに認知症を避けて通る
ことができない羽目になる。普通ならこの時点で病院あるいは
ホーム等で介護生活に入る人もいます。だが曽野綾子はそれを
やめて自宅介護をすることにしたという。彼らには古いながら
も大きな家があり介護人や手伝いの人も身辺にいくらでもいる
という環境ですから一般の人とは違う。
そうした特殊な事情をここでいちいち取り上げても仕方がない
ので、これはと思うことでなおかつ誰にでも当てはまりそうな
ことを少しあげてみます。
実は曽野はかって実母を介護したことがある。その時の
体験でおもしろいことが分かったという。
それは「そんなことで人は死なない」というものです。
たとえば「少しぐらいゴミがあっても死なない」「少し
ぐらい食べなくても死なない」「少しぐらい汚くても死なない」
等々。
この曽野流の「いい加減人間」になるという生き方はこれから
介護する人らには必要なことであるかも知れない。何でも完璧
にやろうとすると早晩行きづまってしまいそうだからです。
介護という仕事はそれだけ大変なことなのだという覚悟は必要
なのかもしれません。
コメント (2)
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読書は朝の涼しいうちに

2018年07月21日 | 日記
 リタイアして良かったことの一つに一日の時間を
自由に配分して使えるようになったことです。
そこで読書などのデスクワークは午前中にすませる
ことにしました。朝のうちの方が涼しいからです。
子供らに「勉強は朝の涼しいうちに」と言ってきた
ことを今度は自分が実践する立場となりました。
人間の体は使えば疲労するものですが、目は特に
そう感じます。夕方から夜にかけては目の疲労感が
増してきて気力がそがれます。
 さて、今朝の読書は昔読んだ本の再読です。
『文士の魂』(車谷長吉著)を読み直しました。
再読する場合は全編に目を通す必要はない。
自分が感銘をうけた箇所などに重点的に目を通して
ゆきます。マーカーなどで印をつけてあるのです。
この本は直樹賞作家である車谷長吉が読んだ本の
批評あるいは読書遍歴とでもいうものです。
そのなかに「大衆小説の読者」という章節があります。
そのなかで氏は司馬遼太郎を取り上げ、次のように
述べています。『坂の上の雲』はたしかに優れた
小説であることを認めたうえで、
 「私はなぜ読まなかったのだろう。いまにして
思えば私には司馬文学に対して一種の臭覚が働いて
いたのである。それは、司馬の小説は日本歴史の
あるいは日本社会の指導層にある人々を描いたもの
である。それを読むのも、自分が会社の指導層に
あるか、あるいは将来自分もそういう立身出世者に
なりたいと思うている人達ばかりである。中略。
そういう人達が私に「お前も読め」と言うのだった。
私は世のえらい人などになりたくはなかった。」

この部分は私が共鳴しかつ感銘を受けた部分です。
車谷長吉という作家の反骨精神が如実に現れて
いるように思えるからです。
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古楽の楽しみ

2018年07月12日 | 日記
毎朝の目覚まし時計を六時からのFM放送を鳴らして起床しています。
放送は「古楽の楽しみ」という番組で、主にバロック時代の音楽が
流れてきます。
バロック時代(その後のロココ時代も含めて)の三大巨匠といえば
バッハ、ヴィバルデイそしてヘンデルですね。
この数日というものFM放送の「古楽の楽しみ」では大バッハを
取り上げていました。
案内人はかの鈴木優人(すずき まさと)です。
この人のしゃべりは声もさわやかですし明快な語り口でわかりやすい
のがいいですね。目覚めもすっきしです。
鈴木優人のプロフィールを見ると、指揮者、作曲家、ピアニスト、
チェンバリストなど多種多彩な活動がめざましい。
オランダの某大学院のオルガン科を主席で卒業とまであります。
現在オランダ在住とのこと。そう言えば放送中にオランダの話が時々
出てきたのを思い出します。
バッハの曲は好きなものがたくさんあります。なかでも先日放送の
「管弦楽組曲第二」が好きですね。

さて、バッハと並んでヘンデルも抜かすことのできない作曲家です。
好きな曲を一つあげると、「オンブラ・マイ・フ」です。
このゆったりとしたラルゴはバッハの「G線上のアリア」と並んで
心をいやしてくれる名曲ではないでしょうか。


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老惨とは?

2018年07月04日 | 日記
老残という言葉はあるが老惨は辞書にはない。
著者が思いついた造語でしょう。
著者とはかの石原慎太郎です。
辞書によれば「老残」とは年をとってむなしく生き
ながらえること。とあります。
最近発表された彼の著作によると本人の身代わりとも
思われる或る作家の年齢は85歳である。
彼が一番興味のあるのは死ぬこと。
「五年前にあの脳梗塞をやって以来体が完全には
いう事を聞かなくなって今じゃ全身汗をかくような
スポーツも出来なくなってしまった。そんな自分が
忌々しくって自分を持て余している心境だよ。
だから多分もう目の前の俺の『死』についてばかり
興味があるのさ」というのである。
そして、この作家が今一番知りたいことは
「俺はどういう死に方をするんだろうね」という
ことです。
これは作家でなくても誰もが思うことです。
わたしも思っていますから。(笑)
さらには「来世というものが本当にあるのかね」
などという疑問をなげかけている。
これほどまでに名をなした大作家でも考えることは
案外我々凡人と変わらないものなんだな、と思いました。

                文学界七月号より
コメント (4)
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