世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

家畜といっしょ

2011年11月30日 22時03分25秒 | Weblog
インフルエンザの予防接種をしてもらう。
注射打ってくれる先生は慣れてるんだろう。
腕を出した瞬間にぶすっといってくれた。
えらい早かったがよく見て打ってんのか。
触りもしなかったが血管にささなくていいのか。
心がこもっていないこと受け合い。
すごく家畜病院っぽかった。
うちの犬、ワクチンに連れてった時とかこんなんだった。
診察室入って、お尻の上にぶすーでハイおしまい。
別に卑下とかじゃなしに、
そうだよなあ、家畜並みでいいんだよな私たち、と思った。

今日不審者対応訓練。
不審者役全う。
子ども腰を抜かす。
施設長に「適任だ」と言わしめる。
訓練のためセコムのお兄さん来る。
お兄さん見て子ら泣く。

施設長との会話で。
「住むには絶好の場所ですね」と言うべきところで、
「住むには絶好調ですね」と言う。
心にもないことで調子をあわせない方がいい。

今日見た夢

2011年11月28日 09時16分52秒 | Weblog
今日見た夢。

娘と小学校に行く。
娘はまだ生まれたてで、小学校は私の母校。
白いお包みの中でもぞもぞ動いている娘はテンという名前であることを私は知っている。
小学校の下駄箱で下穿きを脱いで入れる。
階段の下の方のスペースが託児スペースになっていて、
薄暗い中にベビーベッドが2つ、白いお包みを着た赤ちゃんたちが2,3人入ってうごめている。
テンを預ける。
私は教室に入っていって昔書いた私の絵が張ってあるのに気づく。
何人かの知り合いに会う。
その人たちは私が預けられていた保育所の先生たちで、
私はほとんど覚えていないんだけど、あちらでは私に気がついてまあまあ!とか言って声をかけてくれる。
私が「今日は娘もいるんですよ」と報告すると、
その中の一人が「あら、私もよ」という。
私が赤ちゃんの時大人だった先生と私の子どもがおんなじ赤ちゃんなのが不思議な感じ。
テンを迎えに行く。
向こうからテンを抱いた男の人が歩いてきて、
ほい、と言ってテンを転がしながらぽんと放り出す。
慌てて受け止めてほっとするのとむっとする。
そのとき私ははじめてテンの顔を見る。
テンの顔は浅黒く、出っ歯で、目が細くつりあがり、肌はカサカサで粉をふいている。かぶっていた小さな毛糸の帽子をとると、蝿がとまっているんじゃないかと思うくらい大きないぼが頭にできている。
私は5ヶ月で出てきたんだからしょうがないなと思う。
それでもかわいいと思う。
テンを連れて下駄箱まで行くと、木製の下駄箱が朽ちて風化している。
下穿きもろともやわらかく朽ち果てている。
私は諦めて靴下のまま、中庭に行ってお弁当とテンにおっぱいを飲ませなくてはと思う。
お弁当はゆかりをまぶしたおにぎりなのを知っている。
でもおっぱいのあげかたはわからない。
見よう見まねだなと思っている。
中庭にはベンチがいくつもあって、
あそこに座ろうかなと思うと人がきて座ってしまう。
外で胸をはだけなければいけないので、
できるだけ死角になるとこを選ぶのだが、ことごとく人が座っている。
私とテンはいつまでも座れずきょろきょろしている。

書きすぎ

2011年11月27日 21時37分12秒 | Weblog
バイトの文章打つ日々。
どうも書きすぎのような気配。
20枚から25枚までの約束がもう25枚越してるし。
きっと引用文が多すぎたり長過ぎたりするんだろう。
卒論の指導の時に先生から
「お前の文はたらたら続く五月雨のようだ」と言われたのを思い出す。
その通りだ。
いろいろ勿体ぶらずにばっさり切ってしまおう。
でもとりあえず、第一稿はこの長いまま提出して、
どこ切ったらいいかアドバイスもらおう。
結局たらたら勿体ない勿体ないと書きすぎている。

箇条書き

2011年11月20日 23時13分42秒 | Weblog
文章を打ちまくる日々。
なのであまりここで書く気しなかった。
書く気はしないが、起こった事などメモする。

