わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

奈良の素敵な縁

2013年01月31日 | 日々雑感
奈良女子大学で講演です。

NPOグリーンウッドの創設者:梶さん(かにさん)と二人で3時間依頼されました!

依頼された当初は「3時間か~ う~ん」と少々困惑気味。

というのも、聴衆には高校生もいるとのこと。

高校生相手に3時間って大丈夫なのかしら?と思っていたわけです。

まあでもそんなこと考えていてもしょうがない。

でたとこ勝負!と、かにさんと二人でほとんど打ち合わせなしで臨みました(すいません!奈良女子大の先生方! 笑)


当日は、高校生のために、進め方に参加型の工夫を取り入れました。

山村留学の卒業生や保護者、元スタッフも駆けつけてコメントしてくれて、立体的な内容になるようにも心がけました。

もちろん映像を多用して飽きない工夫も。

あっと言う間の3時間、おおむね好評だったかな~。



そもそもなぜ奈良女子大か?ということなのですが。

東日本大震災の後の2011年の春先。

奈良女子大の甲斐先生とその教え子さんたちから連絡がありました。

なんでも学生さんが産み出した支援金を、顔の見える形で使いたいとか。

そしてすぐに甲斐先生と学生さん2人がわざわざ泰阜村に来てくれました。

「これを作って、販売したお金を支援金としてるんですよ」

その「これ」を見せていただき息を呑んだ覚えがあります。

実に見事にできているミニチュアシューズ。

学生さんと先生が、一つ一つ丁寧に作ったんだとか。

その革は、奈良市内の靴屋さんが余りの皮を提供してくれています(この靴屋さんがまた、東北で学生時代を過ごしているとのことです)

それがたくさん売れているとのこと。

その売り上げをすべて、NPOグリーンウッドの信州こども山賊キャンプに招待した福島のこどもたちのために支援していただきました。


靴屋と大学とNPOの連携による支援。

その名も「一歩一歩プロジェクト」

学生さんの想いと共に、この連携による豊かさに共感が集まりました。

この縁が、今回奈良女子大で、私とかにさんが講演できた所以となりました。

学生さん2人、すでに卒業して二人とも教員をしているとのこと。

一人は福井、一人は奈良で教員です。

今回の講演に、その二人もわざわざ来てくれました。

そしてこの「一歩一歩プロジェクト」は在学生によっても受け継がれています。

こんな豊かな縁が織り成す空間と時間はほんとに心地よい。

講演後の懇親会は、ものすごく飲む学生さんもいて、私も飲みすぎたかな~。


▼おおいに盛り上がった懇親会




でも次から次へと波長が合う人との出会いがあり、ほんとによい時間でした。

ちょうどこの日は若草山の山焼きの日で、天を焦がす大きな炎が奈良の街を照らしました。

偶然とはいえ、素敵な夜の様々な出会いに感謝です。

この写真に写っているもうひとつの物語があるのですが、それはまた次回に!

代表 辻だいち


時を超えた支え合い

2013年01月26日 | 震災支援:山村留学へ長期受け入れ
大阪府高槻市にいます。

1年間の長期山村留学:暮らしの学校「だいだらぼっち」は27年間、のべ400人以上の卒業生を輩出してきました。

そのうち関西以西出身のこどもと親が集まる懇親会を開催しました。

今回は、「だいだらぼっち」のお母さん的存在であるかにさん(梶さち子・NPOグリーンウッド会長)と私が、奈良女子大学に呼ばれて講演講義をすることになり、私はともかくかにさんが関西に来るのはめったにないことなので、みなさん楽しみにしていたようです。

懐かしい顔も続々集まりました。

私の若いころのことを深く知る人たちには、まったく頭があがりません(笑)

時が20年前に戻ったような、なんともいえない心地よさでした。

▼暮らしの学校「だいだらぼっち」関西チームではいパチリ



この中に、阪神淡路大震災で被災し、こども(当時小5)を暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加させたご両親がいました。

