杉木立の奥に中門(重要文化財)がある。
中門をくぐると、前の記事で説明した
臥龍梅があり、左側に紅梅と右側に白梅があり
樹齢400年になるが、今でも春を告げてくれる。
今回は葉も全部落ち、庭師さん達が手入れをしていたので、写真は撮りませんでした。
中門から左側に御成り門がある。
この門は、天皇と将軍のためにだけ作られたものです。
御成門は、本柱の後方に控柱を建て、前後の柱のの
中央に屋根の棟線が来ないで全面にずれる薬医門の
形式で、入母屋造、本瓦葺、軒の出も深く重厚な門である。
前の記事でも紹介しましたが、左側は御成り玄関と言って別名「乙字形玄関」といいます。
御成り門から入ると、正面になります。
唐様(中国風)建築で、木鼻は象を彫刻し、また、欄間の「葡萄に木鼠」などの彫刻美しさが目を惹きます。
本堂
南東に面し、正面39.0m、奥行き25.2m 単層入母屋造、本瓦葺。
慶長14年(1609)完成。
内部は禅宗方丈様式に武家邸宅の書院を加えた10室間取で、正面と左右に上下縁を巡らし、裏は下縁のみ。
身分の違いにより上段を歩く人と下段を歩く人が決まっていたようだ。
裏の縁は、鶯張りになっており歩くとキュッキュッと音がする。
追記:実は偶然キュキュと音が鳴っているだけのようだ。
こんな所にも城造りらしさが見えてくる。
各部屋は使用する者の身分によって天井の仕様・造作が異なり、仕様目的に相応しい絵が描かれている。
写真を撮れないのでパンフレットの写真を掲載します。
説明は省きます。
表は、金をあしらった豪華で派手なものですが、裏の部屋は墨絵で落ち着いた物になってます。
これが伊達者の心です。 次の記事で紹介します。
ついつい説明を入れると難しくなってしまいすみません。
上段の間の後ろから逃げ道があります。 どこに抜けるのかわ、私もはっきり知りませんが、
後ろの山の裏手に東北本線が走っているのですが、その向こう側と聞いたことがあります。
上々段の間は、明治5年の天皇の御幸の際の寝床として使われています。
つづく
中門をくぐると、前の記事で説明した
臥龍梅があり、左側に紅梅と右側に白梅があり
樹齢400年になるが、今でも春を告げてくれる。
今回は葉も全部落ち、庭師さん達が手入れをしていたので、写真は撮りませんでした。
中門から左側に御成り門がある。
この門は、天皇と将軍のためにだけ作られたものです。
御成門は、本柱の後方に控柱を建て、前後の柱のの
中央に屋根の棟線が来ないで全面にずれる薬医門の
形式で、入母屋造、本瓦葺、軒の出も深く重厚な門である。
前の記事でも紹介しましたが、左側は御成り玄関と言って別名「乙字形玄関」といいます。
御成り門から入ると、正面になります。
唐様(中国風)建築で、木鼻は象を彫刻し、また、欄間の「葡萄に木鼠」などの彫刻美しさが目を惹きます。
本堂
南東に面し、正面39.0m、奥行き25.2m 単層入母屋造、本瓦葺。
慶長14年(1609)完成。
内部は禅宗方丈様式に武家邸宅の書院を加えた10室間取で、正面と左右に上下縁を巡らし、裏は下縁のみ。
身分の違いにより上段を歩く人と下段を歩く人が決まっていたようだ。
裏の縁は、鶯張りになっており歩くとキュッキュッと音がする。
追記:実は偶然キュキュと音が鳴っているだけのようだ。
こんな所にも城造りらしさが見えてくる。
各部屋は使用する者の身分によって天井の仕様・造作が異なり、仕様目的に相応しい絵が描かれている。
写真を撮れないのでパンフレットの写真を掲載します。
説明は省きます。
表は、金をあしらった豪華で派手なものですが、裏の部屋は墨絵で落ち着いた物になってます。
これが伊達者の心です。 次の記事で紹介します。
ついつい説明を入れると難しくなってしまいすみません。
上段の間の後ろから逃げ道があります。 どこに抜けるのかわ、私もはっきり知りませんが、
後ろの山の裏手に東北本線が走っているのですが、その向こう側と聞いたことがあります。
上々段の間は、明治5年の天皇の御幸の際の寝床として使われています。
つづく
本堂修理の間の特別公開、ひーさんも行きますよね?
改修工事ですか?
なんか愛姫の廟所も見れるとかしばらく前に聞いたのですが。
やっぱり体調悪い~。