ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

山小屋会議はじまる

2017年11月30日 | Weblog
父と息子が、設計図を描きながら相談しています。

来春建てたい山小屋。

今度は、三角形の、マタギ小屋。

もう解体しなくてもよい小屋。

ずっと使える小屋。



「直径50センチの丸太をそのまま骨組みにしよう」

「小さい二階も作ろう」

「床は真ん中に杭を打って・・」

「まずは丸太の皮剥きからだな」

「昔は剥いた皮を屋根に張っていたんだよ」

「それは栗じゃないの?」

「栗もあったが杉も使っていたんだ」

楽しそうな二人。



わたしは思いました。

山小屋ができても、できなくてもいい。

いま、こうして、父が嬉しそうにしている。

生き甲斐と、未来への夢を持って、父が生きている。

息子がワクワクしている。

それだけで十分なんです。


来春、みんなが元気でいるかなんて、わからないもの。

大事なのは、いまという時。

今日を、どんな気持ちで生きたかということ。


息子が夢を持って、楽しく豊かに過ごせたかどうか。

父が、生き甲斐を感じて、張り合いを感じて、過ごせたかどうか。

もちろん、わたし自身も。


この連続、この積み重ねなのだと思います。

何回積み重ねられるか、誰にもわからないから・・


今日という日は、本当は、未来のどんな夢よりも、輝いているのではないかしら。

小学校に詩の授業

2017年11月29日 | Weblog
新発田市の小学校に行ってきました。

詩の授業に呼んでいただいたのです。



詩の大きな単元の中で、いくつかの詩を取り上げ、

意味やテーマ、読み方などを学んでいきます。

その中に、わたしの詩も選んでいただきました。


『かぞえうた』

『ついてくる』

です。



今回、授業に呼んでいただきましたが、すごく嬉しい初体験がありました。

それぞれに読み方を工夫した子どもたちが、次々に読んでくれたのです。

次はわたし、次はぼく、と。


自分の詩を読んで聞かせてもらうなんて、本当にはじめて。

一人一人、すごく工夫して考えて読んでくれて、胸がいっぱい。

どの朗読も、素晴らしかった。



先生と子どもたちの、溢れるエネルギーについていくのがやっとの授業でしたが、

とても楽しく、感慨深く、幸せな時間でした。


ありがとう、子どもたち。

ありがとう、先生方。

『時計坂の家』

2017年11月28日 | Weblog
わたしの友人には、高楼方子さんの本が好きなの、という人が何人かいます。

わたしも、この人の描き出す世界が好きです。

わたしが一番行きたいところ、わたしがずっと親しんできた世界に、近いのです。


一致するわけではありません。

この人が連れていってくれる世界は、わたしのものより、ちょっと怖いのです。

でも、もしかしたら、わたしの世界の奥にも、この怖さが眠っているのかもしれませんが。



好きなお話がいくつかありますが、『時計坂の家』は特に好きです。

あの世界を描くのに相応しい画家さんによる挿画もいい。


わたしがよく知っている不思議さ。

ちょっと怖いところが違うけど、惹かれて止まない感じはおんなじ。

魅惑的で、懐かしくて、

読み終えたらしばらくボンヤリしてしまうような本。



人とは違う(と感じる)感覚を持ち、その世界をひっそりと生き、それを表現する甘美な感じ。

こんな本(作家さん)に出会うと、嬉しくなります。

わたしも、そうした感覚をもって生きているから。



どんどん表現していい。

その人だけのものを、少しだけ、他の人も見られるように。

そこに親しい人にも、そうでない人にも、たぶん、魅力的なものだから。



健やかさにも、憧れながら、

やはり、持って生まれた感性を愛しく思う。


だから、こういう本、作品も作家さんも、大好きです。

何かあったら“好転反応”