「老けたな~」

お互いを見つめて大笑いすれば、あっという間に18年が埋まります。

あのころの話、それからの話に、花が咲きました。

こどもといってももう27歳ですが、彼は、高校卒業後なんと私と同じ大学に入りました。

「だいち、あんたが毎日毎日〇〇大学いいぞ~って言ってたからや! あんたのせいやで」

「あほか、俺のおかげやろ~ 感謝してくれなあかんて」

と、ご両親と私の軽快な会話のなかにも、お互いを心底思いやる想いが込められます。

その彼から1月17日、阪神淡路大震災から届いたメールを紹介します。


 神戸を離れて8年以上経っているから最近の詳細な復興具合は分からんけど、年に1回ぐらい帰ってみると違和感なく過ごせるから復興はしてるんかなぁと思う。ていうか、むしろ建物自体は震災前よりもより近代的に且つ新しくなってるし、あの時の面影は殆ど感じられへんね、人も元気やし。
 「1/17」はやっぱり来る度あの日を思い出すな。地震直後はちょっと揺れただけで怖く感じて心拍数も上がってたけど、最近は震度4ぐらいならうろたえることなくいられる。その辺が精神的に大きく変わったかなぁ。地震の光景は忘れられへんし、未だに覚えてるけど。
阪神大震災は津波、原発がない分復興は早かったと思う。この間陸前高田に行ったけど、まだ全然復興してないしね。東北の被災者、特に子供たちは被災後の俺以上に地震に対する恐怖心(本当ちょっと揺れただけで不安になる)があると思うから、本当にしかっりとしたケアが必要やと思うよ(そういえば俺もダイダラいる時震度3ぐらいで一人だけ母屋の窓から逃げようとしてたなぁ)


その彼は、昨年結婚したそうです。

成長したな~。

当時、キャンプで出会ったときは、失った親戚や友人を想い、夜な夜な泣いていました。

今、東北のこどもたちに想いを重ねて、エールを送ることができるようになりました。

被災したこどもが被災したこどもを時を超えて支える。

当時のこどもたちが今のこどもを支える。

そのど真ん中に、暮らしの学校「だいだらぼっち」があり、泰阜村があります。

今回集まっていただいた関西以西の関係者の皆さん、ほんとうにありがとうございました。

この「時を超えた支え合い」を、次は九州、次は東北と、広げていきましょう。

本当に気持ちのよい夜でした。

代表 辻だいち

浅間山のふもとで

2013年01月25日 | 支えあいの指導者育成
浅間山の山麓に、自然体験やアウトドア、エコツーリズムで生計を立てるプロの経営者たちが、全国から集まりました。

安藤百福記念自然体験指導者養成センター。

チキンラーメンの父安藤百福さんが、自然体験活動の推進のために作った国唯一の施設です。

この施設で1泊2日缶詰で、アウトドアや自然体験、エコツーリズムをビジネス化する可能性について、そしてそもそも私たちの社会的役割は何なんだ?と、あ~でもない、こ~でもないと議論しました。

この業界(そもそも業界とも言えない? 笑)は、ビジネスとして喰っていけるのか?と問われれば確かに心もとない。

でも、なんとかスタッフを雇用して、仕事として取り組んでいる団体もあります。

私たちNPOグリーンウッドはその一つでしょう。

▼浅間山がことのほかきれいだった




ビジネスとして成立すれば一番いいのですが、同じくらいに大切なことは社会的役割をきちんと見据えて活動できてるかどうかでしょう。

私たちは自然の生態系や、自然の仕組みをこどもたちに伝える事だけではありません。

むしろ、自然と人間が調和する社会の仕組みを提案する役割を持っているのだと思います。

小さな山村や、傷ついた被災地、そして社会的課題の多い都市部にも、十分提案できる底力を持っているのだと思います。

東日本大震災に際して、私は次の事を強く思い、東北のこどもたちを信州こども山賊キャンプに招待しています。

自然との接触が失われつつある福島のこどもたちに、もう一度、自然の素晴らしさを伝えたい。

仲間と離ればなれを余儀なくされた東北のこどもたちに、もう一度、仲間と力をあわせる素晴らしさを伝えたい。

そして全国のこどもたちに、どんなに過酷な状況に陥っても、周囲の人たちと協調をとりつつ生き抜くための「支え合いの気持ち」を培ってほしい。



経営者が集まって議論する中身は、けっしてビジネス化だけではありません。

この日本社会をどうしていくのかの、グランドデザインを描く作業なのだと、強く思いました。

しかし、この業界の人たちは、夜が強い!

