「コルトレーンのトレードマークは、完全への無慈悲なまでの探求を物語る、彼独特のサウンドにあった。たとえ急進的な抽象の世界にあっても、そこには燃えるような情熱と生命が息づいていた」-ナット・ヘントフ-
はやいものです、また7月17日がやってきました。私が愛してやまないジョン・ウィリアム・コルトレーンの命日です。死に至るまでの経過は昨年の「他に類無き者」で記事にしましたので、ここでは省かせていただきます。
朝から雨模様の今日は、私なりにコルトレーンの世界に没頭するには、格好の休日でありました。昨年は、古い録音からのマラソン聴きというのをやってみましたが、今年は晩年を主軸に、合間に旧作を入れるといったかたちで聴き込みました。(さすがの私も晩年オンリーは、ちとキツ過ぎますので)
「コルトレーンの何処がそんなに良いの?」と訊かれることがあります。好きなものに理屈なんて無いでしょう?!
何処がいい、何がいいではなくて、聴き込むにつれ空っぽになっていく頭の中、そこへ鳴り響く彼の叫びは、何かを私に訴えかけてきます。それは、彼の訴えのはずなのに、自問を繰り返す自分自身の訴えにもきこえる、これがなんだかとても疲れる、ところがその疲れの中に他の音楽では味わえない心地よさが生まれてくるんです。
私はひょっとするとマゾなのか?
コルトレーンの妹、メアリー・アレキサンダーが小さいときのコルトレーンの話として、
「ジョンは、いたずらをしたり悪ふざけをしたりする、普通の子供でした。-中略- ある日曜日、教会の行事が終わった後、会衆が立ち上がり、教会の扉を開けました。メソジスト派の教会では、牧師の説教が終わって人々が椅子から立ち上がり、教会と一体となることを、”教会の扉を開ける”と呼んでいました。その日小さかったジョンは、突然立ち上がり、”教会の扉を開けた”のです。なぜ立ち上がったのかはわかりません。」
と話しています。
コルトレーンは、ノースカロライナのこの教会で立ち上がったときから、生涯なぜ立ち上がったのかを追求し続けたのかもしれません。
私は、宗教観や信仰心といったたぐいのものを持ち合わせていませんから、コルトレーンをそういった解釈で語ることもできません。ただ、彼の演奏に何かへ突き進む精神性を深く感じることも事実です。
彼の演奏を聴いて、自分の精神世界に陶酔していく、これは、音楽を楽しむということに反することなのかもしれませんね。
黒人教会で、自己陶酔にバタバタ倒れていく会衆の映像を目にすることがあります。あの人たちは、陶酔に無限の自己解放を感じ取っているのかもしれない、だとすれば、私がコルトレーンを聴くとき、同様の自己解放をほんの少し共有しているという錯覚もあるのでしょうか。
ほらほら、文章そのものがなんだか怪しくなってきましたよ。
年に一回のことですから、許してください、まるで1年分のコルトレーンを聴いた気分です。(笑)
さあ、後は彼のためにグラスを傾けるだけですね。
今日の一枚は、コルトレーン最後のライブ録音ということになるのでしょう。
1964年パーカッション奏者、オラトゥンジは、ニューヨークで行われていた万国博覧会のアフリカ・パビリオンで演奏を行っていました。彼を敬愛するコルトレーンは、この演奏を聴きに出かけます。
「ハーレムにアフリカの文化センターを作りたいんだ」オラトゥンジがコルトレーンに語りかけました。コルトレーンはすぐに250ドルを振り込んだそうです。
オラトゥンジは、1965年7月19日、マンハッタン125丁目東43番地、ハーレムのまっただ中に会場となる場所を見つけ契約にこぎ着けました。しかしまだ資金が足りず、コルトレーンはさらに250ドルを寄付します。
1967年4月23日「オラトゥンジ・アフリカ文化センター」はついにオープン、自分たち黒人の表現したいものが自由に演れる場、それがこの会館でした。
こけら落としは、もちろんジョン・コルトレーン、その時の模様を収録したのが、このアルバムです。
すでに、コルトレーンは自分の体をコントロールできる状態ではありませんでしたが、この「ルーツ・オブ・アフリカ」を題材にしたコンサートには、なんとしても出演したいという強い意志があったようです。
さて、演奏ですが、後期コルトレーンに対して、アレルギーをお持ちの方は、聴かない方が無難かと思います。ただ、最後の気力を振り絞っての熱演は、私が聴くと涙が出るほどすさまじい迫力を感じてしまいます。
THE OLATUNJI CONCERT : THE LAST LIVE RECORDING
1967年4月23日録音
JOHN COLTRANE(ts,ss) PHAROAH SANDERS(ts) ALICE COLTRANE(p) JIMMY GARRISON(b) RASHIED ALI(ds) ALGIE DeWITT(bata ds) JUMMA SANTOS(per)
1.INTRODUCTION BY BILLY TAYLOR
2.OGUNDE
3.MY FAVORITE THINGS
おまけ、
「ジャズ四方山話」を更新しました。よろしければ覗いてやってください。
今回初めて投書するものです。
ジャズ暦は29年ぐらいですが、サラリーマン生活を送っているので、365日中ジャズに没頭する時間はありませんが・・・
是非、このアルバムを聴いてみたいですね。どちらかと言えば、60年代前半のコルトレーン音楽が好きです。こんな雨の日にはBALLADSなどはいいと思います。とはいえ、後期のTransitionなども好きです。その後、deep spiritual jazz に傾斜し、Pharaoh Sanders,Stanley Cowell, Charles Tolliver, Billy Harper、Hannibalにのめり込んでしまいました。ともあれ、今日は彼の命日・・・LiVEで聴けなかったことが悔やまれます。ではまた!
コジ
昨日はヤフオクでゲットしたBalladsとビリー・ホリデーのLady in Satinが届きました。ビリー・ホリデーも昨日が命日とのこと(出品者からのコメントで知りました)。
二人の命日に届いた二枚のレコード。偶然とはいえ感慨一入の日になりました。
ちなみに出品者からの情報によると昨日は石原裕次郎の命日でもあったそうです。
後期の演奏も、
まだじっくり聴いていません。
コルトレーンの音を聞くと、
が出てきます。
安堵感のようなものと、未来に向けた光のようなものを感じます。
彼は、アフリカへの回帰心を持ち続けていたのでしょうか。。。
NYのコルトレーンハウスがどうなったか、
気になりました。
後期のコルトレーンに違和感がなければ、このアルバムもお聴きになってみて下さい。
とか言いながら、私は後期のコルトレーンを、特に最近は聴く機会が減ってしまいました。
聴くとどうしても脱力感を感じるので、時間と雰囲気を考えてから聴くようになってしまったからです。(笑)
これからも、よろしければ遊びにいらしてくださいね。
それにしても、命日にアルバムが届くなんて、なんともいえませんね。その2枚を聴くたびに、7月17日を思い出すようになるのかな?
「バブはコルトレーンを聴いているとオカマになるな」と言われたことがありました。なんだか身をよじりながら聴いているらしいです。
そんな私ですから、NYのコルトレーンハウス、フィラデルフィアのコルトレーン文化協会、墓地、生きている間に訪ねてみたい・・・・。
どのようなご感想を持っていますか。
一度お聞きしたいと思っていました。
今日の記事にさせていただきました。
よかったら見てくださいね。