ICUROK!!

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Wachet auf, ruft uns die Stimme

2011年09月25日 23時46分38秒 | 音楽

 

バッハコレギウムジャパン第95回定期演奏会に行ってきた。

まともに所謂クラシックを聴くのは何時以来だろうか。記憶がおぼろげなほどはるか遠い過去…小学生の頃か…?いずれにしても自らの意思でコンサートに足を運んだのは今回が初めてだった。

バッハの音楽にはここしばらく虜になっているといってもいい。すべての始まりは教会カンタータから。なんとポップできらびやかで美麗な和声でベースがかっこいいんだろうというのがド素人の率直な感想だった。それからというもの、生で教会カンタータを、コンサートの雰囲気を味わいたいと考えていたのだが、このたび晴れてその願いが成就したわけである。

などという、どうでもいい昔話やらはさておき、一応備忘録を。和訳タイトルは分からんからとりあえずプログラムに合わせよう。

1.わが魂よ、いざ主を讃えよ (M.プレトリウス)
2.BWV645 目覚めよと、われらに呼ばわる声
3.BWV29  われらはあなたに感謝します、神よ、あなたに感謝します
4.BWV112 主はわが頼もしき羊飼い
5.BWV140 目覚めよと、われらに呼ばわる声

1-2はパイプオルガンですな。1ははじめて聴いたけどなんかもう始まった瞬間目の前が変な汁で霞んでた。プレトリウスってバッハより少し前の人なんだけれどもすごくメロディアスだった。こうして築かれた宗教音楽が次の時代に受け継がれて更に発展していったわけね、などと勝手にド素人が想像してみるなど。バッハ以前の古楽にも興味が沸いてくる。そして、BWV140への前振りとしてBWV645やってくれたのは嬉しかった。名曲中の名曲とはこのことで。シンプルな3声の構成だけれども重厚で暖かい和声の響き。こういうアレンジもバッハの真骨頂なんだろうと知った風な口を利く。

3-5が教会カンタータ本番。BWV29は何しろはじめのシンフォニアが素晴らしいよ。小宇宙を思わせるきらびやかなオルガンにトランペットやティンパニの明るく軽快で所謂祝賀的な響き。しかしBWV1006の編曲版とは知らなかった。もっとお勉強しないと駄目ですな。このカンタータは通しで鈴木雅明氏がチェンバロ弾きながら指揮を執る。うおお、かっちょええぜ。

休憩を挟んでからのBWV112は便利な某巨大動画サイトでアーノンクール伯爵のやつをちょっこし聴いた程度だったんだけど、きちんと通しで聴くと割かし短めでサクッと聴きやすいなと思ったり。やはりなんでも第1曲が勝負だと思うんだけど、これもホルンが印象的で明るく穏やかな気持ちになれる楽曲だ。ソプラノのおねえさんやカウンターテナーのおっさんの声聴くたびに鳥肌みのりん。

BWV140はアホほど聴き込んでるけど、本当に素晴らしいよ。自分の中で初バッハのトリがこの曲でよかったなんて急に乙女の目をしてみたり、というのは冗談だが。このときには既に音のあられが自分の中に入ってきて全身の血が熱くなっていたように感じた。例のコラールは上に貼ったコープマン氏くらいの早めのテンポにて、テノールのおっさんがソロでしれっと歌い上げていた。いつか自分でもアレンジなりして演ってみたいなと思いつつも、レイプしたら天にましますわれらの大バッハ様に叱られてしまいそうだよねと、念のため回避しておく。6曲目のソプラノとバスが掛け合いやるアリアも個人的に大好き。そして締めの壮大なコラールはアンコール含めて2回演奏して下さってもう感無量でありんすよ。
どうでもいいけどクラシックの独特な拍手のタイミングは面白いよな。楽曲が終わると指揮者が一回退場してまた入ってきてとか、あんたツンデレじゃあないんだから一回で済ませんかいとか言うのは無粋なもので。ええ、ド素人は周りに合わせてパチパチしますよ。ブラボー!ブラブラボー!などと言えるほどの強者には程遠く。もっとお勉強しましょうね、おにいさま。

というわけで、生バロック音楽を全身の毛穴で受け止めてきた。久しぶりに濃密かつ至福の時間を過ごさせていただいたおかげで、もう、明日のことなんかどうでもいいよね!と思えてしまうのはよくあることさ。まあ、今後ともバッハだけでなくこの辺りの世界はいろいろと攻略していこうという意気込みで三拍子!1,2,3!フィナーレ!


