こちら噂の情報局

酒のツマミになる話題をセッセセッセ。独断偏見は”味付け”です※文中の敬称は略。

地中海珍道中14~バルサからパリ

2013-06-30 | 日記
バルセロナの空港は広大だ。
搭乗口まで、さ迷った。
パリに着いてからも大渋滞に巻き込まれた。

バルサではバッグが大きい、と50€とられた。
日本のピーチのような格安飛行機なので手荷物は別払いとは、覚悟していたが6500円とは驚いた。
運賃の約3分の1。
波乱の徘徊、第2弾。

宿は知人が手配してくれたモンマルトル。

昼過ぎに出て21時過ぎ。

と言っても欧州の夜は明るい。
チェックインしてすぐ40年前歩いたモンマルトルの丘目指した。
あの雀叔父さんがいない。
手に餌をかざして雀が群がっていた光景を忘れない。
もう、あの雀おじさんは亡くなっているだろうが、記憶の中にいる。

ところか、あの丘さえ分からない。
日本語のガイド本がないとさ迷う。
それにしても、パリはもっと綺麗か、と思ったけど違った。
車は大混雑。
とりわけオペラ座付近の喧騒は、これが優雅なパリか、と思うほど。
あちこちから車が突っ込んできて、騒音がひどい。

洗練された、もう少し静かな街の記憶があったので戸惑う。
人もこんなに多かったか。
モンマルトル周辺を歩いた(つもり)。
土曜の夜とあって、食事処は人であふれていた。

坂道を降りて、賑やかな通りに出ると、かの有名なムーランルージュの灯が見えた。
風車のネオンがまばゆい。
そこを通りすぎるとまるで新宿・歌舞伎町。

アラブ系の男たちが怪しげな日本語で、風俗店に勧誘してくる。

やっとパリの夜らしくなった。
知らぬうちに3時間近くさ迷って、日付変更線を越えていた。
どうにか宿にたどり着いた。

さあ、明日は何処へ。

地中海珍道中13~Adiosバルサ

2013-06-29 | 日記
バルセロナはいい街だった。
スペイン人の気質とともに、地中海気候が清々しい。
結局、2週間近くをバルセロナ、マドリッドで暮らした。

特に、コロンブスの街、ガウディの街、ダリの街は素晴らしかった。
ダリ美術館のあるフィゲラス、世界遺産の街タラゴナなど郊外を含めて、毎日2万歩以上歩いた。
ぜんぜん、疲れなかった。
見るもの見るものが新鮮だった。
街全体が芸術、アート、歴史と伝統を守っている。

街角街角には、でかいゴミ入れが必ずある。

バルセロナを訪れた40年前の記憶は、ほとんどなかった。
今日はカンプノウ・スタジアムに行った。
メッシの所属するFCバルセロナの本拠地だ。
オフなので、閑散としているのかと思いきや、大賑わいだった。
昨夜のスペイン決勝進出の影響だったのか、は定かではない。
こちらでは、30日深夜に中継されるブラジルとの決勝戦。
パリ移動を決めていたのは後悔する。
熱狂ぶりを見れないのが残念だ。

当ブログも、パリに移動するとPCが使えないので、アップもままならない。
出来るだけ、今のうちに写真を取り込んでおくことにする。


地中海珍道中12~スペイン決勝進出

2013-06-28 | 日記
0-0のまま延長PK戦に突入した。
コンフェデ杯準決勝は、南欧対決となるスペインVSイタリアの激突だった。

私は、運のいいことに一方の当事者、地元スペインのバルセロナのBAR(バル・居酒屋)にいた。
会社員をやめて独立する前の「旅行です」という35歳の若者と飲んでいた。
埼玉に在住していて、ペンキを塗る仕事。
ガウディ見たさにバルセロナにきたそうだ。
「(ガウディの)あの感覚は、すごい」とサグラダ・ファミリアはもちろん、市内各所のガウディ建築を見た、という。

店の前にはサッカーファンと思しき若い男女が、所狭し、と飲みながらTV中継を見ている。
こちらは、サッカー中継を見るより、居酒屋で飲みながら中継を見ている若者を眺めている。

期待した。

スペインがもし、勝ったら、どうなるんだ?
大騒ぎになるのでは?と心配し、期待もした。
日本は早朝にもかかわらず、長女が中継を見ていたかメールしてきた。
「やったスペイン!さいこー!スペインの盛り上がりすごいやろーなー」

結論は残念というか「????」だった。

スペインが7-6でPK戦を制した瞬間、確かに手を叩いたり、叫んだが、それも一部の酔客だった。
極めて、静かだった。
陽気な普段のラテン民族丸出しの感じからは、それほど期待したものではなかった。

