私は23年前、泰阜村に来た。当時まだ22歳。右も左もわからない若造だ。
それまで札幌にある大学生だった。出身は福井県。高校から大学のときに、北陸から北海道へ。
何が自分を北に向かわせたのだろうか。
北陸と北海道で、私は、あふれるほどの自然の恵みと、すばらしいひとびとに出会った。
体育会の運動部に所属して「あきらめない気持ち」を鍛えられた。
人と向き合うことを学問とする学部で「人間らしさとは何か」を学んだ(授業は全く出ていなかったが!)
北海道の山々や田舎を訪ね歩きながら「自然と人間の共生」の重要さを心に刻みこんできた。
いつしか、自分が学び取ったことを、未来を生きるこどもたちに、自分のすべてを懸けて伝えようと思うようになり、体育の教員となることを目指すことになった。
しかし、教室の中だけが教育の場だろうか、と疑問に思うようになる。
まずは教室の外の学びの場を経験したいと強く思い、出会ったのが泰阜村だった。
23年前に、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちと生活し始めたが、その当時からよくギター片手にこどもたちと歌っていた。
それまでどちらかというとニューミュージック系の曲ばかり弾いていたけれど、泰阜に来て衝撃的な唄との出逢いがあった。
私の先輩であり当時代表の村上忠明さん(キャンプネームはむさし)がよくこどもたちに弾いたり、何気なく1人で弾いたりしていた曲に惹きつけられ、以来「これだ!」と自分でも弾くようになった。
当時の信州こども山賊キャンプに来ていたこどもたちに向かって、キャンプ最終日に必ずこの唄を歌い、その想いを伝えてきた。
当時、暮らしていた「だいだらぼっち」のこどもたちも耳にタコができるほど聞いたことだろう。
そして、薪ストーブを囲んでいつもこどもたちといっしょに歌っていた。
私は自分の息子の子守唄としても歌ってきた。
その唄を紹介する。
♪ 生きている鳥たちが 生きて飛びまわる空を
あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう
生きている魚たちが 生きて泳ぎまわる川を
あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい 野原が見えるでしょう
近づいてごらんなさい りんどうの花があるでしょう
生きている君たちが 生きて走りまわる土を
あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう ♪
曲名は「私のこどもたちへ」(故笠木透 作詞作曲)という。
泰阜村の自然を次の世代まで残せるのだろうか。
いや、残すのがわれわれ大人の責任で、その気持ちや自然の大事さをこどもたちに伝えたいと一所懸命歌ってきた。
明日、8月12日で、信州こども山賊キャンプに招待した熊本市のこどもたちが岐路につく。
▼第4弾で受け入れた、熊本市のこどもたち
7月下旬から順番に、18名のこどもたちが熊本県・大分県の被災地からやってきた。
泰阜村の自然の中で、青い空と満点の星空をみあげ、透き通る清流で心ゆくまで遊び、顔にべったりと泥がつくほど転げまわった熊本のこどもたち。
私は、その泰阜村に住む大人として、この唄をどうしても「きみたち」に贈りたい。
泰阜村に来て、地震と豪雨であれだけ猛威をふるった自然が、本当はとてもすばらしものだということを、その小さな身体に刻み込んでいってもらえただろうか。
泰阜村に来て、仲間と力を合わせることが、かけがえのないことを教えてくれるものなのだということを、その小さな心に刻み込んでいってもらえただろうか。
泰阜村に来て、これからどんなに過酷なことに直面しても、生き抜くための「支え合いの気持ち」を、その小さな手に握ってもらえただろうか。
たった4~5日間のキャンプでは、何も変わらないかもしれない。
でも、「きみたち」が過ごした泰阜村の土には、このきびしい山岳環境のなかで支えあいながら生き抜いてきた泰阜村のひとびとの、自然と共存する壮絶な歴史と日々の暮らしの営みが流れているのだ。
その歴史と営みを受け取った「きみたち」は、きっと強くなれる。そう強く信じている。
その「信じる想い」を載せた唄である。
▼第1弾の大分県日田市中津江のこどもたち
▼それをサポートした福島の高校生:タカ
▼第2弾の熊本県南阿蘇村のこどもたち
▼それをサポートした福島の高校生:アリサ
▼第3弾の熊本県御船町のこどもたち
▼そして、第4弾の熊本市のこどもたちをサポートした、福島の高校生:レイ
今日は8月11日。
奇しくも東日本大震災から5年と5カ月目である。
熊本地震で傷ついたこどもたちと、それをサポートした福島県の高校生に、この唄を贈る。
代表 辻だいち
それまで札幌にある大学生だった。出身は福井県。高校から大学のときに、北陸から北海道へ。
何が自分を北に向かわせたのだろうか。
北陸と北海道で、私は、あふれるほどの自然の恵みと、すばらしいひとびとに出会った。
体育会の運動部に所属して「あきらめない気持ち」を鍛えられた。
人と向き合うことを学問とする学部で「人間らしさとは何か」を学んだ(授業は全く出ていなかったが!)