インヴェンツィオン

2011年09月11日 00時25分32秒 | 音楽

やっとこさっとこ弾いてみた。走るわ、跳ねるわ、もたつくわ…。

おたまじゃくしが読めない人間にとっては苦行。プラルトリラーだのモルデントだの装飾音符の解釈がよく分かっていないので超いい加減。もつれる指にきしむ手首。とりあえず、大バッハ様ごめんなさい。

どうでもいいけど、高音質にして上げると何故か酷くノイズが乗っかるのでビットレート低くしなきゃならんかったのよさ。相変わらず使えねえぜ。


с(´▽`с)

2011年09月03日 23時33分45秒 | 戯言

当の本人すら忘れてしまいそうなものがある。それらは大抵どうでもいい思い出の絞りかすや七色の小鳥がさえずる丘の上でサキュバスとピクニックしたお伽の国のお話など。
それでもしっかりと痰壺の奥底にこびりついているのは歴史の暗部たち。あの娘の陰部はいざ知らず、カビキラーとサンポールとパイプユニッシュと愛しさと切なさと心強さと、嗚呼、混ぜるな危険。歴史の暗部は余りにもしつこく私の肢体に絡みついてスポンジ脳味噌にカビのように染み付いた黒ずみが夜な夜な私に奇声を発しなさいと微弱電流の刺激で脅迫するのだ。

さて、気が付けば半年以上も当ブログをほったらかしにしていた。特別書きたいことが無かったわけではないが140文字のもたらす恩恵に甘んじていたのだろう。最近では140文字すら長く感じる。
それはともかく、最後の更新から今日まで色々なことがあった。

なんといっても3.11。この数字の羅列から広がるもの、大地震、津波、人類の叡智と語り継がれた思い上がり、恐怖の二次感染、山積の宿題と模範解答の紛失。どこぞの生白い青年が思いついたキャッチコピーの羅列みたいになってしまったが、いずれにしても我々の生活や考え方、そう遠くない未来にまで、与えたインパクトは余りにも大きい。そして、そのインパクトの形状は余りにも不確かだ。一つだけ確かなことは、自分で考えて、行動する、この糞当たり前なはずだけれども、いつの間にやら忘れ去られていたサイクルを再び意識するようになったことだろうか。とにもかくにも、あれから今月を以って半年を迎えるわけで。直接の被害が無かった者にとってはあの時点の出来事でしかないように思えてしまうのだが、今でも押しては返すインパクトの渦中にあることは変わり無い。

だから何だと言われてはアレなのだけれども。アレという言葉を良く使うようになった。アレがアレしてアレだからアレだよね。なんて便利なのでしょう。さっきまで話していた人の名前を忘れてアレになり、買い物に行けばパンと牛乳とアレだよアレ。若年性ぶっ飛び症候群かと些か心配であるもののとりあえず生活に大きな支障を与えるまでもないので良しとするか。分かってはいるのだが、経年劣化には逆らえぬようである。

馬鹿な話はさて置き、その他にも身内がお天道様に昇ったり、失われるものがあれば授かるものもあり、私にとってとても大切な友人にベビーが生まれたり。
歳月を重ねるに連れて、ポケットから取り出したハンカチを見ては「ああ、これはあの人の葬式で貰ったやつだね」という会話が増えてくるのだろう。そして明日にはまた何処かでベビーが天に向かって雄叫びを上げているはずだ。いい加減子供がいてもおかしくない歳と言うやつらしい。親戚付き合いの度に「相方はおらんのか」とか、それを気遣う親の声。嗚呼、嫌だ嫌だ。

思いつきで書き始めると、いつの間にかどうでもいい話になってしまうのは相変わらずで。ちゃんと更新しなくてすみません。とりあえず教科書で習った低姿勢にて。気力を充実させて、中身はともかく、もう少し更新頻度を増やします、たぶん。
フッ、充実したいぜ。