世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

自分じちん

2007年07月20日 23時20分40秒 | Weblog
高知へ行く前に録画してたんだけど、
いままでなんやかやと見ないままになっていたチェルフィッチュ「目的地」をやっと見る。
くしくも妊娠の話で、
まあ妊娠の話ってだけでもないんだけど、
にぎにぎ役者が動きながらぼつぼつしゃべっていた。
お互いに目を合わせないし、無意味ににやついていたり、
脈絡のあるんだかないんだかの言葉が続いて、退屈かといえば退屈なんだけど、目が離せないってのもある。
「『目的地』始めます。えーっと、前田さんっていう女の人がいるんですけど、今から彼女が困っているシーンをやります。」ほぼこんな感じだ。
続かない。と思う。
新しい。とも、なかなかおもしろい。とも思うが、この手法は続かない。
あくまで実験的な、突発性の、おもしろさである。
そしてたぶん、つくってる人はそれを知っている。見てる人も。
忘れられても別にいい、今やりたいことができればいい。
非常にクールだ。
かっこよささえ感じてしまう。
うらやましいが、そこに私はいないと思う。
そう思いながらチェルフィッチュの目的のない芝居を見ていた。

おばあちゃん

2007年07月20日 00時24分16秒 | Weblog
ここでいうおばあちゃんとはなにも祖母のことばかりではない。
威厳のある愛嬌たっぷりのしわくちゃな女の人、
のことだ。
つまり、アマンダ・ウィングフィールドとか、アントニーダ・ワシーリエヴナ・タラセーヴィチェワとか、アンナ・アエメリンとか、はては、のんのんばあとか、がばいばあちゃんとかのことだ。
彼女たちはもはや人間であって人間ではない。
これは年月というものが人間に与える作用の結果であることが多いが、
あるところまで行き着いた人間にはある達観した見地と、
まだ俗世に縛られている故の意固地なまでのお茶目さが両立している。
それが彼女たちの最大の魅力だし、周囲にとっては最大の脅威だ。
基本、ババは空気が読めない。
そして無邪気だ。感情の赴くままに行動したがる。
これはパワーだ。
パワーは周囲に広がる。混乱させる。飲み込む。
事実、アマンダの行き過ぎた勘違いのせいで娘はコレクションのガラスの動物たちを壊される羽目になるし、アントニーダのルーレット狂いのせいで家族はひやひやさせられっぱなしだし、アンナの癇癪のせいで世話係はなかなか彼女からお金をふんだくれないし、のんのんばあは妖怪がどうのとうわごとを言って子供を怖がらせるし、がばいばあにお腹が空いたと言えば、気のせいや!と怒鳴られる。
なんていいキャラのババアたちだろう。
ババアになってこそのおもしろさがここにはある。
若い娘さんが同じに振舞っても皺やあの目の据わり方はまねできない。
前に母方のババが、窓の外を見て悠然と「おい、こんな朝早くから老人たちがゲートボールしてる」と言ったことがある。
御年80の婆様に老人扱いされたゲートボーラーはおそらく婆様よりお若くていらっしゃったはずだ。
ババは自分が婆だと知らないパターンが多い。
知っていても知らぬふりをする場合が多い。
だからなおさら周囲に影響する渦が大きくなるパターンが多い。
知人のおばあちゃんなのだが、
けっこうもうろくしていて、入居している施設の職員をちんどん屋だと思っている。
ちんどん屋だと思っているから、職員が見回りをしていると寄ってきて「よく来てくれた。楽しみに待ってたよ」と満面の笑みを見せる。施設に見学者が来て、職員が説明をしていても寄ってきて、見学者に「ここはいい施設だからここに決めなさい」と説得する。入居者が言うのだからと効果覿面だというが、おばあちゃんはちんどん屋がいるという理由でお気に入りなのだ。
この愛すべきおばあちゃんたちはほとんど無意識に自分の魅力を放出している。
しかし残念なことにもうおばあちゃんなので、この魅力はおそらく長続きしない。
長くは続かないとわかっているから、魅力になり得るのかもしれない。
ある意味、期間限定アイドルと同じ扱いか。
彼女たちの場合、アイドルと違って引退=死に直結するが、
それでも今生きている輝きは並じゃない。
そりゃ、物語にもなり得ますよ。
サンセット大通りとかすごいものね。

「賭博者」のおばあちゃんがあまりに強烈だったので、
ここまでおばあちゃんへの思いをたぎらせて書いてしまった。
痛快なおばあちゃんキャラ大募集中です。