わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

つなごう

2013年04月30日 | 日々雑感
信州の人々は、走るのが大好きです。

走るのを見るのも大好きです。

昨日は、長野県市町村対抗駅伝。

泰阜村からも、人口が少ないといえども精鋭が挑戦です。

その駅伝の合間に、市町村対抗小学生駅伝もあります。

これがまたおもしろい。

長野市や松本市などの大規模自治体はほんとの意味での選抜チームですね。

泰阜村のような小規模の自治体は、村にひとつの小学校の中から選ばれます。

というか、希望制。

選抜といえば選抜なのですが。

でも、毎週毎週、市町村対抗駅伝チームの大人と練習するのです。

私の長女は補欠。

でも、選手の急な事故で、急遽第一区を任されることになりました。

ということで、私も予定になかったのですが、やりくりして松本市まで応援に行きました。

普段は緊張しない長女もさすがに緊張。

泰阜村小学生チームは結果的には全員小学5年生。

にもかかわらず、泰阜村の小学生の記録の歴代2位でした。

襷(たすき)をつないだ仲間たちの笑顔がまぶしい。


ひるがえって大人の市町村対抗駅伝。

大規模自治体の選手たちは、ほんとうに速い。

小さな自治体の選手たちとの差は圧倒的です。

箱根駅伝を見られる方はわかると思いますが、トップからの時間で「繰り上げ」が実施されます。

つまり、「たすきがつながらない」事態が起こります。

今回の信州の駅伝でも、半分以上のチームは繰り上げにより、たすきがつながりませんでした。

主催者の運営の都合、それは理解できます。

きっとたいへんなんでしょう。

でも、やっぱりおもしろくない。

醍醐味がない。

そういう声が観客席から多く聞かれました。


一観客となり、必死に襷をつなげるこどもたちや大人たちを見ていて思うことがあります。

私たちも、泰阜村から東北へ、想いをつなげるためにがんばってきました。

今もがんばっています。

こどもたちからこどもたちへつなげる2年間でもありました。

過去から今へ。

そして今から未来へ。

それはなんとしてでもつないでいきたい。

そう強く想うのです。

その想いが、国の政治の都合で断ち切られないようにしたい。

「支縁」の襷がつながりますように。

今年も、信州こども山賊キャンプに福島のこどもたちを招待します。

費用を集めます。

なんとしてでも集めます。

みなさん、ご協力ください。

襷をつなぎましょう。


代表 辻だいち


切っても切っても

2013年04月29日 | 泰阜村のソコヂカラ
今日は身体が軋んでいます。

痛い。

それもそのはず。

昨日は、一日中チェンソーで薪を切っていました。

山村留学「暮らしの学校:だいだらぼっち」のこどもとスタッフで、力を合わせて梅雨時の薪と、はやくも冬の薪を準備です。

こどもたちは全員、村の里山に出向いて、薪をトラックに積み込みます。

そのトラックが次々と暮らしの学校「だいだらぼっち」に薪を運び込んできます。

私は、運び込まれた薪をひたすら切るのみです。

切っても切っても運び込まれる薪。

敷地はたちまち薪の山、いや、薪の海です。

▼こんなものは序の口。






切っても切ってもまた運び込まれる。

長時間チェンソーを動かし続けると危ないので、もちろん適度な休憩はとりつつ。

雲一つない青空を見上げると、汗が噴き出ます。

でも、この薪は、向こうの山でこどもたちががんばってトラックの荷台に積みこんだんだな~と思うと、やっぱりがんばらなければ!と力が入ります。

▼休憩時にチェンソーの刃を研ぎます。






しかもこの薪の向こうには村の人々の顔が見える。

村の人々が「だいだらでは薪が必要だろう」と情報を提供してもらったり、薪自体をいただいたりしたのです。

5月3日~5日の連休には、こどもたちの親や青年ボランティアなど、村外から多くの人が集まって、この薪を割ります。

こどもたちも、スタッフも、村の人々も、そして村外の人たちも、みんなで労力と時間と想いを持ち寄って、梅雨時のお風呂と、冬の暖を支えます。

その暖で産み出された灰は、陶器の上薬として使い、食器となって暮らしを彩ります。

里山の木がめぐりめぐる循環の中心に「支え合い」がある。

それを体感するからこそ、身体が軋んでも心地よい。

と、かっこよく強がってみても、身体を襲う痛みは変わりませんね(笑)

