よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

神様は赤ちゃんのように嘘がない。

2019年11月13日 | 神社仏閣
参拝について書かれた意見はたくさんある。

住所と氏名を名乗るべき、執着を持ってはいけない、波動は軽やかにする、
お賽銭はケチらない、願い事は完了形にする…などなど。

どれが正解かはわからない。本人が腹落ちしたならそれが正解だ。

私は神様には、親を慕うように懐いていけばいいと思っているので
礼儀作法は守るものの、基本はくつろいで参拝している。




古事記の神様は――特にイザナギ神は――嘘というものがない。
愛しいと思えば身体を重ね、気に入らなければ我が子(ヒルコ)でも捨てる。
妻を殺めた敵である我が子(火の神カグツチ)を怒りで切り刻む。

子どもの頃は、イザナギの残酷さが理解できなかった。
今は「そうか、魂が赤子なのだ」と思うに至った。赤子には善悪の概念がない。
見栄も体裁も虚飾もなく、ただ欲求と好奇心の赴くままに行動する。

美麗な妻の幻影を求めて黄泉を訪れ、腐乱した姿に恐怖をおぼえたら逃げまどう。
相手が傷つくのでは…などという思いやりはそこに介在しない。

本当に、赤子のように嘘がない。正直すぎる神様だ。
言い換えれば、自分自身に誠実なのかもしれない。


イザナギの娘アマテラスが天の岩戸に引きこもったのは、
自分の本心と言動が不一致だったからではないか、と思う。

スサノオの暴挙を見逃したばかりか、「田畑を壊したのは耕すため、糞尿を撒いたのは肥料として」と
嘘の言葉で庇ったから、自身の心に傷を負ったのではないか。

言霊の国のとおり、良い言葉が良い出来事を呼ぶ、という磐余がある。
しかし「良い言葉だから」「良いように考えればうまくいく」「自分が耐えればいい」と
自分自身に嘘をつき続けていたら、それはやがて自分に返ってくる。



そういう神様を祀っている神社で、嘘をつくのはおススメできない。
本当は悲しいのに「楽しい毎日を感謝します」といったり
生活に困窮しているのに「豊かに暮らせてありがとうございます」と呟いたり。

そうすることで気分が良くなるなら、イメージが本心と一致するなら良いと思うが
何かもやもやしてしっくりこない、と感じる参拝はやめたほうがいい。

「神様は悲しみが嫌いです。それは穢れです」と書いてある本も目にしたが
日本の神様は嘘が不得手な性質だから、素直に自分に誠実に祈ればいいのだと思う。

「…でありますように」でも「…が叶いました」でも、好きな方でいい。
その時の正直な気持ちを、そのまま剥き出せばいい。


日本の神様は、偽りで苦しむ姿を望まない。欺瞞が己を傷つけることもよく知っている。

何より、自分自身を偽ったまま、相手に理解してもらうことはとても難しいから。



神社では本心吐露がおすすめです