ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

わたしがスミレに生まれたら *日々のつれづれ*

2015年04月28日 | Weblog

ここのところ、何日も、思っていたこと。

野山のスミレを訪ねては、思っていたこと。



もし、わたしがスミレに生まれたら、どんな色に咲こうかと。







身の回りに多いのは、薄い紫のタチツボスミレですが、

時々、民家のアスファルトのすき間に小さく咲く、スミレを見かけます。

タチツボスミレよりも小さく、その色は、いかにもスミレという風な濃い紫。

また、白い花びらに、紫色の筋が入った、ニョイ(如意)スミレも、近くの野の道で見かけました。


そして先日、近くにある大好きな野原で、ニオイスミレに出会いました。

そばに屈んでみると、素晴らしい香りがします。

それは、控えめな、でも離れがたくなるような、素晴らしい香りです。







なんていろいろなスミレがあるのでしょう。


そうだ、スミレの図鑑を見てみましょう。


『日本のスミレ』山と渓谷社です。





日本だけでも、200種類以上あるというスミレ。

身近にはありませんが、黄色いスミレ、純白のスミレ、ピンク色がかったスミレなども、あるようですね。






中でも、わたしの目を釘付けにしたのは、純白のスミレ。

筋も真っ白なスミレです。

名前は、オトメスミレ。

牧野富太郎博士が、箱根の乙女峠で発見したことから、そう名付けられたそうです。

乙女心をそのまま花にしたような、ほんとうに、ぴったりの名前です。









その昔、人々の心に、スミレはどのように映っていたでしょう。


万葉集では、山部赤人がこう歌います。


“春の野に
すみれ摘みにと来しわれそ
野をなつかしみ一夜寝にける”


すみれを、そのまま花として解釈すれば、なんておおらかな姿でしょうね。

すみれを、なつかしい女性とすれば、また感じが違ってきますね。





時は変わって、松尾芭蕉はこう詠みます。

“山路来て なにやらゆかし菫草”




なにやらゆかし・・・、スミレの魅力をとてもよく表現していますね。

ほんとうに、なにやらゆかし、です。






同じ頃、小林一茶はこう詠みます。


“地車に おっぴしがれし菫哉”



芭蕉の句とは対照的で、ユーモラス。

なんだか、スミレのたくましい生命力が伝わってきます。






明治に入り、夏目漱石は、こう詠みました。


“菫程な 小さき人に生まれたし”



野山に、静かにひっそり自由に咲くスミレ。

漱石の憧れが凝縮したような、在りようだったのでしょうか。










さあ、次は、わたしの番。

和歌も俳句も詠めませんが、詩であれば、綴ってあります。

スミレへの、恋文のような詩です。

次の本が出る時に、そっと忍び込ませましょう。





そしてわたしがスミレに生まれたら・・・


やはり、申し分のない紫の、すこし小さなスミレがいい。

できるだけ小さく、できるだけスミレ色の、もっともシンプルな名の「スミレ」に、生まれたい。



何日も考えて、そんな風に、ようやく、心が決まりました。





季節はもう、夏になろうとしています。













野いちごの花 *日々のつれづれ*

2015年04月11日 | Weblog

淡いピンクや紫の、野山の花に見とれていたら、

ハッとするほど白い、野いちごの花に出会いました。





この、清らかな白ほど、緑の野に映えるものがあるかしら。

( いいえ、どの花も、ほんとうに素敵なんだけれど・・・)






いちごの花、野いちごの花は、わたしの最も好きな花のひとつです。

だから、ほんとうに、嬉しくて。











しばらく見とれてから、

よし、と、頷きました。









出逢いに行く時が、来ました。


小さな詩集を抱えて。


あの街へ、この街へ。









逢いたい人がいるのです。


これから出逢える人も含めて。








野いちごの花に背中を押され、そう決めました。




そうしたら、その日に、朗読会のご依頼のお電話をいただきました。


去年も二度お伺いした、新潟市秋葉区にある Akiha 森のようちえん支援センター「森のいえ」さんからです。





6月4日 (木) 10時から。

そのように、決めていただきました。




長野市での朗読会も、計画中です。











野いちごのように、

わたしを、生きていきましょう。



そのことが、まわりの人たちのよろこびに、なっていくといいな。














しるし *日々のつれづれ*

2015年04月08日 | Weblog

春の野山を歩くには、いつもの何倍も、時間がかかります。

足元にも、頭の上にも、あっちにも、こっちにも、素晴らしい変化があるからです。



ああ、すみれだわ、

ここにも、そこにも。


まあ、桜だわ、

こちらにも、あちらにも。


あの花はなにかしら、

あの紅い実はなにかしら。







そして今日、わたしが見とれてしまったのは、

足元の、ほんとうに小さな、芽生えたち。



一ミリにも満たない、小さな小さな二葉さん。

なんて小さく、なんて嬉しそう。



しゃがんだまま、歓声が漏れます。







小さな芽生えたちの隣りに、楽しそうに生えていたのは、オオバコ。

こちらも、小さな小さな葉っぱたち。

一センチもないくらい。


小さな小さな葉っぱでも、はっきりとした三本線。



“わたし、オオバコよ。”