北海道の山々や田舎を訪ね歩きながら「自然と人間の共生」の重要さを心に刻みこんできた。
いつしか、自分が学び取ったことを、未来を生きるこどもたちに、自分のすべてを懸けて伝えようと思うようになり、体育の教員となることを目指すことになった。
しかし、教室の中だけが教育の場だろうか、と疑問に思うようになる。
まずは教室の外の学びの場を経験したいと強く思い、出会ったのが泰阜村だった。
23年前に、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちと生活し始めたが、その当時からよくギター片手にこどもたちと歌っていた。
それまでどちらかというとニューミュージック系の曲ばかり弾いていたけれど、泰阜に来て衝撃的な唄との出逢いがあった。
私の先輩であり当時代表の村上忠明さん(キャンプネームはむさし)がよくこどもたちに弾いたり、何気なく1人で弾いたりしていた曲に惹きつけられ、以来「これだ!」と自分でも弾くようになった。
当時の信州こども山賊キャンプに来ていたこどもたちに向かって、キャンプ最終日に必ずこの唄を歌い、その想いを伝えてきた。
当時、暮らしていた「だいだらぼっち」のこどもたちも耳にタコができるほど聞いたことだろう。
そして、薪ストーブを囲んでいつもこどもたちといっしょに歌っていた。
私は自分の息子の子守唄としても歌ってきた。
その唄を紹介する。
♪ 生きている鳥たちが 生きて飛びまわる空を
あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう
生きている魚たちが 生きて泳ぎまわる川を
あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい 野原が見えるでしょう
近づいてごらんなさい りんどうの花があるでしょう
生きている君たちが 生きて走りまわる土を
あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう ♪
曲名は「私のこどもたちへ」(故笠木透 作詞作曲)という。
泰阜村の自然を次の世代まで残せるのだろうか。
いや、残すのがわれわれ大人の責任で、その気持ちや自然の大事さをこどもたちに伝えたいと一所懸命歌ってきた。
明日、8月12日で、信州こども山賊キャンプに招待した熊本市のこどもたちが岐路につく。
▼第4弾で受け入れた、熊本市のこどもたち
7月下旬から順番に、18名のこどもたちが熊本県・大分県の被災地からやってきた。
泰阜村の自然の中で、青い空と満点の星空をみあげ、透き通る清流で心ゆくまで遊び、顔にべったりと泥がつくほど転げまわった熊本のこどもたち。
私は、その泰阜村に住む大人として、この唄をどうしても「きみたち」に贈りたい。
泰阜村に来て、地震と豪雨であれだけ猛威をふるった自然が、本当はとてもすばらしものだということを、その小さな身体に刻み込んでいってもらえただろうか。
泰阜村に来て、仲間と力を合わせることが、かけがえのないことを教えてくれるものなのだということを、その小さな心に刻み込んでいってもらえただろうか。
泰阜村に来て、これからどんなに過酷なことに直面しても、生き抜くための「支え合いの気持ち」を、その小さな手に握ってもらえただろうか。
たった4~5日間のキャンプでは、何も変わらないかもしれない。
でも、「きみたち」が過ごした泰阜村の土には、このきびしい山岳環境のなかで支えあいながら生き抜いてきた泰阜村のひとびとの、自然と共存する壮絶な歴史と日々の暮らしの営みが流れているのだ。
その歴史と営みを受け取った「きみたち」は、きっと強くなれる。そう強く信じている。
その「信じる想い」を載せた唄である。
▼第1弾の大分県日田市中津江のこどもたち
▼それをサポートした福島の高校生:タカ
▼第2弾の熊本県南阿蘇村のこどもたち
▼それをサポートした福島の高校生:アリサ
▼第3弾の熊本県御船町のこどもたち
▼そして、第4弾の熊本市のこどもたちをサポートした、福島の高校生:レイ
今日は8月11日。
奇しくも東日本大震災から5年と5カ月目である。
熊本地震で傷ついたこどもたちと、それをサポートした福島県の高校生に、この唄を贈る。
代表 辻だいち