タロとジロじゃない
実家に縁のあった代々の猫は、皆「おて」と命名されていた。
ある時、私が、お茶のお稽古の帰りに先生から猫をもらって帰った。
私の猫だから‼️と姉には抱っこさせない。
それで、姉も英会話の先生(姉だけそんなハイカラな教育を受けていた)のお宅から、やはり猫をもらってきた。
私の猫は骨太で鼻の下に黒いチョビヒゲがあり全体は黒で白足袋。
姉の猫はしゅ〜っとした白い美猫。
2匹とも「おて」では具合が悪い。
命名
私の猫はクロ
姉の猫はシロ
共にオス。
仔猫の時は良かったが、成長すると、だんだんと険悪な雰囲気になってきた。
誰が見てもクロが優勢。
クロはあちこちにオシッコをかけて、酷いのは、あちこちに置いてある火鉢にかけること。その臭いことと言ったら……父はお茶っ葉をくべて匂いを消そうとしたが、一度鼻についたクロのおしっこの匂いは……
縄張り争いに負けたのはシロ。
上品で霞を食っているような美しいシロは家出した。
何年か経ったある夜更に、クロが私の部屋の扉をカリカリして入れてくれ〜と鳴いていた。
暴れん坊のクロは、しょっちゅう喧嘩をして血だらけになって帰ってくる。
この時も首がちぎれるのではと思うほどの怪我をしていた。
50年前の飼い猫の立場とは、天井のネズミを捕まえたり穴を掘るモグラを捕まえたり、そんなお仕事があり餌を与えられていたのではないだろうか。可愛い〜❣️って子供がもらってきた猫であっても、今のようなペットという立場であったかどうだか……猫も人も都合の良い時にだけお付き合いしていた。
寒い時に猫が布団に入ってきたらあったかかったし、柔らかでグルグル鳴ってる喉は最高の癒しをくれたものだ。
とにかく、その時は、母から「猫を部屋に入れるな」と、言われていたので、可哀想にクロは私の布団に入れなかった。
次の日、クロの姿は無かった。
夜になって風呂を沸かそうと焚口に這いつくばり、たまっている灰を掻き出そうとガシガシしていたら、何かにあたる感触。
母に報告すると、母はハッとした様子で焚口に走り、灰かき棒で奥からクロをかきだした。
灰の中は暖かかったのだろう。
それから数年後、
私はもう中学生になっていたある日、
座敷を悠々と歩く白猫がいた。
私を警戒することもない。
ようく見るとそれは
シロだった。
あの細い猫が、昔のクロのように立派な大猫になっていた。
「シロ‼️シロなん⁉️」
こちらを見る瞳は
「そうだよ」
と、返事した気がした。
猫はやはり悠々とその辺を歩き回ってしばらくいたが、やがてどこかへ去っていき、それから二度と姿を見せなかった。
クロがいないことを確かめにきたみたいだった。
明日は、2月22日ニャンニャンニャンの日ということで。
2月22日
私にしたら、猫懺悔、猫供養の日か……