この度、私共は東京に、日本という国を探しに参りました。
と申しますのは患者の中に、「東京にまで行ってみたばってん、日本という国は見つからんじゃった。」
とおっしゃる方々が沢山いらっしゃるからでございます。
これは我が民族におって由々しきことではないでしょうか。
考えてみれば、日本という国が無いとしても、人の世があり、そこには人の情けというものがあって、私どもも何とか生き延びることが出来たと思っています。
その「なさけ」を求めて、探しに来たのは議員の方々が人に選ばれた方々であるからでございます。
お願いですが、日本という国の情けが何処にあるのかお教え頂きとうございます。
私共、水俣の者達は、人類が体験したこともない重金属中毒事件に50有余年も捉われ続けております。
この年月は親子、祖父母、三代にも四代にも亘っています。
有機水銀を脳や身体に取り込んだ人間の一生を考えてもみてください。
言葉もろくに話せず、箸や茶碗を抱えるのも困難で、歩くことも普通に出来ません。
女性の場合には下の始末も自分では出来ません。
これはあんまりでございます。
議員の方々には人類史上初めてと言われる長い長い毒死の日々を生きている人々の日常をご推察頂けるのではないでしょうか。
不知火海の汚染は世間が考えるよりは凄まじく、私共発病者を初め、対岸の小さな離党の数々、鹿児島県の島々に患者が続発し、今や万をはるかに超えました。
人間や魚の発病だけでなく、海底の食用植物の危険度についても国や県は調査しておらず、一人の人間の胎児の時代から少年、青年、壮年、老年の経過については、一部の研究者はおられませうが、国民は病状の実態について知らされておりません。
これからも患者の発生が続くと思われます。
明治41年に始まったチッソは高度成長期を頂点にして世界史的な発展を遂げ、国策に寄与してきました。
それに対して水俣病の発生は一種の凶兆でした。
何しろ昭和7年から36年もの間、有毒汚泥を不知火海に朝も昼も晩も流しつづけたのですから。
長い間には裁判を起こした患者もいて、2004年には最高裁で熊本県と国にも責任があるという判決が下されました。
県と国は判決を殆ど無視して今日に到っております。
それがあらぬかこの度国会に提出される特措法案では未認定患者を表向きは救済すると乍(なが)らチッソの分社化と地域指定解除を謡いあげております。
こんな残酷な毒物を背負ったまま患者達は認定、未認定に関わらずあの世へ行かなければなりません。
よくもこんな残酷な法案を作ったものです。
この様な法案を作って世界に示す民族性を私共は国辱と思います。
水俣病に本質的な救済というものはありえません。
何故なら一度身体に入った有機水銀は出ていかないからです。
せめて生き残った者が、この「人柱」たちを少しでも楽になれるようにさせて頂くというお気持ちになってくださらないでしょうか。
水俣病は治療法が無く、不治の病となっています。
日夜苦悩している患者達を救済するどころか、審査会にかけて棄却する方向に持っていきつつある様に思います。
処理しきれぬ程に増えた患者数に驚き、なるべくなら早く死んでほしいと思って、長引かせているやに思われてなりません。
せめて国が、できることは、日々の生活の足しになるような慰謝料を差し上げることか、治療法に取り組む医者を育てるとか、棄却などという冷酷な言葉で処理しないように、国力を挙げてお取り組み頂きたいと思います。
多くの人が選んだ議員様方にぜひともご協力頂きたいと存じます。
今日は私共のために、貴重な時間を割いて下さり本当に有難く存じました。
祈念を込めてお願い申し上げます。
2009年6月3日
石牟礼道子
水俣病問題 「個の責任」に立ちかえれ/緒方正人 水俣病患者 「本願の会」副代表
水俣が背負った 近代化の罪・石牟礼道子/朝日新聞
石牟礼道子『苦界浄土』講談社文庫/【 PUBLICITY 】 1736 から
産業廃棄物最終処分場建設計画の撤回を/水俣からの緊急要請/石牟礼道子
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水俣病救済法案 参院環境委で可決、8日成立へ
国の基準に満たない水俣病の未認定患者に一時金などを支給する救済法案が7日、参院環境委員会で賛成多数で可決された。
8日の参院本会議で可決、成立する。
与党と民主党が合意した法案は、救済対象の範囲を大幅に拡大したほか、一時金支払いの原資などに充てるために原因企業「チッソ」(東京)を分社化することなどが柱になっている。
