貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

夙川(しゅくがわ)

2006-03-29 14:49:57 | 想い出話
京阪神間の大手私鉄「阪急電鉄」神戸本線に夙川という駅があります。
地元の人間でなければ、「たこがわ?」と読まれたこともあります。
たしかに「凧」という字に似ていなくもない…

阪急電鉄は、元京阪神急行電鉄という長い名前で、会社のマークも大阪・神戸の市章を
合体させたものという安易さでしたが、現在は変わっています。
宝塚歌劇の親会社としても有名です。
私らにとって懐かしい旧マークは、検索してみましたがなかなかヒットせず、こちらの入場券の
画像右下にかろうじて…
もう25年以上前に死んだ親父が復員後、長い間勤めていた会社でもあり、私も神戸時代
2年ほど通勤(神戸線)で利用していました。

夙川は大阪・神戸の真ん中「西宮北口」の一つ神戸寄り、親父が勤務していた駅でした。
駅そばを流れる夙川河畔が、関西では有名な桜の名所「夙川公園」。
子どもの頃、親父に連れられ夜桜見物に行ったこともあります。
夙川で分岐する「甲陽線」の沿線は、当時芦屋とならぶ高級住宅地で、以前に書いた
「幸之助はん」の自宅が「苦楽園口」の近く。
終点「甲陽園」には昭和天皇が泊まられたという高級旅館があり、そのお部屋とお風呂を
見せてもらったことがある、と親父が言ってました。

笑い話
親父が夙川駅に勤務していたとき懇意にしていた駅前の果物屋さんで、買ったものか、
もらったのか忘れました(たぶん後者)が、「すいか」一玉をバイクに積み姫路から
自宅まで帰る途中「落っことす!」という大事件発生!
当然割れてしまい、持って帰るのもなぁ…と、道端に座り込んで食べ始めたそう。
通りがかったタクシーの運転手さんが「どないしたん?」、親父「アンタも食べるか?」。
あくる日、家族で姫路に出かけたとき、バスの窓から残骸を指差して「アレや」。
割れとってもえーから持って帰って欲しかった「食べ盛り」の私達に向かって、
「甘うて(あもうて=甘くて)、うまかったでぇ~」、なんちゅう親父や!

「ある愛の詩」に対するコメントがきっかけになって、いろいろ想い出しました。

「限界集落」

2006-03-29 03:21:02 | 季節の話題
3/27付から朝日の1面に「地方は…限界集落から」という特集記事が掲載開始され、
四国・高知県の大豊町が取り上げられています。
「限界集落」というのは、65歳以上の高齢者が住民の50%を超えた過疎地の集落のことで、
共同体としての機能が急速に衰え、やがて消滅に向かうという概念から生まれた造語
だそうです。
大豊町そのものが、高齢化率50%に達し(全国5位)、町自体の存亡も危ぶまれるという
局面に立たされ、様々な模索がされているそうです。

高松~高知の国道32号沿いの中心部はまだしも、国道439号線(通称ヨサク)で徳島側に
抜ける「京柱峠(きょうばしらとうげ、標高1120m)」へ向かって登っていく途中、
ほとんど人気(ひとけ)が感じられない、そんな集落が点在していたのを憶えています。
そこまで行かなくても、高松から高知までの山間部、吉野川沿いの国道や土讃線から
見上げるような山の中腹にポツリポツリと民家が見えますが、そこに住んでいる人々の
「暮らし」というのは、どんなものなんだろう?と考えざるを得ません。
地方とはいえ便利な高松に住んでいると、ついそういう「過疎地」に住む人々のことを
忘れてしまいがち。

記事に書かれている、'60年代から農山村の働き手が現金収入を求めて都会へ出て行き、
その後の林業の衰退が過疎化に拍車をかけた、というのは大豊町に限らず、日本全国
どこでも似たようなことなのでしょう。

いわゆる'07年問題で大量に発生する「定年退職者」が、過疎地になった「いなか」に
戻り、あるいは移り住んで、既製の「町おこし・村おこし」ではない新たな「再生」への
知恵を出してくれないものか…