わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【ベストセラーよりロングセラー】 ~そんな本でありたい~

2017年03月30日 | 奇跡のむらのモノガタリ
「奇跡のむらの物語~1000人の子どもが限界集落を救う!~」

私が6年前に出版した本である。

そもそもそんなに普及されるとは思っていなかったが、まあ、ボチボチ読まれてきたようだ。



先日、出版社から連絡があった。

増刷ということらしい。

10万部も100万部も売れているわけではないから、まあ増刷といってもロットは少ないんだろうな。

それでも、増刷と聞くと、書いた張本人としてはうれしいものだ。



東日本大震災の2011年に出版。

その後、毎年度増刷してきた。

連絡があったのが3月30日だから、今年度もギリギリで毎年増刷をクリアしたことになる。









まあ、私の本は、ベストセラーではない。

そんなわけがあるはずがない。

でもね、みなさん。

おおがかりな宣伝や広告をすることなく、静かにじわじわと読者が広がっていく様は、なんだか私たち泰阜村の生き様らしいではないですか。




出版から10年後に、読んだ人からの読みうつし、口うつし、手うつしで、この本がたくさん広がっているといいな。

そしてこの本に記された内容や想いも広がっていくといいな。

ベストセラーよりロングセラー。

うん、そんな本であってほしい。


代表 辻だいち


【土に生きることだけは】 ~これが命の息吹~

2017年03月29日 | 自然のソコヂカラ
家の畑を耕した。

冬の間堆肥化してきた生ゴミも漉き込んだ。

土に鍬を入れると、まだまだ寒い信州だけれど、ジワジワと汗が噴き出る。

冬を越して白くなった肌。

その肌に春の陽射しがあたると、ふつふつとわきあがってくるなんとも言えないこの感覚。

これが春の息吹、命の息吹なのかな。

それを感じるからなんだろうか、若いころから農作業はまったく苦にならない。

親父もおふくろも農家に生まれた。

両親のDNAが、そうさせるのかもしれない。


▼夜明けの泰阜村





やっぱり、土に触れていると、ワケもないけど心地よい。

やっぱりそうか。

どれだけ忙しくなっても、土に生きることだけは、失いたくない。

今年も土と向き合おう。

次男(高2)の弁当を彩る野菜を創るぞ~。



代表 辻だいち



【それもいいよね】 ~犬一倍強いタロのモノガタリ~

2017年03月22日 | 私のルーツ・私の物語
今日もまた命日。

4年前に他界した愛犬タロ。

15歳で永眠した。

橇引きのアラスカンマラミュートを母にもつ超大型犬。

父は雑種だったが。

橇引き犬だけに、忠誠心が高い。

非常に利口で、温和な性格だった。

でも、ちょっと間抜け(笑)

そこがかわいい。





一方で仲間のコミュニティを守る意識は「犬一倍強い(笑)」。

敷地に一歩でも入ろうとする人にも猛然と吠え続けた。

私たちをどこまでも守り抜く気概の持ち主だった。






同じ年に生まれた長男と、なぜか今日は一緒にいる。

もちろん、タロに献杯だ。

タロ、天国でも豪快に走ってるか。

いつかまた逢おうな。




個人的な記事でした。

それもいいですよね。

代表 だいち

【友よ、いつまでも、友たれ永く友たれ】 ~その瞬間、涙があふれた~

2017年03月19日 | 私のルーツ・私の物語
今日は命日。

大学時代の体育会ハンドボール部の同期。

ゴールキーパーだった。


▼大学2年の時、全日本インカレ(名古屋)にて




5年前の今日、急逝した。

他界する1~2年、連絡が途絶えた。

何があったのかはわからない。

でも、メールやSNSがなかったあの時代ならともかく、この時代にもっと彼にアクセスできなかったのか、と後悔するばかりだ。



今夜は酒豪だった故人に付き合い、ちびちびと酒を飲んで彼を偲ぶ。

同期の皆も今日は全国で献杯している。

きっと皆、彼と会話していることだろう。


▼大学4年、追い出しコンパの直前、同期と。




24年前の追い出しコンパの写真を見る。

一緒につらい練習をしたあの時が、鮮やかによみがえる。

思わず大学の校歌「永遠の幸」を口ずさんだ。

校歌の最後のフレーズは「友たれ永く、友たれ」である。

小さくそのフレーズを口にした時、堰を切って涙があふれた。


▼追い出しコンパ。もう、しっちゃかめっちゃか。








友よ、いつまでもいつまでも、友たれ永く、友たれ。

合掌。


代表 辻だいち


【ひと一人をこの世から送り出すこと】 ~泰阜村は葬儀の本質がまだまだ息づいている~

2017年03月18日 | 泰阜村のソコヂカラ
同じ集落のお組合(自治会)の同年代仲間が亡くなった。

最近、亡くなる人が多い。

もちろん、生まれる命も多いのだが。



昨日は葬儀。

もともとこの村の葬儀は、お組合ですべてとりおこなってきた歴史と風習がある。

この集落に来た24年前。

いきなり葬儀があり、私も当然関わった。

準備から含めて3日がかりの手作り葬儀(そもそも手作りだから、わざわざわ“手作り”とは言わないのだが)は、私にとってはカルチャーショックの連続だった。

私は身体が大きかったこともあり、墓穴を掘る役割だった。

穴を掘った後、集落の向こうから近づく葬列の光景を、いまだに覚えている。

葬儀屋におおよそを任せて簡便な関わりになってきた現代でもなお、その風習の本質が息づく。

朝から夕方まで自治会総出で弔事にあたり、ひとを一人送り出すことの尊さを痛感する時間だった。





精進落としの席は、相変わらず長老陣の仁義なき「そんなんじゃ入らんな~」攻撃に、しこたま飲まされてしまったぞ。

友人達が多く集って、若い死を悼みつつも、故人を笑顔で送り出す印象的な場。

でも、やっぱり親より先に逝ったらあかんな、と痛感だ。

春は、ほんとうに、出会いと別れの時期である。


代表 辻だいち