共産党の原発問題の見解についての歴史的変遷

2011-06-22 21:05:07 | 社会
タイトルについて、加入しているMLから転載
---------------------
加藤哲郎さんのネチズン・カレッジによると、
http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Living.html
<この間調べてきた1945年以後の日本の核政策・エネルギー政策の歴史からすれば、原発導入を直接に担った正力松太郎や中曽根康弘ばかりではなく、日本の国家と社会の総体が、大きな反省を迫られています。
占領期新聞雑誌資料データベース(プランゲ文庫)を調べて、暗澹たる想いに駆られました。
占領期日本の言説空間では、広島・長崎の原爆被害は検閲され隠されていましたが、敗戦を導いた巨大な「原子エネルギー」についての畏怖と希望は、日本国憲法制定と並行して、広く語られていました。
「原子力時代」「原子力の平和利用」の言説が、大新聞から論壇・共産党機関紙誌にまで、溢れていました。
右派よりも左派が、それを主導していました。
占領期新聞・雑誌の見出しでの「原子力の平和利用」の最初の提唱者は、著名なマルクス主義者である平野義太郎でした。
「社会主義の原子力」を、資本主義を凌駕する「輝かしい希望」の源泉と信じていました。
原子力に未来を託す「アトム」の漫画も、手塚治虫より前から出ていました。
いわゆる「戦後民主主義」「戦後復興」は、「原子力の夢」にあこがれ、同居していました。

-------
■60年代末からチェルノブイリ原発事故以前については、
ブログ「土佐高知の雑記帳」にまとめられていました。

資料:日本共産党の原発政策①
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2283.html
資料:日本共産党の原発政策②
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2284.html
資料:日本共産党の原発政策③
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2285.html
資料:日本共産党の原発政策④
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2286.html
資料:日本共産党の原発政策⑤
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2287.html

---------------
■チェルノブイリ原発事故以後、90年代での共産党の見解については、図書館で
日本共産党中央委員会出版局『原発事故と『安全神話』―美浜・チェルノブイリの教訓―』(1991年)

日本共産党中央委員会出版局『原発の危険と住民運動』(一九九〇年)
を借りて読んでみました。
 市民社会フォーラムのブログに資料として重要個所を掲載しました。
http://civilesociety.jugem.jp/?eid=9126
当時の「脱原発」論への批判などは今から振り返れば妥当だったのかなあ?とか思ったりして、興味深いですが、
この時点での共産党の見解は、不破哲三委員長(当時)の下記発言に集約されるといえます。
===============
■日本共産党中央委員会出版局『原発事故と『安全神話』―美浜・チェルノブイリの教訓―』(1991年)

「今日の原発問題を考えるいくつかの基本点―原発問題・日本共産党全都道府県担当者会議でのあいさつ」

< もう一つの問題は、原子力発電の現段階の到達点だけを見て、そこに欠点があるからといって、核エネルギーの平和利用の将来にわたる可能性を全部否定しまうというのは、短絡的な議論になるということです。
 なにしろ、原理が発見されてからまだ五〇年、人類の歴史からいえば、われわれは、核エネルギーを利用するほんの端緒、入口の段階にあるわけですから、その入口の段階で、将来の可能性を全部否定するわけにはゆかないのです。
実際、これまでの開発の経過を見ても、戦争目的、軍事用ということで、強行開発してくるなかで、平和目的でもっと落ち着いて開発にとりくんでいたら、新しい発展の芽になったかもしれないものがつぶされてしまったということも、結構あるのです。>(17~18ページ)

===============

 チェルノブイリ事故をへてもなお(現在の原発は危険だが将来の)「原子力の平和利用」について楽観的見通しをもっていたわけですね。

■2000年代以降の、原発・核燃料サイクルについての日本共産党の見解は公式ホームページに掲載されています。
http://www.jcp.or.jp/tokusyu/genpatsu/
逆に言えば、2000年以前の同党の見解は公式ホームページに掲載されていなため、見解の歴史的変遷が知ることができないので、ネットサーフしたり図書館で調べたりしなきゃいけないわけで。