あなピの芝居を見に行った。
東京ではこれで最後なんだって。
福岡に帰って芝居すんだって。
芝居終わったあとの飲みは楽しかった。
先生も福岡に行ったことだし、
福岡に遊びに行く口実がさらにできた。
福岡に行く人、東京に残る人、決めかねてる人、いろいろいた。
とうぜんだわな。

風邪ひいた。
熱が2日続いて、大事な休みをふいにした。

保育士試験に受かった。
これで正々堂々と保育士と名乗れる(今までも名乗っていたけどほんとはダメだった)
3年もかかった。
安心した。

五反田団を見に行った。
みんな楽しそうで、
中身もすげえ楽しかった。
私はこういう馬鹿馬鹿しいのが好きだ。
宮部さんがいい女になっていた。
幸子さんが変な髪形になっていた。
でも結局見に来てた浅井君と一番話した。

クリスマス会に向けて色画用紙で製作する日々。
毎日が図工という夢のような日々。
ピアノは弾けんが天職のように思う。

先生がくれたバイト進める。
20~25枚程度の原稿、って多いんだか少ないんだかもよくわからないまま書き進める。
思考と資料をまとめるため、何年かぶりにレジュメを作成。
楽しい。
楽しくてついつい時間を忘れる。
なのでもう明日が迫ってきてる。
のでお風呂に入って寝なきゃ。
寝るぞ。
足が冷たい。

棒持ってくる

2011年11月18日 21時00分08秒 | Weblog
今日見た夢。

実家の居間にいる。
もうない前の家。
テレビか何か見てる。
母が台所から「素麺ゆでたの誰?」と聞く。
心あたりがあったので、台所に行くと、なにかしら注意される。
袋が開いたまま出しっぱなしとか。
台所のテーブルには、ざる蕎麦を食べたあとが残っている。
冷蔵庫を開けながら私は「新しい家が建ったのにまだここで暮らしてるなんておかしいね」と笑う。
二階に上がり、中学に上がってもう弟に明け渡したはずの部屋に行く。
私は高校へ行く仕度をしなければいけない。
高校へは10時半登校だ。
今は大幅にその時間を過ぎていることは知っている。
携帯を見ると、上の表示は12時26分。
下の表示(?)は、19時16分。
てんで時間がわからない。
壁にかかった時計を見ると、12時23分。おしい。まだ曖昧。
メールが2件きていて、いずれも友だちから。
携帯は現在のスマートフォン。
人差し指でついっとメールを開く。
1件目の本文。「目に浮かぶ」
2件目は、「棒持ってくるwwwwww」
何のことだか全然わからないが、
高校からの催促(?)でなくてよかったと安堵する。
制服に着替えながら、私は遅刻のいいわけを考えている。

絵をかく

2011年11月08日 17時42分50秒 | Weblog
昨日電話があってシアホリのTシャツを作るので
そこにつける絵を書いてほしいと言われる。
どんな?と聞いたら、
いや、もう、お任せで、と言われる。
昨晩から今日にかけて書いて渡した。
友人のため、がんばった。
そういうとこがやはりSだ。



採用されるのはパンダのやつらしい。
わたしもこれが一番気に入っていたので、よかった。

高知へ行って戻る

2011年11月03日 14時05分11秒 | Weblog
10月28日(金)
仕事終わりに東京駅へ向かう。
東京はもう肌寒いが、そのまま高知も一緒と思ってはならない。
4年いたのでその感を信じ、半袖のワンピース、その上にカーディガンを羽織る。
東京駅は寒い。
ネックウォーマー持ってきている。正解。
バスへ乗り込む。
12時間かけて移動。
薄い毛布に包まって、寝返りを何度かしながら、それでもぐっすり眠る。
視界がカーテンで遮断されていて、電気が落とされれば真っ暗で、
それでも猛スピードでバスが走っている感覚は座席に押さえつけられるようなGでわかる。
昼間の移動と違うところは、
移動している実感がないまま、つまり目で風景が動くのを確認できないまま移動しているところで、
そういう移動は昔のインディオの人が言った、魂が身体に遅れてついてくる、みたいな感覚に近く、
身体は座席があるからここに押さえつけられている状態で留まっているけれど、身体じゃない感覚の部分は、バスよりはるか後で、馬のしっぽにつかまるみたいに必死につかまりながらついてきているという感じ。
これが寝る直前に思ったこと。