日付変更線寸前だったこともあり、帰宅電車が気になったのか。
試合終了とともに、さっと席を立ちだした。

陽気なスペイン人よもっと騒いでくれ、と思ったほどの静けさ。

地元の知人の話がよみがえった。

スペイン代表は人気がない。
ライバルのFCバルセロナとレアルマドリッドの選手が同じユニホームを着ることが許せない、ということだ。

日本でいえば阪神と巨人が、日本代表のユニホームで戦うようなものと例を挙げる。
だが、侍ジャパンでは、そういうこともなく、日の丸を背負うと異常な盛り上がりを見せる。

マドリッドとバルセロナは巨人阪神の数十倍もライバル心を持っているのだそうだ。
だから、代表戦よりも、リーグ戦の方が盛り上がる。
代表戦よりもリーグ戦。

レアルマドリッドに、とてつもない金額で入団するブラジルのストライカー、ネイマールがいる。
そのブラジルとスペインが決勝戦となる。

随分、盛り上がることだろう。

残念ながら、決勝戦の時にはバルセロナにいない。
フランスのパリに移動している。









地中海珍道中11~世界遺産タラゴナ

2013-06-26 | 日記
通称通り、私にとって「悪魔の水道橋」になってしまった。
今からさかのぼること1900年前のローマ時代。
町に水を引くために建設した巨大な水道橋。

バルセロナから国鉄で1時間半。
地中海沿いにポルトガル方向に南下した世界遺産の街タラゴナ。

朝方の雨が嘘のような青空になった。
ウィークデーとあって、賑わいはなかった。

地中海を見晴らせる大バルコニーが有名。

悪魔の水道橋のある丘の上から降りて、海岸を歩いて見た。
水はきれい。
須磨や江の島とはえらい違いだ。

だが、水温は低く冷たい。
よく、楽しそうに子どもらが海の中にいるものだ。
寒くないのか。
波打ち際で裸足で歩いてみたが、とてもじゃないが、入れる水温ではない。
肉食欧米人は基礎体温が、違うのか。
可愛いので水辺の子どもをパチリ。
すると父親らしい色浅黒い小柄なスペイン人が、すっとんきょうな声を出して近寄ってきた。

「スパニッシュ○×◆※」「ノー○×◆※」とか。
ワメきたてている。

人身売買、臓器売買、児童ポルノ?、やっぱり怪しく見えたのかな。

これまで撮った500枚以上の画像を丁寧に見せてやった。
シビレを切らせて笑いながら手を広げて立ち去った。

だが、これで終わらなかった。
この顛末を海岸沿いのベンチに座って、携帯片手にブログしていると、パトカーから2人の警官。
またもや「カメラ見せろ」。

スペイン人はよっぽど写真が好きなんだ。
次は「パスポートみせろ」
無線マイクでもう一人が「ハポンなんとか」といいながら連絡している。

「バルセロナに帰るラスト列車が気になる」
そう告げたら、やっと解放してくれた。
日本で女性TVタレント、ローラの父親が国際手配されてるらしいが、それとも違うだろうけど。

めったにない経験なので「あんたと2ショット」と頼んだら、首をすくめ苦笑いしながら警官はパトカーに乗り込んだ。
いやはやハプニングだらけの日だった。

地中海ビーチは明るいけれど、裏の方では、まだまだ厳しい世界がある。
光があれば陰が必ずあるようだ。

世界遺産にまで話が及ばなかった。
アホな話がまだあったが、次回に譲ることにしたい。

ローマ円形競技場、500年前に建設したカテドラル、そして悪魔の水道橋。
とにかく3万歩に及んだ話はつきない。

地中海珍道中10~明け方まで花火

2013-06-24 | 日記
バン!ドカン!パチパチ!

バルセロナ市街中で市民が爆竹を鳴らし、打ち上げ花火をしている。

夜から朝方の3時ぐらいが最も激しかった。

夏を迎える祝祭日サンファン祭。
昼間と言っても21時半位まで明るいから、昼と夜の狭間が分からない。
昼過ぎから知人の邸宅でバーベキューパーティーを楽しんだ。
なので日中の様子は分からない。
それでもバルセロナ郊外のタウン内でも時折、風に乗った音が聞こえた。

バルセロナから列車で40分の閑静な別荘地。
カルデデウ。

軽井沢か富良野か?そんな雰囲気の地域だった。

ベジタリアンの知人イスマ夫妻が、肉、ソーセージのバーベキューでもてなしてくれた。

暖炉でポテト、パン、肉を焼く。
香ばしい。

日本の男と違い、本当にマメに動く。
家人には決して見せられません。
しかも、本当に野菜しか食べない。
食べたあとは、パラグアイから連れてきたレトリバーと何かのミックス犬を散歩に連れ出した。

