北海道は札幌 、澄川という真駒内に近い所に住んでいた。
札幌駅から南北線澄川の駅、かなり急な坂を登った所にあるマンションが社宅だった。
雪の季節、この坂道は怖い。登りは兎も角、下りは大層に怖い。しかし若いお姉さんなどはハイヒールでカッカッとそのピンヒールで雪を突き刺しながら下っていく。移住して最初にしたことは靴底に雪道仕様の滑り止めをつけることだった。
ピアノに興味を持った娘に、私は子どもの為のモーツアルトをいきなり与えた。
一度弾いて聴かせると、楽譜の音符の読み方、リズムの取り方を吸い込まれるように娘は理解してくれたので、ついつい夢中になって教えた。
でも、親が教えるといずれはドロドロの闘いになる日が来るのを知っているのでどこか音楽教室を探さねばと思っていたが、とにかく坂道が怖いので近い所、坂道を通らなくてよいところに教室が無いものかとアンテナを張って彼方此方ウロウロ散策した。
そして見つけた。
坂道を登りつめて左折するとマンション、右折すると「札幌コンセルバトワール」というピアノ教室があったのだ。つまりマンションから真っ直ぐ数分で教室だ。
有名な先生が主催されていたが、とてもアカデミックな雰囲気なので、私達のような一般peopleに門戸が開いているようには思えなかったが、ある日、院長先生が坂道を長靴を履いて登っていらした。
その姿がとても普通のおじさまに見えて、というか、どうして院長先生だとわかったのかというと、コンサートのチラシでお顔に見覚えがあったので、思わず話しかけてしまったのだ。
4歳になったばかりの娘を紹介して、
「一般peopleですが(本当にこのセリフを使った)教えていただけますか?」
「勿論ですよ、見学にいらっしゃい」
その足でコンセルバトワールに案内して下さった。白を基調とした明るい内装で、階段には沢山のお花が並んでいた。院長先生の奥様がお部屋を全て見せて下さった。全国各地から、また海外からもレッスンを受けに来られるのでシャワー室まであった。
メトードローズの教本を渡され、「来週からでもいらっしゃい」
あ、バイエルじゃないんだ、メトードローズなんだ、教えるならメトードローズが良い。嬉しい。この時点でまだ自分が手ほどきをするつもりの私だった。
家に帰ってさあさあ……
私は自分自身が真面目に習い始めたのが遅かったから、何を最初にきちんと教えるべきかわかっていた。
私の先生は厳しかったし、嫌味も多かったが、効率良く学ぶ方法を教えて下さったのだ。
娘は既に楽譜の読み方をわかっていたので、一週間後にはメトードローズ上巻の中程以上を弾けるようになって初レッスンということになった。
先生はひたすら花マルをつけるだけ。
4歳の子どもには半時間の集中が限界なのだが、娘は何時間でも集中できた。
そこで、先生は一回間違えたら「も」と書いて「もう一度弾いてきてね」と仰った。
娘はこの「も」が大嫌いで悔しがった。家で完璧に弾けても一度つまづくと「も」がつく。意地になって集中していった。
夫は子どもを褒めることを絶対にしない人だった。逆に私は褒めて育てるタイプ。
夫に「ほらほらこんなに弾けるようになったよ」と報告しても
「それがなんや?」とどうやらピアノのお稽古には反対の様子。
習う前に娘は父親に「絶対やめませんから習わせて下さい」とひらがなのお手紙を一生懸命書いたのに。
音楽を学ぶのに父親の協力や理解がないと大変だ。これは最後まで影響する。
でも、娘はそんな事全く気にもならない様子で、幼稚園もお休みしてピアノを弾いて過ごすこともあった。
私は無理矢理やらせたわけでもない、幼い娘がやりたがったのだ。
2か月でメトードローズ上下巻終了。
バーナムの教本とギロックの練習曲に入った。
ギロックの「フランス人形」が大好きで、幼稚園のグランドピアノで毎日弾いていた。
実はその幼稚園は森の中のとても自由な幼稚園。カリキュラムはない、年齢別の部屋もない。好きなことをして過ごす。しかも親も一緒に遊べるのだった。親の教育も目的にしていたので私も毎日童心に戻って通っていた。