この日の委員会では、民主党水俣病対策作業チーム座長の松野信夫議員ら5人が質問に立った。松野氏は訴訟派の団体が法案に反対していることに触れ、「合意が得られた団体だけで見切り発車するのか」などと質問した。
これに対し、与党水俣病問題プロジェクトチーム座長で自民党政調会長代理の園田博之衆院議員は「(訴訟派団体にも)合意をしていただく」と述べ、最終的には、訴訟派団体との和解も目指す考えを明らかにした。
法案成立後は、環境省などで一時金の額など救済の基本方針を決めたうえで、秋までの法施行を目指す。
(2009年7月7日 読売新聞)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20090707-OYS1T00712.htm
水俣病未認定患者への一時金支給や原因企業「チッソ」の分社化などを盛り込み、与党、民主党で法案修正に合意した水俣病被害者救済法案は7日、参院環境委員会で審議、可決された。8日、参院本会議で成立する見込み。
7日の審議では、民主党の水俣病対策作業チームの座長を務めた松野信夫氏が、一部被害者団体がチッソ分社化に反発していることを踏まえ「加害者救済が優先しているとの批判は免れない」と指摘。法案提出者の代理として答弁した、与党プロジェクトチーム座長の園田博之氏は「法案の目的は被害者救済で、分社化は手段」と反論した。また、松野氏は「すべての団体の同意が得られない場合でも、救済を見切り発車するのか」と質問。園田氏は「そういうことをすると問題がさらに長期化する」と答え、すべての被害者団体の同意を得てから、救済を実施する意向を示した。
一方、救済対象者を判定する機関について、園田氏は、1995年の政治解決時には、県に判定審査会を設置した経緯を例に「そういう方法を考えてはどうかと考えている」と語った。
=2009/07/07付 西日本新聞夕刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/107226
水俣病救済法案、69年以降世代は対象外 研究者ら懸念/朝日
水俣病の原因企業チッソが有害な工場排水を止めた後の1969年以降、国は「新たな患者発生はない」としてきたが、現地の熊本県水俣市の医師たちの調査で、69年以降に生まれた世代に両手足のしびれなど水俣病の症状がある人がいる。水俣病問題の最終解決を目指す未認定患者救済法案では、少なくとも200人以上いるこの世代が対象から外れる。研究者らは潜在的な患者が相当数いることから同法案は全面解決にはつながらないとして、国に未認定患者を対象にした広範囲な健康調査を求めている。
国は、患者認定や医療費が支給される事業など水俣病の救済制度の対象から、この世代を外している。200人は認定申請中の人で「申請はできるが、認められることはない」(環境省)という。
熊本大の水俣病研究班員だった藤野糺(ただし)医師や現地での診察歴が長い高岡滋医師は05年6月~08年4月、チッソの工場排水が停止された68年5月から86年5月までに水俣市と周辺で生まれ育った男女40人を詳しく診察した。
その結果、37人に手足の先や全身の感覚が鈍くなったりしびれたりする症状や、視野が狭くなるなど水俣病によくみられる症状があった。29人を「水俣病」、8人を「水俣病の疑い」と診断し、6月に中国であった水銀国際会議で発表した。これだけ、まとまった数の調査結果が出たのは初めて。
高岡医師は「胎児期と出生後の両方で(水俣病の原因である)メチル水銀の影響を受けたのではないか」とみる。
胎児性、小児性水俣病に詳しい熊本学園大の原田正純教授も、69年以降生まれの患者を複数確認しているという。
チッソ水俣工場が工場排水を停止したのは68年5月18日。国は91年、中央公害対策審議会の答申に基づき「水俣病発生レベルの水銀暴露は68年まで」と結論づけた。
その根拠として、答申は住民の頭髪や、胎児のへその緒の水銀値が一般の人とあまり変わらない、とするデータを示した。だが、それをはるかに上回る値を示す被害者がいたという研究データも見つかっている。
答申には「科学的な結論とは言い難い」という批判があり、前国立水俣病総合研究センター所長の衛藤光明氏も「68年で汚染が一気に低くなるわけがない。当時、環境庁から聞かれたので、おかしいと言った。75年ごろまでは胎児性水俣病があってもおかしくないと思う」と指摘する。
一方、環境省の原徳寿・環境保健部長は「水俣地域には心理的バイアスがあって(体の不調があるとそれが水俣病だと)思い込む人がいるかもしれない。今から住民健康調査をしても、過去の汚染データがないのだから、メチル水銀の暴露との因果関係は分からない」と反論した。