実に大人しくて賢い。
まあ、ほとんどリードに繋がれることはなく犬にとっても最高の環境だ。

名をハナという。7歳。

聞くと賢くてなつくのが分かる。

やかましいから声帯手術、走り回るからケージに入れる日本のペット事情に怒る動物愛好家のイスマが、拾ってきた犬だった。
パラグアイの路上に捨てられ、怯え、寄生虫に食いあさられ、毛は抜け、痩せほそったハナを病院に連れて行った。

25回もの注射で、ベッドの上に身体中から黒いものが落ちていた。
寄生虫の死骸だ。
まさに命の恩人。
パラグアイから横浜、埼玉を経て、バルセロナにやってきた幸福なペロ(スペイン語で犬)と温かい話題。
アットホームな宴にほっこりした気分にさせてもらった。

グラシアス!

地中海珍道中9~大道芸人クン

2013-06-22 | 日記

娘夫婦と別れた。
ハネムーンを終えて帰国したのだ。
途端に雨が来た。
こちらに来て、快晴続きだったのに雨男復活だ。


おかげでえらいめに合った。
日本人パフォーマーと飲んだ帰り、歩いて帰るつもりがタクシーに乗る羽目に。
運転手に言葉が通じないからバルセロナ市内をぐるぐる。

まあ、結果的にホテルで寝てるから、よしとしよう。

グエル公園で出会ったワンマンバンドの大道芸人と呑む約束をしていた。

カタルーニャ広場で小林友哉くんと20時に待ち合わせ、会った。

宿泊しているユースホステルが近いという繁華街ランブラス通りのカフェテリアに席を取った。
新宿・歌舞伎町周辺の雰囲気だ。


週末のハナキンとあって、大にぎわい。
チキンの入ったパエリアとビールを注文。

三重出身の長男。38歳独身。
今は愛知・半田市在住。
初めはバンドを組んでいたが、目指す音楽が違うので一人でやり出した。
ワンマンバンドを始めた24歳から、もう14年になるという。

担いでいる太鼓は重さ18キロ。
背中に太鼓、口にハーモニカ、手にギターの全身運動の重労働。

疲れたのかビールを美味しそうにあおった。

日本ではキーボードを加えるそうだ。
輸送に荷がかさばり、移動に手間がかかるので、今回は持って来なかった。
ご両親は70を越えている。

息子が大道芸人稼業をしていることは、半ば諦めているそうだ。

自衛隊出身の父親も最初は怒っていたが、今は何も言わない。
妹は兄の生き方をうらやましがってる、と笑う。

ビートルズの曲が好きで、演奏の中心だ。
顔はやっぱりジョン・レノンに似てると言われるそうだ。


「国境もなく、人種差別もない」
「イマジン」を好んで取り上げる。

とりとめもない、楽しい話で盛り上がった。

「で、ナンボ稼いだ?」
「日本円で2万6000円位ですね。持ってるとコインばかりで重いし、銀行で明日の朝、紙幣に交換しないと」

結構稼げるものなんだ。
次の日もグエル公園で場所取りのため、朝10時に行くそうだ。
あと2週間、大いに稼いで欲しい。

「マネージャーやろか」
「いや、何だかかすめ取られそう」

楽しい一期一会を大笑いして別れた。


地中海珍道中8~頼もし日本の若者に出会った

2013-06-21 | 日記
ハネムーンの日程を終えた娘夫婦をメトロで見送った足で、ガウディ監修の公園に来ている。
バルセロナ市内から歩いて40分。

今日から本当の徘徊一人旅だ。

その公園は正式には「グエル公園」という人気スポットだ。
カラフルなトカゲ像やキノコ風の建物に加え、地中海を見張らせる高台の高級住宅街の一角にある。

広大な公園は15万平米。
南欧の金持ちのケタは違う。
ガウディのパトロンだったグエル氏に依頼されて設計した庭は、くねくね道が丘の上まで伸びている。

道すがら、あちこちでストーリートミュージシャンが演奏している。
サックス奏者、ベースにギター、アコーディオン。
日本なら、ちょっとしたライブハウスでも出来るハイレベルな演奏をする。

そんな中で、ド派手な格好と演奏で人を集めている若者がいた。
陽には焼けているが、どうも英語づかいは日本人っぽい。
背中に太鼓、口にハーモニカ、両手にギターを抱え、弾く若者に魅入った。
日差しの強い中を上がって来て、疲れていたせいもある。
しばらく見ていると、観光客が立ち止まっている。
時折、ジョークで笑わせている。

リズミカルにコミックに唄う風貌はジョン・レノンに似てなくもない。
小林友哉。38歳。名古屋出身。独身。
「小銭稼ぎに来ました」と笑う。
バルセロナに1か月滞在して、グエル公園で2週間ほど演奏するという。

