願榮寺 福峯だより ブログ版

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5月の御文

2022年04月30日 | お寺のこと

    5月の月忌参りの際に拝読させていただく御文は次のとおりです。

 意味をある程度思い浮かべながらお聴きいただくと、趣きもより深く味わえると思います。

 

 5月 拝読  「信心獲得 (しんじんぎゃくとく)」 の御文 (第五帖 第五通)

 【原 文】

 信心獲得(ぎゃくとく)すというは、第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるというは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。このゆえに、南無と帰命する一念の処(ところ)に、発願回向(ほつがんえこう)のこころあるべし。これすなわち弥陀如来の、凡夫(ぼんぶ)に回向しましますこころなり。これを『大経』には「令諸衆生功徳成就(りょうしょしゅじょうくどくじょうじゅ)」ととけり。されば無始巳来(むしいらい)つくりとつくる悪業(あくごう)煩悩を、のこるところもなく、願力不思議をもって消滅するいわれあるがゆえに、正定聚不退(しょうじょうじゅふたい)のくらいに住(じゅ)すとなり。これによりて、煩悩を断ぜずして涅槃をうといえるは、このこころなり。此義(このぎ)は当流一途(いちず)の所談(しょだん)なるものなり。他流の人に対して、かくのごとく沙汰あるべからざる所なり。能々(よくよく)こころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

 

 【現代語訳】

  信心を得るというのは、弥陀の第十八願を心得ることをいいます。そして、この願を心得るというのは、南無阿弥陀仏の意味合いを心得ることをいいます。つまり、南無と帰命(きみょう)する一念のところに、発願回向(ほつがんえこう)のこころがあるのです。すなわちこれは、弥陀如来が凡夫に功徳を回向してくださるこころです。これを『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』には「令諸衆生功徳成就(りょうしょしゅじょうくどくじょうじゅ = 諸々の衆生に功徳を満足させる)」と説いています。そこで、はるか遠い昔よりつくってきたすべての悪業(あくごう)や煩悩を残すことなく、不思議なる願力のおはたらきによって消してくださる道理があることとなって、正定聚不退(しょうじょうじゅふたい)の位(くらい)につくことができるのです。したがって、自らの力で煩悩を断じることなく涅槃(ねはん)を得るというのは、この意味合いをいうものなのです。この教えはただ当流において談ずるものです。他流の人に対して、これについてあれこれ論ずるべきではありません。よく心得てください。あなかしこ、あなかしこ(= 敬って申し上げます)。