“ぼくも、オオバコだよ。”




一生懸命、そう言っているようで、


“そうね、あなたたちはオオバコ。

正真正銘のオオバコね。”


と囁いてしまいました。






うんと真っ直ぐ、うんと胸を張り、オオバコたちは、ぐんぐん、ぐんぐん、大きくなるのね。

それがとっても、嬉しいのね。







嬉しい気持ちで歩きながら、わたしは、思いました。



オオバコの若葉にあった、三本の線のように、

人もまた、生まれながらに、その人らしいしるしを、持っているかもしれない。



それは、地図のようなもの。



こう生きたい、

これに挑みたい、

こんなことを叶えたい、

というような、その人の人生の目標のようなもの。




幼いひとの、しるしは、

その子どもを深く愛する親御さんや、本当に素晴らしい教育者の方になら、読みとることができるでしょう。









息子のしるしは、とてもはっきりしたものでした。



とてもはっきりとしていたから、ほとんど迷うことなく、息子がそのしるしの通り生きていけるように、応援してきました。




ちょっと変わった道を行く、という、
そのしるしを、

息子は今日も、一生懸命に、生きました。



















『翔養』*日々のつれづれ*

2015年04月01日 | Weblog

懐かしい友だちを見送った、雨降りの午後、ポストに、お手紙を見つけました。

封筒は、楽しげに膨らんでいます。





なにかしら!


心が踊ります。




雨に濡れないように、お手紙を抱いて、急いで部屋に戻りました。







少し呼吸を整えてから、開封。


送って下さった方は、去年、Akiha 森のようちえん 支援センター「森のいえ」での朗読会に来てくださった、お母様。



文字を拝見するのは初めてです。




お仕事に、おうちのことに、とてもお忙しいところ、時間を作って、丁寧な文字でお手紙を書いてくださったことが、よくわかります。



読んでしまうのが、勿体ないような気持ちに、なりました。





でも、開くことにいたしましょう。

だって、なんだか、楽しそうに膨らんでいるもの。








いそいそと、開いてみると、

最初に目に入ってきたのは、ひまわりの種!

そして、可愛らしい新品の付箋セット。






まあ、こんな素敵な贈り物を、添えてくださったの・・・。





ひまわりの種の袋には、こう書いてありました。



“新しい住まいにお使いください”










胸がいっぱいになりました。









引っ越しが遅れていて、まだ移っていないんです、

でも、引っ越したら、そのお庭に、必ずこの種をまきますね、

息子たちとみんなで、大切に大切に、していきますね、





心のなかで、そのような言葉をかけながら、

次に見つけたのは、学校のPTAのお便りです。








こちらのお母様は、わたしと同じように、個性豊かなお子さんがいらっしゃいます。

お子さんが通われている、特別支援学校の広報で、わたしの詩『あしあと』を紹介してくださったのです。



そして、わたしにも、送ってくださったのですね。










嬉しい嬉しい気持ちで、読ませていただきました。

最初から、最後まで。




たくさんの親御さんのメッセージが載せられていて、

みなさんのよろこびや悲しみに思いを馳せていたら、

お子さんたちの“あしあと”に思いを馳せていたら、

涙が溢れてきました。







ご卒業、ご進学、ほんとうに、おめでとうございます。




『翔養』と名づけられた、この広報。


ファイルに綴り、大切にしよう。










さて、最後に、お母様からのお手紙を開きました。



丁寧な文字。


真心が、便箋いっぱい、キラキラと。





わたしの息子へのお手紙まで、入っています。


息子は、きっと、驚き、瞳を輝かせるでしょう。








お手紙を畳み、封筒に仕舞い、

目を閉じました。





胸に満ちた、この、あたたかな想いこそ、

わたしが生きていく、その理由。



わたしに限らず、人はみな、清らかな喜びで胸いっぱいになりたくて、それぞれのことを頑張って、生きていくのかもしれませんね。









お送りくださったお母様、本当に、ありがとうございました。


わたしも、お便りをお送りしますね。

待っていてくださいね。



初夏の頃、朗読会で、再び、お会いできますように。