酒を酌み交わしながら、語り明かす時間は、とても気持ちの良い時間でした。

▼重鎮たちに囲まれてなかなかたいへん(笑)




これからも数回集まるようです。

がんばります。


代表 辻だいち


希望ある授業を

2013年01月23日 | 支えあいの指導者育成
今年1年、毎週毎週、東京に通い続けました。

立教大学「自然と人間の共生」の授業を非常勤で受け持ちました。

前期は新座キャンパスで270人。

後期は池袋キャンパスで300人。

1月22日火曜日は後期最終授業。

最後のまとめとして、南信州泰阜村で20年生き抜いてきた私の個人的な生き様についても紹介しました。

ちょっとこっ恥ずかしい(笑)

授業の最後に、前期授業の感想などをリアクションペーパーに記してもらったのですが、学生さん、ちゃんと考えていますね~。

自然と人間の関係性がどうあるべきかを「考える」のがこの授業の目標です。

その達成のための教材として、泰阜村での自然と向き合う人々の暮らしや、その暮らしを土台にした教育活動を紹介してきました。


一方的に学生に伝える授業ではなく、学生自身が考える授業を目指してきました。

「この講義を受けてみて良かったです。考えてみてください、とおっしゃっていました。新しい見方をを、とも。・・・これからもうっともち続けていきたいなと、より考え、見えるようになりたいと思いました」

「先生の授業は講義形式なのですが、とても楽しく、毎週の授業が楽しみでした」



偏った視点でものごとを見つめるのではなく、多様な視点持とうと呼び掛けました。

「この授業では、新しい考え方を学んだり、発見したりでき、とても充実した授業でした。ゲストスピーカーの方々のお話も勉強になりました」

「違う視点で同じことを見てみると全く異なった事実が見えてくる、という今までの既定概念を崩す体験をたくさんさせていただいた」

「今回の授業で学んだことを忘れず、1つの物事に対して多くの見方、考え方ができる柔軟な大人になりたいなあと思います」



感動したコメントはこれです。

「先生が本当に楽しそうに泰阜村のことをしゃべるこの時間が好きでした。きっと本当に、村や子どもが好きなんだなと思ったし、村の可能性を感じてるのだと思いました。きっと自分はこれから泰阜村に関わることは無いのかもしれないけれど、胸をはっていえます。希望ある授業をありがとうございました」


そう、学生に希望を与えられたとしたら冥利につきます。

希望を胸にした学生はみな、東北への想いも綴っていました。

迸(ほとばし)る若い感性と力。

みなぎる若い希望。

それらが今後の世の中を創ります。

その想いがもっと東北にも届きますように。

彼らが希望を持って、未来を生きることができますように。

信州から祈っています。



それにつけても、泰阜から大学まで片道4~5時間。

たいへんでした。

通い続けた自分に、お疲れ様!とも言いたいです。

われながらタフだな~。

身体が資本、健康が一番ですね! インフルエンザが流行っています。

皆さんも気をつけてください~


代表 辻だいち

奇跡のむらの物語2

2013年01月18日 | 奇跡のむらのモノガタリ
今日、先週泰阜村まで来てくれた福島県飯舘村の長泥区長、鴫原さんと電話しました。

新幹線に乗ったことがない鴫原区長さん。

無事帰れたか心配でした。

電話の向こうの声は弾んでいました。

私「1日ずれたら大雪で、帰れなくなるところでしたね。よかった」

区長さん「大雪だったら帰れなくなった方がよかった。それくらい泰阜村はすばらしいところだった。わはは」

震災前までは牛を飼っていて、旅行などしたことがない区長さん。

2泊3日の滞在でずいぶん刺激があったようです。

「いや~、この歳になって、勉強のし直しだ」

「正直、人生が変わる出会いだった」

「また来たいこの村に。交流しよう」

次々と、前向きな言葉が飛び出します。



区長さんの講演のなかで頭から離れないフレーズがありました。

「何も終わっていない。何も始まっていない」

飯舘村のおかれた壮絶な状況を端的に示しています。

でも、あれだけ頑なだった区長さんの顔が、何度も通ううちに少しずつゆるやかになり、泰阜村に来て笑顔になりました。

泰阜村の風土と人々が発揮する生産的な底力。

その底力が、震災でこてんぱに傷つけられた人々の心を、本質的な意味で癒します。

支援はその場限りの一回性の性質ではない。

未来に連なる連続性の性質でなくてはならない。

区長さんが「また来たい。交流しよう」と言ってくれたのは、連続性が始まったことを意味します。


福島と泰阜の交流は、山賊キャンプを通して、少年野球を通して、そして住民活動を通して、地道にですが力強く始まりました。

小さな地域同志、支え合って、未来を創りたい、そう想います。

区長さんは最後に言いました。

「ああ、辻君の本か。半分読んだよ。いい内容だ。わっはっは」

早く全部読んでください(笑)

拙著「奇跡のむらの物語 ~1000人の子どもが限界集落を救う!」が、1月末日で第3刷になります。

次の出版は、東北と泰阜村の発展的交流を描いて「奇跡のむらの物語2 ~泰阜村の教育力が福島を救う!」にしようかな~?(笑)

代表 辻だいち