http://www.asahi.com/health/news/TKY200907060428.html
水俣病、千人規模調査へ 原田正純さん中心に 69年以降出生者を念頭
水俣病未認定患者の救済問題で、民間医師らが9月、熊本県水俣市など水俣病が発生した不知火海沿岸地域で、千人規模の住民健康調査を実施する。国が「新たな水俣病の発生はない」としている69年以降に生まれた若い世代の被害の実態などを明らかにするのが目的だ。
7日、水俣市では、七つの患者団体や熊本県民会議医師団などでつくる「不知火海沿岸住民健康調査」の実行委員会が発足した。水俣地区を始め、全国の内科や神経内科を中心とした医師100人に参加を呼びかける。
委員長には、長く水俣病患者を診察し、著作でも広く水俣病を知らしめた熊本学園大の原田正純教授が就任。熊本大のかつての水俣病研究班員で原田教授とともに先駆的な研究をしてきた藤野糺(ただし)医師、現地での診察歴が長い高岡滋医師らと、具体的な診断方法を今後詰めていく。
調査は9月20、21日。不知火海沿岸域の住民千人が目標だ。参加に名乗りを上げる開業医らの病院や地区の公民館などを拠点に診察する。
実行委員会に加わる全日本民主医療機関連合会の湯浅健夫・事務局次長は7日、東京で被害者らが開いた集会で、加害企業チッソが有害な工場排水を止めた後の69年以降に生まれた人たちにも、患者が相当数いるとみられることを指摘。「救済されなければならない人がまだまだたくさんいる。これで幕引きさせるわけにはいかない」と訴えた。
実行委員会は「69年以降の若い世代の問題などを念頭に置いているが、健康不安を抱える人に幅広く足を運んでほしい」と呼びかけている。
http://www.asahi.com/national/update/0708/SEB200907080002.html
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と申しますのは患者の中に、「東京にまで行ってみたばってん、日本という国は見つからんじゃった。」
とおっしゃる方々が沢山いらっしゃるからでございます。
これは我が民族におって由々しきことではないでしょうか。
考えてみれば、日本という国が無いとしても、人の世があり、そこには人の情けというものがあって、私どもも何とか生き延びることが出来たと思っています。
その「なさけ」を求めて、探しに来たのは議員の方々が人に選ばれた方々であるからでございます。
お願いですが、日本という国の情けが何処にあるのかお教え頂きとうございます。
私共、水俣の者達は、人類が体験したこともない重金属中毒事件に50有余年も捉われ続けております。
この年月は親子、祖父母、三代にも四代にも亘っています。
有機水銀を脳や身体に取り込んだ人間の一生を考えてもみてください。
言葉もろくに話せず、箸や茶碗を抱えるのも困難で、歩くことも普通に出来ません。
女性の場合には下の始末も自分では出来ません。
これはあんまりでございます。
議員の方々には人類史上初めてと言われる長い長い毒死の日々を生きている人々の日常をご推察頂けるのではないでしょうか。
不知火海の汚染は世間が考えるよりは凄まじく、私共発病者を初め、対岸の小さな離党の数々、鹿児島県の島々に患者が続発し、今や万をはるかに超えました。
人間や魚の発病だけでなく、海底の食用植物の危険度についても国や県は調査しておらず、一人の人間の胎児の時代から少年、青年、壮年、老年の経過については、一部の研究者はおられませうが、国民は病状の実態について知らされておりません。
これからも患者の発生が続くと思われます。
明治41年に始まったチッソは高度成長期を頂点にして世界史的な発展を遂げ、国策に寄与してきました。
それに対して水俣病の発生は一種の凶兆でした。
何しろ昭和7年から36年もの間、有毒汚泥を不知火海に朝も昼も晩も流しつづけたのですから。
長い間には裁判を起こした患者もいて、2004年には最高裁で熊本県と国にも責任があるという判決が下されました。
県と国は判決を殆ど無視して今日に到っております。
それがあらぬかこの度国会に提出される特措法案では未認定患者を表向きは救済すると乍(なが)らチッソの分社化と地域指定解除を謡いあげております。
こんな残酷な毒物を背負ったまま患者達は認定、未認定に関わらずあの世へ行かなければなりません。
よくもこんな残酷な法案を作ったものです。
この様な法案を作って世界に示す民族性を私共は国辱と思います。
