三浦和義関連・カリフォルニア州法を解釈するために/前田 朗

2008-03-11 22:11:01 | 社会
前田 朗です。
3月11日

(-1)正義感に論理的表現を

先に「二重の危険の禁止は国内原則です」で、最低限の交通整理をして、いきな
り国際人権規約違反だの国際刑事裁判所規程違反だのと主張する「弁護士」やニ
セ「ジャーナリスト」をお弔いしました。

次は、それではどう考えるべきか、のステップなのですが、相変わらず信号無視
、車線はみ出し、速度違反がはびこっています。前回は(0)の用語から始めた
のですが、今回は(-1)から始めなくてはなりません。

「三浦さん逮捕がおかしい、私の正義感に反する、許せない」と叫ぶのは結構で
す。私もおかしいと思います。いまさら「新証拠」などと唱えること自体、疑問
です。

しかし、「おかしい、正義感に反する」と叫ぶだけでは、起きている事態に対す
る批判として不十分です。しかも、国際人権規約違反だの、国際刑事裁判所規程
違反だのというのは、根拠のない主張です。

「法律や国際法原則など自分勝手に書き換え、読み替え、ひっくり返して構わな
い、俺の正義感こそ正しいのだ」という主張には返事のしようもありません。

「おかしい」という正義感で叫んでいる自分に自己陶酔していっそう興奮して怒
鳴るのではなく、法解釈の筋道を示すことが重要です。法解釈において感情論は
重要です。感情をただそのまま表明することではなく、感情論を法解釈の中に正
しく位置づけることが求められます。

東京駅から銀座に行くには、地下鉄丸の内線に乗るか、山手線の有楽町へ出て歩
けばいいのです。博多行きの新幹線のぞみに乗っても時間とお金のロスにしかな
りません。しかも、のぞみの車内で懸命に走っている有様です。まして、成田エ
クスプレスに乗って成田からロス行きの飛行機に飛び乗ってどうしようというの
でしょうか。そんなにロスに行きたいのでしょうか。三浦さんのケースに便乗し
て騒ぎながら、内心ではロス行きの計画でも立てているのでしょうか。

(0)用語

「国内原則」--二重の危険の禁止は、同一国内のケースに適用される原則とい
う意味。

「外国判決条項」--二重の危険の禁止を、外国判決にも及ぼすべきとする主張
や条項。

「立法理由(趣旨)」--ある法律(条文)を制定した場合、議会において、い
かなる理由でその法律が必要と考えられたのか。どのような趣旨内容、どのよう
な解釈が採用されるべきと考えられていたか。

「私の正義感」「素朴な法感情」--ここでは、法規範や法原則にまとめあげら
れていないが、民衆がもつバランス感覚としての正義感のことを指す。


(1)カリフォルニア州法の立法理由を解明すべし

三浦さんのケースを法的に検討する場合に、本筋であり、重要なのは、逮捕を許
す根拠とされたカリフォルニア州法です。ロスに行かなくて済むようにするため
に、感情論そのままに国際人権規約違反などと叫ぶ前に、カリフォルニア州法の
検討が一番重要です。

ところが、その内容が明らかにされていません。報道から判明していることは、

・カリフォルニア州法の二重の危険の禁止には、外国判決条項が含まれていた。
・メキシコ・ケースのためにカリフォルニア州法が改正されて、外国判決条項が
削除されたので、三浦さんを訴追できると考えられた。
・ただし、2004年(?)改正なので、三浦さんのケースに適用できるかにつ
いては争いの余地がある。

以上です。朝日新聞の論壇に渥美東洋(京都産業大学教授)が論説を書いていま
した。アメリカ刑事訴訟法に詳しい渥美教授ということになっていますが、その
内容は、なんと一般の新聞報道の横流しでしかありません。あとは、共謀罪や時
効廃止について言及しているだけ。

なぜここでとどまっているのでしょう。不思議で不思議でなりません。たぶん、
三浦さんの弁護士たちは調べていると思いますが、ここが一番重要なのです。

第1に、カリフォルニア州法に外国判決条項を盛り込んだ時の立法理由です。そ
の時に、例えば、連邦憲法修正5条の趣旨・範囲を超えて外国判決条項を採用す
ることの意義について、何が語られていたのか。語られていなかったのか。

第2に、カリフォルニア州法の運用です。外国判決条項についての州裁判所の判
例はあるのか。外国判決条項があることで、捜査当局が立件を断念した事例があ
るのか。その際に、当局がいかなる言明をしていたのか。

第3に、2004年改正の立法理由です。報道ではメキシコ・ケースに対処する
ためとされていますが、その具体的内容。本当にメキシコ・ケースに対処するた
めだけだったのか。そうであれば、他のケースと区別する法形式にしなかったの
はなぜか。

ここから法解釈が始まるのです。

例えば、外国判決条項を盛り込んだ時に、議会で「これによって連邦憲法修正5
条を越えて、二重の危険の禁止という人権条項を拡充するのだ」と言う趣旨のこ
とが語られていれば、大いに使えます。後の改正で削除されたから、使えないと
いうことではありません。「人権条項を拡充したのに削除したのはおかしい」と
いう主張に具体的根拠を与えるものだからです。

