10月28日(金)
仕事終わりに東京駅へ向かう。
東京はもう肌寒いが、そのまま高知も一緒と思ってはならない。
4年いたのでその感を信じ、半袖のワンピース、その上にカーディガンを羽織る。
東京駅は寒い。
ネックウォーマー持ってきている。正解。
バスへ乗り込む。
12時間かけて移動。
薄い毛布に包まって、寝返りを何度かしながら、それでもぐっすり眠る。
視界がカーテンで遮断されていて、電気が落とされれば真っ暗で、
それでも猛スピードでバスが走っている感覚は座席に押さえつけられるようなGでわかる。
昼間の移動と違うところは、
移動している実感がないまま、つまり目で風景が動くのを確認できないまま移動しているところで、
そういう移動は昔のインディオの人が言った、魂が身体に遅れてついてくる、みたいな感覚に近く、
身体は座席があるからここに押さえつけられている状態で留まっているけれど、身体じゃない感覚の部分は、バスよりはるか後で、馬のしっぽにつかまるみたいに必死につかまりながらついてきているという感じ。
これが寝る直前に思ったこと。
10月29日(土)
起きたら薄明るい。
周りの人も起きはじめたので、カーテンを少し開けながら座っている。
おそらく四国入りはしていて、香川か、徳島あたり。
窓の外は黄みがかったオレンジの朝焼け。
いい天気のようでうれしい。
ところが山を一つ越えたら様子は一変して雨。
それでしばらく山を越すたびに青空が見えたり、灰色の雲に覆われたり。
一喜一憂。
高知インター近くの、もう越す山がなくなったあたりでは、青空と秋らしい羊雲。
安堵。
早朝の、まだ動き出す前の高知に到着。
自転車に乗る高校生が多い。
ベルゲンまで行ってパンを買い、アーケードの中のサンマルクへ。
ここまでで自分の服装チョイスを正解とする。
やっぱ、あったかいなあ、高知は。
サンマルクでひたすら本を読みつつ、最低限の歯磨きや化粧など。
その後、髪を切りに行く。
初めて入るその店は、入る前は知らなかったんだけど「表参道で」とか「ジャニーズ事務所と」とかの経験がある人がやっているところで、
いつものように「襟足ぎりぎりで」とか「前下がりに」とか注文のような単語の羅列のようなことを言い始めたら、
「あー、おまかせでいいですか」と話をきられてしまい、そのままおまかせされてしまった。
なんとはなしにこだわりのある店を選んでしまったのが悪いと思う。
おまかせされた頭になってシアホリの女の子たちと会う。
しおりちゃんと、はじめましての近ちゃん、花ちゃん。
どこ行く?と聞くと、
しおりちゃんが「私、麺が食べたいなあ」と言ったが、
麺食べるところはたいてい長居ができるようなとこじゃないからの理由で却下し、
結局メフィストにした。
そこで2時間はしゃべったし。
メフィストは店員さんもそのままで、トイレの匂いもそのままで、懐かしかった。
バイトで枝豆を茹でているという、まなかってぃのところに冷やかしに行く。
大学生になったまなかってぃはAKBみたいな格好をしていた。
特にすることがないという女の子たちを引き連れて市民図書館へ。
館内で別れて、高知市史の原稿のための資料を見せてもらいに行く。
「詳しいことは聞いてないんだけど」と言いつつ、4誌も用意してくれていた。
ありがたい。
明日また伺います、と言ってひとまず帰る。
漫画を読み漁っていた女の子たちと合流して、
土佐茶カフェなる店へ。
高知産のお茶っ葉で作った日本茶や紅茶を飲む。
店に飾ってあった「イヌジマ」をとても気に入る。
一体8千円とか。
いい時間になったので、お酒を飲みにひろめに行く。
が、ちょうどイベントと重なって、時間も少し遅すぎたみたいで全く空いている席が見つからない。
ここで、次の店を即座に思い浮かべるなんてこの子たちには無理だなあと思い、
私のだいぶ前の高知経験を総動員して小西湖を思い出し、向かう。
小西湖はきれいになっていた。そしてその分、高級感が出ていた。うわ。
うつぼの唐揚げやら、チャンバラ貝やら、しま鯵の刺身やら、どろめやら、土佐巻やら。
およそ高知らしいものを食べる。
後から松島さんとまなかってぃも合流。