水俣病に本質的な救済というものはありえません。
何故なら一度身体に入った有機水銀は出ていかないからです。
せめて生き残った者が、この「人柱」たちを少しでも楽になれるようにさせて頂くというお気持ちになってくださらないでしょうか。
水俣病は治療法が無く、不治の病となっています。
日夜苦悩している患者達を救済するどころか、審査会にかけて棄却する方向に持っていきつつある様に思います。
処理しきれぬ程に増えた患者数に驚き、なるべくなら早く死んでほしいと思って、長引かせているやに思われてなりません。
せめて国が、できることは、日々の生活の足しになるような慰謝料を差し上げることか、治療法に取り組む医者を育てるとか、棄却などという冷酷な言葉で処理しないように、国力を挙げてお取り組み頂きたいと思います。
多くの人が選んだ議員様方にぜひともご協力頂きたいと存じます。
今日は私共のために、貴重な時間を割いて下さり本当に有難く存じました。
祈念を込めてお願い申し上げます。
2009年6月3日
石牟礼道子
水俣病問題 「個の責任」に立ちかえれ/緒方正人 水俣病患者 「本願の会」副代表
水俣が背負った 近代化の罪・石牟礼道子/朝日新聞
石牟礼道子『苦界浄土』講談社文庫/【 PUBLICITY 】 1736 から
産業廃棄物最終処分場建設計画の撤回を/水俣からの緊急要請/石牟礼道子
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水俣病救済法案 参院環境委で可決、8日成立へ
国の基準に満たない水俣病の未認定患者に一時金などを支給する救済法案が7日、参院環境委員会で賛成多数で可決された。
8日の参院本会議で可決、成立する。
与党と民主党が合意した法案は、救済対象の範囲を大幅に拡大したほか、一時金支払いの原資などに充てるために原因企業「チッソ」(東京)を分社化することなどが柱になっている。
この日の委員会では、民主党水俣病対策作業チーム座長の松野信夫議員ら5人が質問に立った。松野氏は訴訟派の団体が法案に反対していることに触れ、「合意が得られた団体だけで見切り発車するのか」などと質問した。
これに対し、与党水俣病問題プロジェクトチーム座長で自民党政調会長代理の園田博之衆院議員は「(訴訟派団体にも)合意をしていただく」と述べ、最終的には、訴訟派団体との和解も目指す考えを明らかにした。
法案成立後は、環境省などで一時金の額など救済の基本方針を決めたうえで、秋までの法施行を目指す。
(2009年7月7日 読売新聞)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20090707-OYS1T00712.htm
水俣病未認定患者への一時金支給や原因企業「チッソ」の分社化などを盛り込み、与党、民主党で法案修正に合意した水俣病被害者救済法案は7日、参院環境委員会で審議、可決された。8日、参院本会議で成立する見込み。
7日の審議では、民主党の水俣病対策作業チームの座長を務めた松野信夫氏が、一部被害者団体がチッソ分社化に反発していることを踏まえ「加害者救済が優先しているとの批判は免れない」と指摘。法案提出者の代理として答弁した、与党プロジェクトチーム座長の園田博之氏は「法案の目的は被害者救済で、分社化は手段」と反論した。また、松野氏は「すべての団体の同意が得られない場合でも、救済を見切り発車するのか」と質問。園田氏は「そういうことをすると問題がさらに長期化する」と答え、すべての被害者団体の同意を得てから、救済を実施する意向を示した。
一方、救済対象者を判定する機関について、園田氏は、1995年の政治解決時には、県に判定審査会を設置した経緯を例に「そういう方法を考えてはどうかと考えている」と語った。
=2009/07/07付 西日本新聞夕刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/107226
水俣病救済法案、69年以降世代は対象外 研究者ら懸念/朝日
水俣病の原因企業チッソが有害な工場排水を止めた後の1969年以降、国は「新たな患者発生はない」としてきたが、現地の熊本県水俣市の医師たちの調査で、69年以降に生まれた世代に両手足のしびれなど水俣病の症状がある人がいる。水俣病問題の最終解決を目指す未認定患者救済法案では、少なくとも200人以上いるこの世代が対象から外れる。研究者らは潜在的な患者が相当数いることから同法案は全面解決にはつながらないとして、国に未認定患者を対象にした広範囲な健康調査を求めている。