第22回党大会決議(2000年11月)では、
http://www.jcp.or.jp/jcp/22taikai/22th_ketugi_201125.html#_08
<原発からの段階的撤退をめざすべきである>
と明確に脱原発に路線転換しています。
(私は、共産党の脱原発への路線転換は、3.11以後ではなく、10年前の第22回党大会だからだと思います)

 しかし、2004年に改定された現綱領では、
http://www.jcp.or.jp/jcp/Koryo/index.html#Anchor-17173
<国民生活の安全の確保および国内資源の有効な活用の見地から、食料自給率の向上、安全優先のエネルギー体制と自給率の引き上げを重視し、農林水産政策、エネルギー政策の根本的な転換をはかる。>
とだけあり、原発について何の記述もありませんが、その理由は、

2003年6月の第22回党大会第7回中央委員会総会での、不破哲三議長(当時)の発言
で(普通の言葉では「説明」でしょうが)「解明」されています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-06-30/00_01.html#Anchor-57932
<原発の問題でもっと具体的な提起を、という発言は、多くの方からありました。
すでに吉井さん(国会)からかなり詳しい解明がされましたが、私からも若干の点をのべておきます。
現在、私たちは、原発の段階的撤退などの政策を提起していますが、それは、核エネルギーの平和利用の技術が、現在たいへん不完全な段階にあることを前提としての、問題点の指摘であり、政策提起であります。

 しかし、綱領で、エネルギー問題をとりあげる場合には、将来、核エネルギーの平和利用の問題で、いろいろな新しい可能性や発展がありうることも考えに入れて、問題を見る必要があります。
ですから、私たちは、党として、現在の原発の危険性については、もっともきびしく追及し、必要な告発をおこなってきましたが、将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです。
現在の原子力開発は、軍事利用優先で、その副産物を平和的に利用するというやり方ですすんできた、きわめて狭い枠組みのもので、現在までに踏み出されたのは、きわめて不完全な第一歩にすぎません。
人類が平和利用に徹し、その立場から英知を結集すれば、どんなに新しい展開が起こりうるか、これは、いまから予想するわけにはゆかないことです。

 ですから、私たちは、エネルギー政策の記述では、現在の技術の水準を前提にして、あれこれの具体策をここに書き込むのではなく、原案の、安全優先の体制の確立を強調した表現が適切だと考えています。>

 このように共産党は、<将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです>。
 
 最新の見解は、
「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を 国民的討論と合意をよびかけます 2011年6月13日 日本共産党」で、
http://www.jcp.or.jp/seisaku/2011/20110612_genpatsu_teigen.html
「原発からの撤退の決断、5~10年以内に原発ゼロのプログラムを」
と、より踏み込んで期限を決めての(即時廃止ではないという意味で)「段階的撤退」を提案していますが、
<どんな技術も、歴史的・社会的制約のもとにあり、「絶対安全」ということはありえません。わけても現在の原発は、すでにみてきたように本質的に未完成で危険なものです。>
としています。
 つまり、<現在の>原発は<本質的に未完成で危険>だからといって、将来の平和利用の可能性は(歴史を経るごとにトーンダウンしながらも)全否定していないわけですね。

 このように路線転換、あるいは「認識の発展」?があるにせよ、3.11以後の脱原発の可能性を「模索と探求」?するには、先に紹介の
ブログ「土佐高知の雑記帳」の下記まとめにとても共感しました。
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2287.html

===========================
小出さんが原発に疑問を抱き、それまでの立場を変えたのは1970年10月23日。
この日、初めて女川原発反対集会に参加したという。

だが、日本共産党が原発が危険なものであるとの認識をハッキリもったのは、それよりも遅く1975年のことだった。
その変化を促したのが、女川原発、東海村原発反対闘争をたたかっていた地方の党組織、党員だったということは注目していい。
たたかいのなかで、日本共産党は原発にたいする認識を発展させてきたと言える。

そして311を契機に原発ゼロミッション、期限を決めた原発からの撤退方針を打ち出した。
しかし、それをもって日本共産党の「原発ゼロ」政策は首尾一貫していると、強弁することは歴史を偽造することにつながるだろう。
もう一方で「原子力の平和利用」を主張していたから、日本共産党は原発推進論者だったと論難することも事実に反する。