2017年11月26日 | Weblog
しばらく更新をお休みしてしまいました。

息子が軽く風邪をひき、次にわたしがひき、

そのわたしの風邪は、お腹に激しく、随分消耗しました。

昨日からようやく、やわらかいものを食べることができ、

今日は、だいぶ起きていられるようになりました。


風邪、それもお腹にくるものは久しぶりで、何もかも全部出てしまった感じです。

真っ只中にいる時は苦しいものですが、そこを過ぎてしまうと、いつもの“ありがたがり”が戻ってくるわたし。

今回は、どうありがたいかというと・・。



「半身浴」と「(なんちゃって)塩浴」をずっと続けていますが、これらのことから学んだ考え方があります。

それは、

なにか症状が出たら何でも好転反応と考える

というもの。


半身浴を長く続けていると、そのうちに様々な症状が現れます。(時期や程度には大きく個人差があります)

それは、例えば管に張り付いていたゴミが、とうとう剥がれ出てくるようなもの。

本当にきれいにするためには、悪いものが出てこなくてはなりません。

ですから、何かあらわれたら、“ああ、とうとう出たな。よかった。”となるのです。

しつこいものほど時間をかけて出てきます。



今回の風邪も、わたしには、好転反応でした。

なにか全て出ていった感じがします。

みんなみんな、運び去ってくれたような。


そこに、やはり、感謝でした。

わたしを掃除してくれて、軽くしてくれて、新たにしてくれて、ありがとう。


「はい、また新たに生き直しね」

と言われた感じがしています。



好転反応は、まだまだこれから、いろいろとやってくると思います。

大変なこともあると思いますが、いつも最後には、“ああ、あのことがあってよかったんだな”、と言えるかな。

体のことだけでなく、悲しみや、痛みにも。

冬へ

2017年11月16日 | Weblog
空が低く、どんよりとした灰色。

雪をもたらす空。

いつ舞い降りてきてもおかしくない。


朝、外に出てみたら、冬のにおい。

つめたくて甘い。

再び、冬を迎え、乗り越えていかなくては。



子どもたちは、瞳を輝かせて、雪を受ける。

それはそれは嬉しそうに、贈り物みたいに。

雪は彼らに、無限の遊びをもたらすから。

そして、たくさんの喜びを連れてくるから。

クリスマスや、お正月や。



大人たちの心を占めるのは、これからやってくる幾つもの困難や大変さ。

でも、それらをみんな抱え込んで、わたしも彼らのように喜びたい。


白さ、清らかさ、清々しさ、静寂・・

こんなにたくさんの素晴らしいものが舞い降りてくるのだから。


春に、新しいスタートをする木々や動物たちのように、

わたしも、春にあたらしくなれたらいいなと思う。


そして、思い出す言葉がある。

こんな風でありたい・・と、そのたびに願いながら。




愛読書『庭仕事の喜び』(河出書房新社)より


“冬になると木が裸になり人間は服を重ねるのは、なんと皮肉だろう。

冬は彼らにとって砂漠である。

水は雪や氷としては豊富にあるが、液体になってくれなければ取り入れることができない。

四ヶ月水無しで過ごすには、準備が必要だ。

必要最低限を残して削ぎ落とさなければならない。

成長は高くつき、養分と水を大量に消費するので、木々は成長をとめる。

木は残ったエネルギーをつぎの季節の種や花や実をつくることにつぎ込む。

精一杯生きるために、木々は冬になると意識を変える。”

