新年1月の月忌参りの際に拝読させていただく御文は次のとおりです。
意味をある程度思い浮かべながらお聴きいただくと、趣きもより深く味わえると思います。
1月 拝読 「末代無智 (まつだいむち)」 の御文 (第五帖 第一通)
【原 文】
末代無智の、在家止住(ざいけしじゅう)の男女(なんにょ)たらんともがらは、こころをひとつにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、さらに余(よ)のかたへこころをふらず、一心一向に、仏たすけたまえともうさん衆生をば、たとい罪業は深重(じんじゅう)なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。 これすなわち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。 かくのごとく決定(けつじょう)してのうえには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。
【現代語訳】
末代の世の智慧なき在家生活者は、男性も女性もただこころを一つにして、阿弥陀仏を深くおたのみ申し上げるのがよいでしょう。 決して他の仏菩薩等にこころを振り向けることなく、一心一向に阿弥陀仏よ、おたすけくださいとおたのみする衆生を、たとえ罪は深く重くとも、弥陀如来は必ずお救いくださるのです。 これがすなわち、第十八願の念仏往生の誓願のこころなのです。 以上のごとく信心が決定したうえには、寝てもさめても、命のある限りは、称名念仏すべきであります。 あなかしこ、あなかしこ(= 敬って申し上げます)。