古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

大分八幡宮(北九州実地踏査ツアー No.13)

2018年01月03日 | 実地踏査・古代史旅
須玖岡本遺跡の次の訪問地は大分(だいぶ)八幡宮。ツアーを企画した最初の時点では予定に入っていなかった。というよりも大分八幡宮の存在を知らず、須玖岡本遺跡の次は福岡県飯塚市にある立岩遺跡へ行く計画を立てていた。ところが、9月に大阪で受講した公開講座でこの大分八幡宮の存在を知ったのだ。三大八幡宮のひとつである筥崎宮の元宮であり、宇佐八幡宮の本宮でもあるという。

宇佐神宮(宇佐八幡宮)の公式サイトによると「全国約11万の神社の うち、八幡さまが最も多く、4万600社あまりのお社(やしろ)があります。宇佐神宮は4万社あまりある八幡さまの総本宮です。」とある。宇佐八幡宮は全国の八幡宮の総本社だという。だとすると、その総本社の本宮である大分八幡宮こそが本当の総元締めということになるではないか。

いずれにしても、応神天皇と神功皇后の痕跡を訪ねるこのツアーとしては、八幡神である応神天皇を祀る八幡宮の総元締めに行かないわけにはいかない。調べてみると、なんと立岩遺跡に行くほぼルート上にあるではないか。9月の公開講座に行ってなければ知らないままだったと思うとラッキー、というよりも後で知ったとするとえらい後悔しただろうな。

正面から。

前面の道路を左手から右手に通過して境内右手の駐車場に入るというのが正解なのですが、ナビの案内に従うと神社手前を左折して神社の裏手にまわってしまった。つきあたりにはおそらく宮司さんのご自宅だろう、新しい立派な家が建っていました。

狛犬。


左(写真上)の狛犬は後ろ脚で、右(写真下)のは前脚で二足立ち。なかなかかわいい。

由緒。

神亀3年(726年)に創建されたとある。記紀が奏上されたあとということだ。

応神天皇産湯の井戸。

この井戸の水を応神天皇の産湯に使ったという。応神天皇が生まれたとされる宇美はここから西へ山越えで十数キロ。八幡宮の総元締めだからこその伝承だ。

大楠の樹。

神功皇后が三韓征伐から帰国の際に持ち帰った3本の楠の内の1本の子孫であると云われている。推定樹齢は約350年、胴回りの径は約9メートルで福岡県指定天然記念物。

社殿。



拝殿、本殿とも平成7年(1995)に改築されたものらしい。

旧社殿跡地。

創建当時の社殿は現社殿後方にあるこの丘陵上にあったという。戦国時代に戦乱のため消失、天正5年(1577)に現在地に再建された。この丘陵地は全国でも珍しい皇室古墳埋蔵推定地「仲哀天皇陵」として考古学者の学問的期待をかけている聖地だという。登ってみたかったが、雨でぬかるんでいたのと、宗像大社見学の時間確保のために断念して車に戻った。

社殿左手に建っていた碑。

1億円の奉納だって! 宮司さんの家、新築っぽかったなあ。

この大分八幡宮は趣のある神社でした。なぜここが八幡さん発祥の地とされるのか、八幡信仰の成立について調べなければ。


次は立岩遺跡、私が不弥国と考えるところだ。

途中、内住川の堤防上の県道60号線沿いにあるうどん屋さん「松田屋」でランチ。乳飲み子を背負って接客する若いお母さんががんばるお店。安くておいしかったです。