細かいことは決まってないけど

2017年11月15日 | Weblog
今日は「うんまんま」さんでの朗読会だったのですが、お母さんたちの事故話で大変な盛り上がりでした。

みなさんそれぞれ、本当にいろんなトラブルを乗り越えてきているのですね。

急いでいる時、焦っている時、心穏やかでない時、事故は起こるようです。


起こってしまったら、大変だし、内容によっては物凄く凹んでしまいますが、

秘められたメッセージを受けとることができれば、後になって、“あのことがあったからこそ”と言えるようになるでしょう。


話してくれたお母さんたち、大変でしたね、こわかったし、焦ったし、動転したし、お金もかかったし・・。

わたしは、今日こうしてお会いできたことを、本当に有りがたく思いました


無事でいてくれて、よかった。



それから、今日も、心を開いて打ち明け話をしてくださったお母さんに、シンボルツリーのことをお伝えしました。

「ああ、そっかあ、そうだったんだあー・・。それでなんだあ・・。」

そう何度も言って、お母さんは涙を流していました。

子供時代から悩んでおられたことのカラクリが、シンボルツリーで解き明かすことができたのです。


本当に嬉しかったです。

そのお母さんが少しでも楽になれたようで。


そして、思いました。

シンボルツリーカフェを、ぜひとも開かなくては、と。


まだ細かいことは決めていません。

でも、いらしてほしい。

お子さんのこと、ご主人のこと、ご両親のこと、ご自分のこと、すべてのお悩みに、シンボルツリーはきっと道を示してくれます。


気になる方はご連絡くださいね。

いつでも。

himawari.bless-you@ezweb.ne.jp
(にしだひろみ)



今日、わたしに心を開いてくれた、すべてのお母さん、

本当にありがとうございました。


また、きっと、お会いできますように。

心をこめて

2017年11月14日 | Weblog
「うんまんま」さんでの朗読会も、今年はあと二回になりました。

春になれば、転勤や、再就職などで、来られなくなるお母さんもいらっしゃるだろうし、

一期一会だなあ・・と、しみじみ。

あと二回に、心をこめて臨もう。


今月は、朗読の他に、お母さんたちのリクエストを受けて、シンボルツリーの“モミ特集”、“イトスギ特集”をします。

モミさん、イトスギさんが、どうしたら元気でいられるか、気持ちが揺らいだ時のヒントや心をサポートしてくれるアロマのお話しなど。

リクエストしてくださったお母さんたち、楽しみにしていてくださいね。

指針

2017年11月13日 | Weblog
前回の続きのお話しです。


わたしが“向き合う”と決めたら、どんどん物事がそちらへと動き出して、びっくりしてしまいました。

わたしが知りたいと思っていたことを、洗いざらい話してくれる人が現れたのです。


それは、わたしの認識を覆すようなお話しで、一気に目が覚めたような衝撃でした。

びっくりして、自分の軸はどこだったかしら?と、キョロキョロしてしまいました。


でも、そのお話しもまた、「ものごとの一面に過ぎない」のでした。

真実というのは、見方や人によるもので、

しばしば覆い隠されて見えなくなります。

最終的には、自分の心で感じるしかないのでしょう。



それを思い出させてくれたのは、主人でした。

主人に相談してみたら、こう言ったのです。

「いろんな見方や意見があるし、過去の出来事で今を見る人もいる。でも、ひろみちゃんが感じていることが真実なんじゃない?」



わたしは、とても反省しました。

自分の感覚をないがしろにしかけていたことを。

わたしは、他の人の感覚や意見を重要に受け取りすぎることがあるのです。


わたしを生きているのはわたし。

だから、感じたことの主人でいなくてはならないのですよね。



主人に話したら、反省と共に心がすっきりとしました。

そして、改めて、自分の感覚を大事に対応していこう、と決めることができました。

そして、主人の考え方はいいな、と思いました。


そういえば、主人に出会って間もなく、思ったものでした。

“この人は、何か起きた時に、人や物事を責めたり恨んだりしないなあ。起きたことは過ぎたこととして、よりよい未来のことをすぐに考える人だなあ。”

そこを、とても尊敬したことを。


ものすごく前向きというか、建設的というか。

人生と自分への信頼があるのです。

すごいなあ、と思います。

(シンボルツリーでは、イトスギという木です。)


