3月の月忌参りの際に拝読させていただく御文は次のとおりです。
意味をある程度思い浮かべながらお聴きいただくと、趣きもより深く味わえると思います。
3月 拝読 「在家尼女房 (ざいけあまにょうぼう)」 の御文 (第五帖 第三通)
【原 文】
それ、在家の尼女房たらん身は、なにのようもなく、一心一向に阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、後生たすけたまえともうさんひとをば、みなみな御たすけあるべしとおもいとりて、さらにうたがいのこころ、ゆめゆめあるべからず。これすなわち弥陀如来の御ちかいの他力本願とはもうすなり。このうえには、なお後生のたすからんことの、うれしさありがたさをおもわば、ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、となうべきものなり。 あなかしあなかしこ。
【現代語訳】
さて、在家生活のなかで仏門をこころざす女性は、何のはからいもなく、一心一向に阿弥陀仏を深くおたのみ申し上げ、後生(ごしょう)をおたすけくださいとおすがりすれば、そのような人をみな仏はおたすけくださるに違いないと思い、決してそれを疑うこころがあってはなりません。これをすなわち、弥陀如来がお誓いくださった他力本願というのです。このうえには、後生のたすかることの嬉しさありがたさを思うにつけても、ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と称えるべきです。あなかしこ、あなかしこ(= 敬って申し上げます)。