同様に、州裁判所の判例の中で、外国判決条項を積極的に位置づける表現がある
か否かを総ざらいする必要があります。

そして、2004年改正です。本当にメキシコ・ケースへの対処が必要で改正し
たのなら、そのように限定した法形式をとることができたのではないか。なぜそ
うではなく、一般的に外国判決条項を削除してしまったのか。一般的な削除は立
法理由を超えているのではないか。

(2)コスト論

私は問題のカリフォルニア州法について何ら知識を有していません。調べるつも
りもありません。ここで書いているのは、私ならどういう手立てで法解釈を行う
か、です。これが唯一の方法というわけではありません。他にもいくつかの方法
が考えられます。

まず、立法理由として、人権としての二重の危険が語られていたとすれば、勝て
る要因が増えます。これ以上説明は不要でしょう。

しかし、想定できる可能性は、むしろコスト論です。カリフォルニア州法に外国
判決条項が採用されたのは、コストが一つの根拠となっている可能性があります
。犯罪の捜査、訴追、裁判、判決執行には多大のコストがかかります。これらの
活動はすべて税金で行われるのです。外国で有罪・無罪が確定した事件について
、なぜカリフォルニア州民の税金でわざわざ捜査や裁判を蒸し返さなければなら
ないのか。捜査当局も裁判所もそんな暇はないはずであると。となれば、人権と
しての二重の危険と、コスト論としての外国判決条項がセットになっていること
が考えられます。

このように書くと、「人権問題をコスト論と並べるのはけしからん、許せない」
と絶叫する頓珍漢な人が出てくるのが想像できますが、コスト論は無視できませ
ん。むしろ、コスト論の支えのない人権論はなかなか通用せず、コスト論の支え
がある場合は人権が前面に出やすくなるのが現実です。

そして、三浦さんのケースでは、まさにコスト論を活用することができるのです


・三浦さん逮捕、移送、訴追、裁判、判決執行によって、カリフォルニア州民に
とって得られるものは何か。
・逮捕から判決執行に要する経済的コストはどの程度か。
・逮捕から判決執行に至る過程で、カリフォルニア州民にとって失われるものは
何か。
・逮捕等によって三浦さんが失うものは何か。

これらを利益考量する場を設定すれば、その時こそ、「私の正義感」「素朴な法
感情」が意味を持つのです。

「外国で無罪の確定した事件について、サイパンから移送するなどのコストをか
け、しかも、一部からとはいえ日本社会の顰蹙を買い、批判を浴びてまで、つま
りカリフォルニア州司法の公正さに疑いをもたれてまで、わざわざ訴追や裁判を
行う利益がどこにあるのか。本来ならカリフォルニア州法には外国判決条項があ
ったのに、メキシコ・ケースのために削除されたとはいえ、削除理由と異なる三
浦さんのケースにそのままあてはめてよいのだろうか。それによって、日本人で
ある三浦さんの利益が損なわれるということは、将来、カリフォルニア州民の利
益も失われることにならないか」

カリフォルニア州法の解釈をコスト論で組み立てることによって、「私の正義感
」「素朴な法感情」を持ち込むことができます。正義、価値、理念、あるいは条
理などと一般的に表現されてきた考え方に「私の正義感」「素朴な法感情」を持
ち込むことは比較的容易だからです。条理を根拠にして処罰したり、刑事裁判を
行うことには疑問がありますが、条理にあわないとして不処罰を根拠付けること
は十分可能です。

これを突破口として、次のステップが可能となります。法律の素養が少しでもあ
る人なら、この先のことはすぐに分かるでしょうから、省略。

ちなみに、「国際人権法は後からついてくる」というのは、私が捏造した法格言
。国際人権法入門編を学んだ人ならば、意味が分かるでしょう。

(3)結論

三浦さんのケースを真面目に考えようとするのであれば、一方で、許せない、怒
ってるぞ、と叫ぶにしても、それは一日二日、せいぜい三日のことです。一週間
たっても叫んでいるのは、「私は何も考えていない」と自慢しているようなもの
です。必要なのは、正義感に論理的表現を与えることです。

憲法原則としての二重の危険や、国際人権法として確立している二重の危険は「
国内原則」であって、「外国判決条項」は含まれていません。

含まれていないものを、「含まれてたらいいな、含まれてるかもしれない、含ま
れているはずだ」などと妄想するのではなく、「憲法や国際人権法ではないとし
ても、同様の思考を法解釈に取り入れる方策はないか」と考えるのが普通です。

重要なのは、法原則という大きな場面で宙に浮いた議論をすることではなく、具
体的な法解釈の中に「私の正義感」を活用する場を手探りすることです。

鉛筆を削りたい時には鉛筆削りを使いましょう。削岩機に振り回されて地面にた
たきつけられても誰も笑ってはくれません。


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