▼一日が終わる。疲れて眠る。それが心地よい。




それにつけても、冬が終わったばかりなのにもう冬のことを考える。

長期的なスパンで考えるのが山村の現実ですね。

そんなセンスもまた学べます。

泰阜村、すごいな。

改めて、そう想います。


代表 辻だいち


この気風

2013年04月28日 | 泰阜村のソコヂカラ
今日は泰阜村の小中学校の授業参観。

小学校、中学校とも一つずつしかありません。

同じ日に授業参観をやるので、小中にこどもを持つ親はバタバタです。

私も次男が中学校、長女が小学校なのでバタバタです。

授業参観の後は、PTA総会と学年懇談会(学年1クラスなので)。

私は今年も小学校のPTAの役員。

長女の学年の代表です。

しかもPTA新聞などを作る専門部会の副部長も。

会員数が少なくなってきたPTAで、こどもを数人抱えていると、毎年役員になることも珍しくありません。

総会と懇談会の後は、小中学校合同の新入教職員歓迎会です。

こういう小さな山村では当たり前なのかもしれませんが、着任される教職員を村全体で迎えます。

泰阜村は、学校美術館の建立精神「貧すれど貪せず」に代表されるように、「教育尊重の気風」漂う土地柄です。

なおさら、村のこどもの教育に関しては力が入ります。

村長、副村長、教育委員、教育長、村議会議員も全員、村内各種団体の方々が来賓で、そしてPTA会員も含めると、100人くらいの大宴会。

▼これが歓迎会





こどもの教育、こどもの未来を肴に、村の大人たちがみんなでワイワイ。

すごい雰囲気です。

宴会の締めくくりは、村議会議長の発声による万歳三唱。

100人が「泰阜村、万歳~!!!!」


▼万歳三唱の直前。みんな立ちます。




そして2次会。

私は役員なので、2次会にみんなを誘う立場です。

いや~、校長先生と語った語った。

こどもたちの未来を。

泰阜村の未来を。

日本の未来を。


▼小学校長のカラオケ熱唱





今日のこの雰囲気、なんとも心地よい。

この場のど真ん中に身をおくことの幸せを感じます。

小さな村の住民が、雨の日も風の日も、どれだけ苦しくても、地道に丁寧に守り続けた「教育尊重の気風」。

「泰阜村の底力」を形作る重要な要素です。


代表 辻だいち


壊れる世界

2013年04月25日 | 日々雑感
やっと追いつきました~


二日酔いの頭をたたきながら、福島市内の飯舘村住民の避難宿舎へ行きました。

飯舘村吉倉宿舎。

全村避難となった飯舘村の、こどもを持つ世帯が避難してきた宿舎です。

新築の国家公務員宿舎をお借りできることになったのだとか。

▼吉倉宿舎




これまで1年間ずっと対応してくれた宿舎の自治会の担当者が、産休に入ったので、代理の担当者と打ち合わせです。

もちろん、夏の山賊キャンプに飯舘村のこどもたちを招待する打ち合わせです。

産休に入った前任者がしっかり引き継いでくれたのでしょうか、とてもスムーズな打ち合わせ。

いや、それもありますが、きっと、私も担当者も、お互いにこどもを抱えてるからこそ、当事者としての感覚で話ができて、それがスムーズな雰囲気を醸し出したのでしょう。

私は正直のところ、放射能についての知識などあまりありません。

でも、こどもを持つ親の立場は、福島の親の皆さんと共通ですね。


▼打ち合わせ




そうこうしているうちに、飯舘村吉倉自治会の会長さんが来ました。

飯舘村長泥区の区長さんでもある鴫原さんです。

今の飯舘村の現状を訥々と語ってくれました。

被災、現実、補償、若者、お金、老人、仕事、こども、土地、生きがい、未来・・・

それを聞くことしかできません。

▼鴫原会長さん




壊れる世界を止めようもありません。

何が私にできるというのうでしょうか。


泰阜村に住む私たちは、身の丈にあったことしかできません。

鴫原会長と出会って1年。

この間に、10回は顔を合せたかな。

私の事、泰阜村の事を、理解してくれるようになりました。

今度、彼を、私が授業を受け持っている立教大学のゲストスピークでお呼びする予定です。

私ができることも、少しありますね。

地道に、そして丁寧に、続けます。


代表 辻だいち


ほっと一安心

2013年04月24日 | 震災支援:山村留学へ長期受け入れ
やっと追いついてきました(笑)。


福島に行ってきました。

震災後、被災地に入るのは24回目になります。

夕方に、福島駅で待ち合わせ。

3月まで、暮らしの学校「だいだらぼっち」に娘さんを被災児童扱いで参加させていた福島市のお父さんと。

そこに大手新聞社の記者さんも合流。

この記者さんは1月に泰阜村に来ました。

しかも私の大学の学科のゼミの先輩!?

そして、なぜか長野県飯田市の方も。

この方の職場は私もよく知っていますし、共通の知人の話もたくさん出ました。

今日の主役は飯舘村長泥区長さん、のはずでした。

急な用件が入り来れないことになってしまいました。

でも、主役がいなくても、東北の福島市の居酒屋で、「南信州泰阜村」をキーワードに、共通の話題が飛び交います。

つながり連なる豊かな縁に、不思議な感覚に襲われました。

心地よいその感覚に、ついついお酒を飲みすぎてしまいました。


ホロ酔いで向かったのは、前述の福島市のお父さんの家。

福島に来ると毎回泊まらせていただいています。

家でお父さんと再び一献傾けると、3月まで暮らしの学校「だいだらぼっち」にいた女児(中2)が帰ってきました。

元気に学校に通っている様子がうかがえました。

福島に戻ってきて順応が早いとのこと。

ほっと一安心です。

彼女が、暮らしの学校「だいだらぼっち」に最初に来たのが2011年5月。

私が出迎えて、田植え作業をやっていたこどもたちのところに連れていったあのシーンが、鮮明に思い浮かびます。

年度の途中から泰阜村に来て、果たしてうまくやっていけるかな。

福島に戻って、果たしてうまくやっていけるのかな。

線の細い彼女を見ていると不安を感じることも多かったのですが、実は芯が太くて強い。

全国の支えによって、そしえ泰阜村の人々のあたたかい支えによって、彼女に生き抜く力が培われたのかもしれません。

「行ってきます」

二日酔いの朝、彼女の元気な声が、家に響き渡りました。


がんばれ。

信州から支えているよ。

いつまでも支えるよ。

がんばれ。


代表 辻だいち