わたしは、もちろん、違う人間だから、主人のようでなくてもいいのですけれどね。

わたしは「聴く」人だから、感じすぎたり解りすぎたりして、身動きが取れなくなりそうなこともあります。

でも、それがわたしの役割でもあるので(シンボルツリーが教えてくれました。)、上手に付き合っていけばいい。

だからこそ、主人のようなパートナーが居てくれるのでしょう。



よかった。

気持ちが定まりました。

主人や、気にかけてくれる人たちに感謝しながら、

わたしの心で、これからも歩いていこう。


やはり、今日も、すべてのことに、ありがとう。

気がかりさんがやってきた

2017年11月11日 | Weblog
ここ数日、気にかかっていることがあります。


そういうことを引きずると、心が自分の中心にいられなくなります。

「いま」にいること、しっかり感じることができなくなるのです。

本を読んでいても、気がついたら文字を追っていなくなり、気になることを考えている。

他のことでも同じで、本来なら感じられる喜びや感慨が薄くなってしまいます。

吸い寄せられ、引き戻されてしまうのですね。

これはいけません。



解決方法はひとつ。

向き合う、それしかありません。


気になっていることを受け入れ、自分をゆるし、解決のために行動を起こす。


今回の場合、自分以外の人の存在があるので、まずは、その人に素直な気持ちを伝えようと思います。

そして、その人の想いを聞こうと思います。


この段階で、大概のことが明らかになるし、解決方法も見えてくるでしょう。

思っていたほどの問題ではないかもしれないし、大きな問題に成りかねない種であるかもしれないし。

ぶつかってみなくては、わからないのですよね。


器用にできなくてもいい、無様でもいい。

もたらされたもの(贈り物)を掴み取るために、「いま」をしっかり生きるためにも、

逃げないで、直面してしまうのです。



できるかな?


ええ、できるでしょう。

できて、小さな何かを乗り越えて、その分、広く深い人になれるでしょう。

あのことがあってよかったと、後で必ず思うでしょう。


だから、さあ、やってみよう。

期限を決めて、延ばさないで。

謙虚な心で、落ち着いて。



・・なんだか大袈裟ですが、

わたしの悩み方のご紹介でした。


いつもはもう少し迅速だと思いますが、今回はちょっと珍しいパターンで、スロースタートになりました。


でも、大丈夫そうです。

自分や人への信頼も、素直に落ち度を認め省みる心も、十分にあるような気がするから。


では、取り組んでまいります。


結果のご報告は、後ほど。

『リアンカフェ』さんへ

2017年11月09日 | Weblog
今月21日に、はじめてのところに朗読に伺います。

新潟市中央区のデッキー401を会場に集まっていらっしゃるお母さんたちの『リアンカフェ』さんです。

わたしの朗読会や講座を受けてくださっているサチさんのご紹介でした。

本当に有り難いことです。


わたしが朗読をさせていただくのは「ミニ講座」という枠なのですが、

先立ってリアンカフェさんのblogで告知をしていただくため、いま、内容やメッセージを考えているところです。

今夜が締め切りなので、間に合わせなくちゃ。



どんなお母さんに出会えるかな、

どんなスタッフさんに出会えるかな、

とても楽しみです。

ご縁をくれたサチさんに再会できるのも嬉しい。


“ああ、今日ここに来てよかったかも”

と思ってもらえることが目標。


そのためにも、

日々を大切に、幸せに、暮らしたいと思います。

心を、嬉しさや感謝や穏やかさでいっぱいにしておきたいと思います。


そういうものって、黙っていても滲み出て、伝染するような気がするんです。

そして、わたしが差し出せるものは、それしかないように思うのです。



だから、今日、優しいオレンジ色の花を生けました。

素敵な本を読んでいます。

目の前にいる人に、愛情をこめて接しました。

昨日いただいたお手紙の返事を、これからゆっくり綴ろうと思います。



リアンカフェのみなさん、お会いできることを楽しみにしていますね。

今からもう、感謝の気持ちでいっぱいです。