国は、患者認定や医療費が支給される事業など水俣病の救済制度の対象から、この世代を外している。200人は認定申請中の人で「申請はできるが、認められることはない」(環境省)という。
熊本大の水俣病研究班員だった藤野糺(ただし)医師や現地での診察歴が長い高岡滋医師は05年6月~08年4月、チッソの工場排水が停止された68年5月から86年5月までに水俣市と周辺で生まれ育った男女40人を詳しく診察した。
その結果、37人に手足の先や全身の感覚が鈍くなったりしびれたりする症状や、視野が狭くなるなど水俣病によくみられる症状があった。29人を「水俣病」、8人を「水俣病の疑い」と診断し、6月に中国であった水銀国際会議で発表した。これだけ、まとまった数の調査結果が出たのは初めて。
高岡医師は「胎児期と出生後の両方で(水俣病の原因である)メチル水銀の影響を受けたのではないか」とみる。
胎児性、小児性水俣病に詳しい熊本学園大の原田正純教授も、69年以降生まれの患者を複数確認しているという。
チッソ水俣工場が工場排水を停止したのは68年5月18日。国は91年、中央公害対策審議会の答申に基づき「水俣病発生レベルの水銀暴露は68年まで」と結論づけた。
その根拠として、答申は住民の頭髪や、胎児のへその緒の水銀値が一般の人とあまり変わらない、とするデータを示した。だが、それをはるかに上回る値を示す被害者がいたという研究データも見つかっている。
答申には「科学的な結論とは言い難い」という批判があり、前国立水俣病総合研究センター所長の衛藤光明氏も「68年で汚染が一気に低くなるわけがない。当時、環境庁から聞かれたので、おかしいと言った。75年ごろまでは胎児性水俣病があってもおかしくないと思う」と指摘する。
一方、環境省の原徳寿・環境保健部長は「水俣地域には心理的バイアスがあって(体の不調があるとそれが水俣病だと)思い込む人がいるかもしれない。今から住民健康調査をしても、過去の汚染データがないのだから、メチル水銀の暴露との因果関係は分からない」と反論した。
http://www.asahi.com/health/news/TKY200907060428.html
水俣病、千人規模調査へ 原田正純さん中心に 69年以降出生者を念頭
水俣病未認定患者の救済問題で、民間医師らが9月、熊本県水俣市など水俣病が発生した不知火海沿岸地域で、千人規模の住民健康調査を実施する。国が「新たな水俣病の発生はない」としている69年以降に生まれた若い世代の被害の実態などを明らかにするのが目的だ。
7日、水俣市では、七つの患者団体や熊本県民会議医師団などでつくる「不知火海沿岸住民健康調査」の実行委員会が発足した。水俣地区を始め、全国の内科や神経内科を中心とした医師100人に参加を呼びかける。
委員長には、長く水俣病患者を診察し、著作でも広く水俣病を知らしめた熊本学園大の原田正純教授が就任。熊本大のかつての水俣病研究班員で原田教授とともに先駆的な研究をしてきた藤野糺(ただし)医師、現地での診察歴が長い高岡滋医師らと、具体的な診断方法を今後詰めていく。
調査は9月20、21日。不知火海沿岸域の住民千人が目標だ。参加に名乗りを上げる開業医らの病院や地区の公民館などを拠点に診察する。
実行委員会に加わる全日本民主医療機関連合会の湯浅健夫・事務局次長は7日、東京で被害者らが開いた集会で、加害企業チッソが有害な工場排水を止めた後の69年以降に生まれた人たちにも、患者が相当数いるとみられることを指摘。「救済されなければならない人がまだまだたくさんいる。これで幕引きさせるわけにはいかない」と訴えた。
実行委員会は「69年以降の若い世代の問題などを念頭に置いているが、健康不安を抱える人に幅広く足を運んでほしい」と呼びかけている。
http://www.asahi.com/national/update/0708/SEB200907080002.html
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脳脊髄液減少症という病をご存知ですか?
交通事故などの他の外力によって生じる事故後遺症で
公害病ではありませんが、
症状を訴えても医師にも認められないこと、
症状が神経症状が主で自分にしか苦しみが
わからないこと、
原因がわかっているのに、その原因を
営利のために認めない企業がある点などが
水俣病と似ていて、
私は現代の水俣病だと思っています。
この国がどういう国なのか、そして、わたしたちが、どういう社会をつくっていったらいいのか、あなたのブログを読みながら、さらに考えていきたいと思いました。