いま大切なことは原発に反対する人たちが過去の行きがかりを捨てて、力をあわせて原発からの全面撤退を求める行動を大きくすることではあると思う。

四国でも伊方原発停止の一点での共同を強め、世論を広げるたたかいを起こして行きたい。
===========================
*****************************

関連
(その1)
原水禁世界大会の成果を生かし,真の統一を
一九七七年八月十一日「赤旗」主張
(前略)いうまでもなく,わが党は,原子力そのものの開発,平和利用を核兵器と同列におき全面的に禁止すべきであるというような「反科学」の立場はとっていません。つまり「核」と名のつくものは,それが核兵器であろうが,平和利用であろうが,全部否定するという立場をとっていません。しかし,同時に,わが党は原水爆禁止運動の場にこの問題を提起し,賛否を問うことは原水爆禁止ーつまり核兵器禁止という運動の性格から正しくない,との立場をとってきました。ところが,統一実行委員会(引用者注:1977年原水爆禁止世界大会実行委員会)主催による世界大会とは別に“独自集会”をひらいた一部の人びとは,核兵器全面禁止の要求といっしょに,原子力の平和利用にも反対,原子力発電所反対を大会がとりあげるよう求めてきました。もし大会がこうした意見に同調するなら,原水爆禁止運動は,本来の核兵器全面禁止の運動から核エネルギーの平和利用への反対をふくむ「核絶対否定」運動に変質し,運動の根本目的をあいまいにし,社会進歩の歴史にも反する結果をまねくでしょう。
(後略)
『核兵器廃絶を緊急課題として 原水禁運動の統一と日本共産党』
日本共産党中央委員会出版局,1984年,p177~178

(その2)
原子力開発は総否定すべきか 核絶対否定論の誤りをつく
川口清(平和問題対策委員会)
(「赤旗」評論特集版一九八一年七月二十七日)
(前略)とりわけわが国の原発開発は,アメリカの原子力世界戦略の展開に忠実に呼応し,原子炉,核燃料からの安全審査にいたるまでアメリカにたより,安全確保にかかわる科学,技術の研究・開発の面でも,原子力安全行政の面でも,自主的な力量を築きあげることにほとんど努力せずにすすめられています。敦賀原発事故(日本原子力発電敦賀一号炉の放射能もれ事故。「赤旗」81・4・2報道)は,こうした無責任な安全審査・管理体制を白日のもとにさらけだしたものでありました。
このような事態は,当然のことながら原発に反対する運動や,原子力開発にたいするさまざまな運動を誕生させ,活発にさせてきました。その多くは,安全をまもり,自然環境をまもる等々の積極的な意味をもつ運動であります。しかしそれらの運動は,原水爆禁止運動とは次元が異なる運動であることはいうまでもないことです。
とはいえ原爆被爆という最大の放射能禍に反対し,その被害を受けた被爆者の援護を基本目標のひとつとする原水禁運動は,原発問題を直接の課題とはしませんが,原発開発などによる放射能の環境汚染や人体被爆の問題に関心を持ち,放射能から人類をまもるという立場で,原発開発などによる放射能禍に反対する運動とは適切に連帯することができるでしょう。
(中略)統一世界大会も今年で五回目となります。しかしその一方で『禁』(引用者注:原水爆禁止日本国民会議)は,いぜんとして分裂の論理に固執する態度をとっています。「いかなる国の核実験にも反対」論の破綻にたいしても,逆にその論理をいっそう拡大し,「いかなる国のいかなる核にも反対」とすることによって,とりつくろおうとしています。
そのため『禁』は,「核兵器と原発との理論的構造の同一性の認識」「核兵器拡散の理論的認識」「核の破壊作用の人類的視野から地球の生態系的視野への拡大の必要性の認識」などを得たとして,原水禁運動は「ウラン採掘から原発やウラン濃縮工場,あるいは使用ずみ核燃料再処理工場までの一連の核エネルギー体系が反対の対象」(被爆35周年原水爆禁止大会実行委員会発行の『討議資料』)であると主張し,「被爆35周年原水爆禁止大会」では,「核絶対否定の実現のために」「たたかいをさらに前進させよう」と宣言しています。
このような『禁』の主張は,第一に,核兵器も原発も原子力の解放によって誕生したものであり,原発は核拡散に道をひらくうえ放射能災害の大きな危険性をもっているのだから両者は分かちがたいとして同列視することによって,原発開発とは量的にも質的にも比較できないほど大きい核軍拡の危険性をあいまいにするものです。しかも危険の元凶は"原子力の解放"そのものであるとすることによって,危険な核軍拡をおしすすめる勢力を事実上免罪しているのです。これが原水禁運動の基本目標と当面の緊急課題から,運動をそらさせる役割を果たすことは明白です。
結局,このような『禁』の誤った主張のいきつくさきは,「日本の原水禁運動は核兵器のみを対象とするというかたよった一面性をもっていた」とか,「いつまでも核兵器にこだわるという保守性が多くの日本人に定着している」(同前)などと,日本国民の悲願ともなっている核兵器禁止を要求する運動に,日米支配層顔負けの非難をあびせかけるというところなのです。
第二に,『禁』の主張は,原水禁運動の分裂を固定化するための理由づけ以外のなにものでもないことです。
今日の重大な情勢は,わが国の原水禁運動の責務をいっそう大きなものにしており,運動の発展を保障する組織統一の実現をあらためて重要な問題としているにもかかわらず,『禁」は「核絶対否定」をその存在理由とすることによって,あくまで組織統一に反対する態度をとっているのです。
そして,組織統一を望む声にたいしては「『天皇制ファシズム』の復活」(同前)とまで攻撃するにいたっています。
このような『禁』の誤った,有害な主張・態度を打ち破り,核戦争阻止,核兵器全面禁止,核兵器使用禁止協定の締結,核軍事同盟の解消,核基地・核部隊の撤去,非核三原則の法制化・完全実施,被爆者援護などの課題を掲げて,原水禁運動が新たな発展をかちとることが期待されます。
(同書)p233~235