フライドポテトとか、焼き鳥とか、どうでもいいものを頼んでいた。
わあわあと楽しかった。
楽しいまま、松島さんのツイッター友だちのやっているバーへ。
この時点でかなり酔っている女の子たちはぐでっとし始め、
いくら知り合いの店とはいっても、こんなおおっぴろげに寝たりもたれたり占領したり
していいものかと思った。
花ちゃんは「もういまだったら誰とでもちゅーできる」と言い、
でもじゃあやってよ、と言うとやらない可愛らしさを見せた。
近ちゃんは何も言わずに擦り寄ってきゅうと腰に腕をまわしてきた。
まなかってぃは私が怖いらしく、なかなか近くに来ない。
しおりちゃんは私がしおりちゃんの印象を言うとぽろぽろ泣いた。
私と松島さん以外、みんな言葉でないもので訴えかけてくる。
があがあと言葉を繰り出している私と松島さんは、この事態についてやはり、言葉でしか対応できない。
彼女達はやがて言葉の世界に来る人たちなのか。
それとも両者は全く断絶してしまうんだろうか。
どちらも歩み寄る必要があるのに、どちらにもその方法がわかっていない感じ。
きっとわかる言葉とわからない言葉を丹念に区別していって、
お互いにわかる言葉で話す努力をすること、
あと、わかる言葉の数を増やしていくこと以外に方法はないのだろうけど、
それを説明するのにも、言葉はいる。
それで、もし言葉によるコミュニケーションが可能になったところで、言葉では伝えきれないものは確かに存在して、
それはいま彼女たちが体現しているものを言葉によって圧殺なり、均一化させてしまうことなのかもしれない。
しかし、やはり、そうであっても今のままではどちらにとっても伝えられないし伝わらない訴えかけである。
好きとか嫌いくらいの大まかなことならそれでもいいんだけど、
もっと入り組んだ、どうして好きなのか、どうして嫌いなのか、ひっくり返ってそれは好きといえるんじゃないかとか、そもそもなんで好きという感情と嫌いという感情があるのかとか、そういうことを伝えあいたいのだ、私とあなたは、ということからまずは伝える必要がある相手なのだ、彼女たちというのは。
ただ好きじゃダメなの?と言われたら、その答えはイエスということ。
恋人ならいいんだろうけど、だって違うし。
そういうのってでも、時間を経ればなんとなく伝わるんだけど、時間がなくて伝えなくちゃいけないときに言葉はあるんだろう。
きっと言葉というのはそういう意味で急いたコミュニケーションツールなのだ。
だから言葉がすぐかえってこないとイラだったりするんだろう。
というようなことをつらつら感じながら、3時とか4時くらいまでいた。
10月30日(日)
朝から市民図書館へ。
昨日見せてもらった資料を年ごとに出してもらい、
ほしいところをコピーする。
3時間くらいで終わった。
その後、ひろめで田舎寿司と魚の卵の煮物食べて、本を読んだ。
夕方からまた女の子たちと集まって、早めのご飯。
近ちゃんは昨日のことについてお母さんに怒られたそうだ。
「昨日はおばあちゃんみたいって言われたから、今日はおもいっきり若い格好してきました」という花ちゃんは、それなりに、
しおりちゃんはウチのお母さんみたいな服を着ていた。
それで、私はバスに乗るために高知駅へ、しおりちゃんは稽古場へ、花ちゃんはバイトへ、近ちゃんは演会の制作打ち合わせへ、それぞれの日常へ戻っていきましたとさ。
もう日も落ちて、周りが暗く、バイバイと手を振って別れた女の子たちの前にも私の前にも闇しかなかったせいもあって、
ぽっかり口を空けた日常は、やはり全てを飲み込む闇であるなあと思った。
行きと違って東京へ戻る前から、もう気持ちは日常へ戻っていた。
10月31日(月)
バスを新宿駅前で降りる。
駅中のパン屋で朝食を食べながら、本のつづき読む。
読み終わったあたりで出勤時間。
電車乗って職場へ。
今日はハロウィンなので、いつもの制服でなく、
クロネコの格好で保育室へ。
着飾った子ども達。
日常なんだけど、でもちょっとイベントが入った日常なので、
昨日までの非日常な気持ちといい具合に溶け込めた感があった。
高知土産の芋けんぴは大好評。