世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

盆踊り

2007年07月26日 21時21分40秒 | Weblog
日課の散歩は仕事終わって夕涼みがてら。
同じコースをたどる。
昨日、今日と同じ場所で盆踊りをやっていた。
カセットテープからアンプを通して流されてるあののんべんだらりとした盆踊りミュージックと、それに合わせてるんだけど調子っぱずれの太鼓の音が聞こえる。
どこからか浴衣姿のお父さん方が集まってきて、
盆踊りの時にしか着ないザ・盆踊り的な浴衣をそろいで着込んだお母さん方も出てきて、
子供はあのうにゃうにゃした帯の浴衣をものの見事に着くずしながら跳ね回っていて、
Tシャツ短パンの中高生も「今日は踊っとくべき?」とかいいながら広場に集まってくる。
んで、月が出た出たとか東京音頭とかアンパンマン音頭とかが流れて、みんなゆらゆら輪になって踊る。
そういや、こんな盆踊り風景見るの6年ぶりくらいだなぁ。
前に住んでいた高知というところの盆踊りはそれはもうこんな半分溶けたような踊りなんて誰一人として踊っていなかったワケで。
みんながみんな殺るか殺られるか刺すか刺されるか、という勢いで躍り狂っていたワケで。
かつて少女時代、親から盆踊りバカとまで呼ばれ、盆踊りが催されるたびに嬉々として踊りの輪に加わっていたワタクシではあるが、
悲しいことに月日は流れ、今はただ己の日課をこなしながら横目で輪をとらえるだけだ。
見よう見まねで覚えた踊りももう忘れてしまったしね。
夏がカナカナと鳴いていますよ。

太田光大絶賛の「タイタンの妖女」を読む。
むむ。
とっても質のいいアメリカ映画を観た感じだ。
質がいい。引き込まれる、読ませる内容。
しかし、如何せんアメリカ文化が露骨に出ているとこが私にはあわないのか。
もうここまで完成された小説なら、好きか嫌いかという主観でしか判断できなくなる。
屈強、という言葉が当てはまるかもしれない。
私は弱い人間なので、屈強な雄姿にはコンプレックスがある。
この小説に出てくる人たちはおおよそ、紆余曲折はあるが、屈強な人たちだ。
それも消防士的な屈強さだ。英雄の屈強さだ。
私はそこまで高い理想に自分を持っていけない。だからついていけない。ギブアップ。
大部分の幸せのためならわずかな犠牲はしょうがない、
地球宗教、
自分は誰かによって常に操られているのではないか、
といったどっかで聞いたような命題が目白押しで、それがすべてアメリカナイズされた感じ。
アメリカナイズとは、いっちゃえば潔く切り捨てるということ。
この作者はニヒリストで有名らしいのだが、
この小説にはちっぽけな人間のちっぽけな苦悩なんて簡単に吹き飛ばしながら前に進んでいく。
うじうじ考える暇がないほどの天変地異を盛りだくさん用意して待ち構えている。
うじうじ考えさせてぇ~!
とてもおいしい豪華なコース料理のような小説。
ただわんこそば並みのスピードで供される。
味がわからん。

今週末には「キリクと魔女」の監督、ミッシェル・オスロの「アズールとアスマール」を見に行く予定。
高円寺の吊りチラシ束の、「伝説の縄師 明智伝鬼 晩年の縄の世界を映し出した最初で最後の写真集」の奥にあったのを発見した。
清濁混生。