10月29日(土)
起きたら薄明るい。
周りの人も起きはじめたので、カーテンを少し開けながら座っている。
おそらく四国入りはしていて、香川か、徳島あたり。
窓の外は黄みがかったオレンジの朝焼け。
いい天気のようでうれしい。
ところが山を一つ越えたら様子は一変して雨。
それでしばらく山を越すたびに青空が見えたり、灰色の雲に覆われたり。
一喜一憂。
高知インター近くの、もう越す山がなくなったあたりでは、青空と秋らしい羊雲。
安堵。
早朝の、まだ動き出す前の高知に到着。
自転車に乗る高校生が多い。
ベルゲンまで行ってパンを買い、アーケードの中のサンマルクへ。
ここまでで自分の服装チョイスを正解とする。
やっぱ、あったかいなあ、高知は。
サンマルクでひたすら本を読みつつ、最低限の歯磨きや化粧など。
その後、髪を切りに行く。
初めて入るその店は、入る前は知らなかったんだけど「表参道で」とか「ジャニーズ事務所と」とかの経験がある人がやっているところで、
いつものように「襟足ぎりぎりで」とか「前下がりに」とか注文のような単語の羅列のようなことを言い始めたら、
「あー、おまかせでいいですか」と話をきられてしまい、そのままおまかせされてしまった。
なんとはなしにこだわりのある店を選んでしまったのが悪いと思う。
おまかせされた頭になってシアホリの女の子たちと会う。
しおりちゃんと、はじめましての近ちゃん、花ちゃん。
どこ行く?と聞くと、
しおりちゃんが「私、麺が食べたいなあ」と言ったが、
麺食べるところはたいてい長居ができるようなとこじゃないからの理由で却下し、
結局メフィストにした。
そこで2時間はしゃべったし。
メフィストは店員さんもそのままで、トイレの匂いもそのままで、懐かしかった。
バイトで枝豆を茹でているという、まなかってぃのところに冷やかしに行く。
大学生になったまなかってぃはAKBみたいな格好をしていた。
特にすることがないという女の子たちを引き連れて市民図書館へ。
館内で別れて、高知市史の原稿のための資料を見せてもらいに行く。
「詳しいことは聞いてないんだけど」と言いつつ、4誌も用意してくれていた。
ありがたい。
明日また伺います、と言ってひとまず帰る。
漫画を読み漁っていた女の子たちと合流して、
土佐茶カフェなる店へ。
高知産のお茶っ葉で作った日本茶や紅茶を飲む。
店に飾ってあった「イヌジマ」をとても気に入る。