札幌駅から南北線澄川の駅、かなり急な坂を登った所にあるマンションが社宅だった。
雪の季節、この坂道は怖い。登りは兎も角、下りは大層に怖い。しかし若いお姉さんなどはハイヒールでカッカッとそのピンヒールで雪を突き刺しながら下っていく。移住して最初にしたことは靴底に雪道仕様の滑り止めをつけることだった。
ピアノに興味を持った娘に、私は子どもの為のモーツアルトをいきなり与えた。
一度弾いて聴かせると、楽譜の音符の読み方、リズムの取り方を吸い込まれるように娘は理解してくれたので、ついつい夢中になって教えた。
でも、親が教えるといずれはドロドロの闘いになる日が来るのを知っているのでどこか音楽教室を探さねばと思っていたが、とにかく坂道が怖いので近い所、坂道を通らなくてよいところに教室が無いものかとアンテナを張って彼方此方ウロウロ散策した。
そして見つけた。
坂道を登りつめて左折するとマンション、右折すると「札幌コンセルバトワール」というピアノ教室があったのだ。つまりマンションから真っ直ぐ数分で教室だ。
有名な先生が主催されていたが、とてもアカデミックな雰囲気なので、私達のような一般peopleに門戸が開いているようには思えなかったが、ある日、院長先生が坂道を長靴を履いて登っていらした。
その姿がとても普通のおじさまに見えて、というか、どうして院長先生だとわかったのかというと、コンサートのチラシでお顔に見覚えがあったので、思わず話しかけてしまったのだ。
4歳になったばかりの娘を紹介して、
「一般peopleですが(本当にこのセリフを使った)教えていただけますか?」
「勿論ですよ、見学にいらっしゃい」
その足でコンセルバトワールに案内して下さった。白を基調とした明るい内装で、階段には沢山のお花が並んでいた。院長先生の奥様がお部屋を全て見せて下さった。全国各地から、また海外からもレッスンを受けに来られるのでシャワー室まであった。
メトードローズの教本を渡され、「来週からでもいらっしゃい」
あ、バイエルじゃないんだ、メトードローズなんだ、教えるならメトードローズが良い。嬉しい。この時点でまだ自分が手ほどきをするつもりの私だった。
家に帰ってさあさあ……
私は自分自身が真面目に習い始めたのが遅かったから、何を最初にきちんと教えるべきかわかっていた。
私の先生は厳しかったし、嫌味も多かったが、効率良く学ぶ方法を教えて下さったのだ。
娘は既に楽譜の読み方をわかっていたので、一週間後にはメトードローズ上巻の中程以上を弾けるようになって初レッスンということになった。
先生はひたすら花マルをつけるだけ。
4歳の子どもには半時間の集中が限界なのだが、娘は何時間でも集中できた。
そこで、先生は一回間違えたら「も」と書いて「もう一度弾いてきてね」と仰った。
娘はこの「も」が大嫌いで悔しがった。家で完璧に弾けても一度つまづくと「も」がつく。意地になって集中していった。
夫は子どもを褒めることを絶対にしない人だった。逆に私は褒めて育てるタイプ。
夫に「ほらほらこんなに弾けるようになったよ」と報告しても
「それがなんや?」とどうやらピアノのお稽古には反対の様子。
習う前に娘は父親に「絶対やめませんから習わせて下さい」とひらがなのお手紙を一生懸命書いたのに。
音楽を学ぶのに父親の協力や理解がないと大変だ。これは最後まで影響する。
でも、娘はそんな事全く気にもならない様子で、幼稚園もお休みしてピアノを弾いて過ごすこともあった。
私は無理矢理やらせたわけでもない、幼い娘がやりたがったのだ。
2か月でメトードローズ上下巻終了。
バーナムの教本とギロックの練習曲に入った。
ギロックの「フランス人形」が大好きで、幼稚園のグランドピアノで毎日弾いていた。
実はその幼稚園は森の中のとても自由な幼稚園。カリキュラムはない、年齢別の部屋もない。好きなことをして過ごす。しかも親も一緒に遊べるのだった。親の教育も目的にしていたので私も毎日童心に戻って通っていた。