先日、息子と、実家の縁側に腰かけて、暮れていく空を眺めていました。
あまりにも美しい彩りに、目をはなすことができませんでした。
そして、想いました。
“ああ、なくしたくない、こんな時を”
こんな時間を生きることこそ、わたしが生まれてきた意味だとすら、思うのです。
森を歩く時間、
ゆっくりと煮物をする時間、
手紙をしたためる時間、
本を読む時間、
子どもの話をじっくりと聴く時間、
空や星を眺める時間、
鳥の歌を聴く時間。
これらの時間を守るためにこそ、生きたいと思います。
これらの時間を持つためなら、他のことをすんなりと手放せる。
忙しすぎる生き方や、
なくてもよい便利さは、
わたしには、似合わないから。
先日会った友人は、スマートフォンを、旧来の“携帯電話”に替えていました。
“少し楽になった”と、笑って言いました。
その“少し”が、その人らしさを取り戻す大きな一歩になる。
素敵でした。
この家には、まだまだ、わたしに似合わないものがあります。
わたしに似合わない“事”も。
ひとつひとつ、手放していきたいと思っています。
本当に大切にしたいもののために。