一体8千円とか。
いい時間になったので、お酒を飲みにひろめに行く。
が、ちょうどイベントと重なって、時間も少し遅すぎたみたいで全く空いている席が見つからない。
ここで、次の店を即座に思い浮かべるなんてこの子たちには無理だなあと思い、
私のだいぶ前の高知経験を総動員して小西湖を思い出し、向かう。
小西湖はきれいになっていた。そしてその分、高級感が出ていた。うわ。
うつぼの唐揚げやら、チャンバラ貝やら、しま鯵の刺身やら、どろめやら、土佐巻やら。
およそ高知らしいものを食べる。
後から松島さんとまなかってぃも合流。
フライドポテトとか、焼き鳥とか、どうでもいいものを頼んでいた。
わあわあと楽しかった。
楽しいまま、松島さんのツイッター友だちのやっているバーへ。
この時点でかなり酔っている女の子たちはぐでっとし始め、
いくら知り合いの店とはいっても、こんなおおっぴろげに寝たりもたれたり占領したり
していいものかと思った。
花ちゃんは「もういまだったら誰とでもちゅーできる」と言い、
でもじゃあやってよ、と言うとやらない可愛らしさを見せた。
近ちゃんは何も言わずに擦り寄ってきゅうと腰に腕をまわしてきた。
まなかってぃは私が怖いらしく、なかなか近くに来ない。
しおりちゃんは私がしおりちゃんの印象を言うとぽろぽろ泣いた。
私と松島さん以外、みんな言葉でないもので訴えかけてくる。
があがあと言葉を繰り出している私と松島さんは、この事態についてやはり、言葉でしか対応できない。
彼女達はやがて言葉の世界に来る人たちなのか。
それとも両者は全く断絶してしまうんだろうか。
どちらも歩み寄る必要があるのに、どちらにもその方法がわかっていない感じ。
きっとわかる言葉とわからない言葉を丹念に区別していって、
お互いにわかる言葉で話す努力をすること、
あと、わかる言葉の数を増やしていくこと以外に方法はないのだろうけど、
それを説明するのにも、言葉はいる。
それで、もし言葉によるコミュニケーションが可能になったところで、言葉では伝えきれないものは確かに存在して、
それはいま彼女たちが体現しているものを言葉によって圧殺なり、均一化させてしまうことなのかもしれない。
しかし、やはり、そうであっても今のままではどちらにとっても伝えられないし伝わらない訴えかけである。
好きとか嫌いくらいの大まかなことならそれでもいいんだけど、
もっと入り組んだ、どうして好きなのか、どうして嫌いなのか、ひっくり返ってそれは好きといえるんじゃないかとか、そもそもなんで好きという感情と嫌いという感情があるのかとか、そういうことを伝えあいたいのだ、私とあなたは、ということからまずは伝える必要がある相手なのだ、彼女たちというのは。
ただ好きじゃダメなの?と言われたら、その答えはイエスということ。
恋人ならいいんだろうけど、だって違うし。
そういうのってでも、時間を経ればなんとなく伝わるんだけど、時間がなくて伝えなくちゃいけないときに言葉はあるんだろう。
きっと言葉というのはそういう意味で急いたコミュニケーションツールなのだ。
だから言葉がすぐかえってこないとイラだったりするんだろう。
というようなことをつらつら感じながら、3時とか4時くらいまでいた。

10月30日(日)
朝から市民図書館へ。
昨日見せてもらった資料を年ごとに出してもらい、
ほしいところをコピーする。
3時間くらいで終わった。
その後、ひろめで田舎寿司と魚の卵の煮物食べて、本を読んだ。
夕方からまた女の子たちと集まって、早めのご飯。
近ちゃんは昨日のことについてお母さんに怒られたそうだ。
「昨日はおばあちゃんみたいって言われたから、今日はおもいっきり若い格好してきました」という花ちゃんは、それなりに、
しおりちゃんはウチのお母さんみたいな服を着ていた。
それで、私はバスに乗るために高知駅へ、しおりちゃんは稽古場へ、花ちゃんはバイトへ、近ちゃんは演会の制作打ち合わせへ、それぞれの日常へ戻っていきましたとさ。
もう日も落ちて、周りが暗く、バイバイと手を振って別れた女の子たちの前にも私の前にも闇しかなかったせいもあって、
ぽっかり口を空けた日常は、やはり全てを飲み込む闇であるなあと思った。
行きと違って東京へ戻る前から、もう気持ちは日常へ戻っていた。

10月31日(月)
バスを新宿駅前で降りる。
駅中のパン屋で朝食を食べながら、本のつづき読む。
読み終わったあたりで出勤時間。
電車乗って職場へ。
今日はハロウィンなので、いつもの制服でなく、
クロネコの格好で保育室へ。
着飾った子ども達。
日常なんだけど、でもちょっとイベントが入った日常なので、
昨日までの非日常な気持ちといい具合に溶け込めた感があった。
高知土産の芋けんぴは大好評。