ブログ内・関連記事

よろしければ、下のマークをクリックして!


よろしければ、もう一回!
人気ブログランキングへ





最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
海釣り:梅雨入りした東伊豆の伊東港と川奈で (智太郎)
2011-06-23 19:38:39
まぁ民主党なんかが与党になる直前から民主党は駄目と分かってましたが、小沢一郎って奴が自分と同じ日本大学出身ってのが気に入らないです。脳挫傷の後遺症と闘いながらも愉快に楽しく笑い飛ばしながらも、民主党と東京電力社員の原発問題:東京電力と民主党のロゴマークはよく似ていますよねー?と、おもしろ写真画像記事にしてみました。
返信する
共産党元副委員長・小笠原貞子の原子力擁護 (トーリスガーリ)
2011-09-01 17:57:25
共産党の副委員長だった小笠原貞子は、チェルノブイリ事故の起きた次の年、国会でこう発言している。

「私たちとしては原子力絶対反対だという立場をとっていない。原子力は当然新しい問題をいろいろ出しているけれども、原子力の発見というのは新しいエネルギーを得たことになり、有効利用の可能性ということを考えると、これをもう全面的に否定だという硬直した考え方は私たちは間違っていると思うのです。」(昭和62年12月11日 参議院「産業・資源エネルギーに関する調査会」)

共産党の連中は最近になって、自分たちだけが原発反対だったようなことを言っているが、とんでもない話だ。
返信する
Unknown (電灯)
2011-09-01 18:38:59
引用ココカラ===
いま大切なことは原発に反対する人たちが過去の行きがかりを捨てて、力をあわせて原発からの全面撤退を求める行動を大きくすること
引用ココマデ===

ちょっと前にこのブログでも、福島瑞穂と志位和夫との毎日新聞での対談が転載されていたが、それを読んで、「力をあわせて」という熱意が両者ともほとんど感じられないとおもった。

いま、原発をどうするかは国民の主要関心事項だ。
毎日新聞を毎日10分くらいは読む人の半分くらいはあの記事を読んだと思うし、そして、読んだ人のほぼすべてが無意識にでも私と同じような感想をもったとおもう。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。