ニイジマ

2011年11月03日 10時14分40秒 | Weblog
今日見た夢。

ニイジマという島に祖母と行く。
フェリーに乗って、青くて透明な海を渡る。
ニイジマは小さな島。
こんもりした木々と白い砂浜で出来ていて、
船着場の近くにしか住宅地も密集していない。
昔、祖父が住んでいたという島。
そして、戦争の時、軍に徴用されていた島。
ニイジマにつくと、祖母は自転車を借りて、
あちこちを見てまわる。
南国の強い日ざしを浴びて、
いつもの手作りワンピースを着て、
長いつばの帽子をかぶり、
薄い茶色のサングラスをかけて自転車を乗りまわす祖母は
元気できれいで私はうれしくなる。
「おじいちゃんとはあとで待ち合わせてるからね」と言う祖母は、
長年連れ添った相手と離れることで感じる自由を謳歌しているようにも、
あとでちゃんと合流する手はずになってることに安堵しているようにも思えた。
「でも、会ったら、おじいちゃん、若返っちゃってるかもしれないねえ」
祖母がすずしげに言った。
「まさか」と私は笑った。
祖父はこの島に住んでいた。
戦争があって、軍人がたくさんきて、島の住民も物も全部我が物顔に使っていた。
どうやら特攻隊の基地のような場所でもあったらしく、
その任務に関しては一切の情報が住民側には知らされていなかった。
「でもね、軍人さんみんな、お腹空かせてたんだって。だからおじいちゃん、自分のお弁当のおにぎり、当時は米じゃないのよ、硬くってでも大事な食べ物、を軍の施設脇の浜に置いていったの。」
祖母の口から出るこの経験は祖父の経験であって、
どうして祖父のことをここまで祖母が知って語っているのか私にはわからない。
祖父が話したんだろうか。
あるいは祖母の口を通して祖父がしゃべっているんだろうか。
私と祖母は黒い湿った土のあるところにつく。
「ああ、ここここ」
祖母は自転車を降りて、その中に入っていく。
そこは地面に色々なものが落ちている場所だった。
戦争からはもう何十年も経っているはずなのに、
英語が書かれたアメリカ軍の缶の煙草入れが昨日落としたくらいの新しさで落ちていた。でも、ふたの部分が壊れて使い物にはならない。
鏡部分がはずれた手鏡は、ガラス細工がピカピカしてきれいだった。
紅色の香水ビンもふたが開いて空っぽの状態で土からのぞいている。
ずっと朽ちないであり続ける捨てられた物が黒い地面からあちこちで顔をのぞかせている。
拾って手にとっても使えない物たち。
でも手に取らず、眺めるだけなら大きな母石の中に柘榴石やエメラルドが点在しているよう。
私がそんなきらきらしたものを眺めていると、
「未だにこんなもんも出てくる」とおもむろに湿った土を掘りおこし、
祖母が土にまみれたしゃれこうべを掴み出した。
ぎょっとなる私の足元にしゃれこうべはころころと転がり、
でもそれは元人間を主張してくるものではなくてどこまでもただのしゃれこうべであり続けたので、
私も落ち着いて、ああ、人が昔ここで死んでそのままにされているんだなあと思った。
よく見ると、ここの土にはきらきらしたものの中に交じって
半分顔を出したしゃれこうべがあちこちにある。
「掘り返してるって言ってもまだまだこんなにあるんだもの、信用できるかね」と祖母が見やる先には、
緑のショベルカーと黄色のショベルカー、掘られてできた穴があった。
無人のショベルカーの脇をすり抜け、祖母は再び自転車にまたがる。
西日が差している。
「フェリー、時間大丈夫かな」急に心配になった私が聞くと、
「ああ、まだ大丈夫でしょう」と祖母がのんびり答える。
私が時刻表を出して確認しようともたもたしている間に祖母は上り坂をずんずん進んでいく。
「それよりもおじいちゃんのとこに行かなけりゃあ」と自転車を押しながら言う。
坂の向こうは入り江になっていて、青い透明な海が見える。
その海岸で祖父を含めた家族たちが遊んでいる。
海水パンツ姿の祖父がおり、その周りで私の知らない親戚たちが話を聞いている。
小さい子たちがいて、これも海水パンツの父までいる。
でもみんな異様に若い。
祖父は父や伯母がまだ小さかったころくらいの若さ。恰幅がよくてつやつやしている。写真で見たことある。
父も私や弟が小さかったころくらいの若さ。細身でまだ黒髪がふさふさしている。いまの弟に似ている。
祖母が言っていた通り、若返っちゃってる。
あとは小さい子も含め、みんな知らない人たち。
知らないけれど親戚なんだろうと思う。
祖母は「あれえ、おじいちゃんはどこかね」と言っている。
祖父が若くなりすぎてわからなくなっているみたい。
私は、おばあちゃん、おじいちゃんはあそこだよ、と思いながらも、
若い父のそばにいる筈の幼い私を探している。