中々の人気者で、ゆっくり話が聞けない。
ギターケースにはコインがたまっていた。

夜、ゆっくり話を聞きたい。
飲む約束をして別れた。

地中海珍道中7~デジカメとフラメンコ

2013-06-21 | 日記
何処を撮っても絵になる。
40年前の旅と決定的に違うのは、カメラのSDカードとフィルムの違いだ。
日本脱出から6日にして、一体何枚ぐらい撮っただろう。

フィルムなら、残り枚数が気になり、フィルムはまだあったかが気になりシャッターを押すことに慎重になる。
SDカードだと、何のためらいもない。

36枚撮りフィルムなら、すでに10本は越えているはず。
カバンの中は40年前なら、撮影済みフィルムがゴロゴロしている。
残り枚数が気になって、カメラ店を探す厄介さは、もうない。

帰国後も、現像、フィルム整理が大変。
SDカードは見ながら削除出来るのだ。
これが40年前にあれば、カプリ島、ベニス、フィレンツェ、ローマ等を撮影した新婚旅行のフィルムを落とすことはなかった。

無くしたのは最後の滞在先エジプト・カイロのホテルに間違いない。
家人からは、あれ以来、何ごとにも信用されなくなった。
「あの時撮った写真があれば・・・」と40年間言われ続けている。

たかが写真されど写真だ。
「また、家族と来ればいい」とJTBの旅雑誌に投稿。
写真つきで採用された記事掲載で強がりを記した40年前。

話を戻す。
書き残したマドリッドでのフラメンコ鑑賞。
ホテルのフロントに予約してもらった「トーレス ベルメハス」というお店。
宮崎からの日本の団体客のツアーが、その前の公演を見たようで、ゾロゾロ出てきた。
舞台真下席でディナー付き。
3人で230・6€(約3万円)。
一人75ユーロ(約1万円)ぐらい。
食事なしのワンドリンクなら約30€(3900円)だったが、どうせなら、と奮発した。
かぶりつきで、赤ワイン片手にど迫力のフラメンコを撮りまくった。
舞台はジプシーの生活をしのぶイスラム文化の色が濃い。
凝ったステージでムードは満点。
40年前に見たフラメンコは洞窟のようなところで見た記憶がある。
夜10時半から、いきなりギター奏者2人と唸る(唄う)2人の計4人が舞台に上がる。
何の前説もアナウンスもなく、ショータイム!
しばらくすると真っ赤なドレスをヒラヒラ、力強いタップで、でかいおばちゃんが登場した。
かかとが複雑骨折しないか、膝頭の円月板を損傷しないか、余計な心配をするほど激しい。
会場は一瞬にして熱気、活気に包まれた。
女一人、若い男女、横浜ベイスターズのデニー友利投手コーチ似の男一人、女同士、志村けん似ベテラン男一人。

入れ替わり立ち替わり息もつかせない。
足踏み鳴らし、汗にまみれて踊り続けた。
ちなみに若い女は倍賞千恵子似ダンサーだった。

あれだけ激しい踊りなのに、なぜ、おばちゃんダンサーは太いのか?
痩せへんのかな。

地中海珍道中6~おおガウディ

2013-06-20 | 日記
スペイン人の知人がネットを駆使し、スペイン語で予約してくれたサグラダ・ファミリアに入った。

天を見上げる内部。
巨大なステンドグラスが四方の壁面にある。
それが、より神秘さを際立たせる。
朝9時。行列が並んでいたが、予約をしてもらったお陰で、スイと入場出来た。
混んではいなかった。
外観を見てもその威容に圧倒されるが、中に入ったら、更にその壮観さとステンドグラスの色彩の鮮やかさに絶句する。
入場料14・8€(約2000円)の価値あり、だ。

サグラダ・ファミリアに入場後、ダリ、ピカソ両美術館へ行って・・・など1日のプランを描いたが、とんでもなかった。
スペイン人の知人ダンナが「そんなに回るの、無理だよ」といっていた意味が、ここでよくわかった。
壮大で奇抜で、見るもの見るもの、新鮮で飽きない。
オー、へー、うわーの繰り返し。
中には工房や建設の歴史を見学出来るエリアなどもあって盛り沢山。
外観はあちこち、工事だらけ。
まだまだ未完成なところが、魅力的で奥が深い。
後日、世話をしてくれた知人の話を聞いて、ドラマだ、と思った。
ガウディは建設中のファミリアを見上げている最中に、車に轢かれて亡くなったそうだ。

まさに、命をこの建物に息を吹き込んで、現場で亡くなった。

サグラダ・ファミリアは、まだ、建設途上。
完成まであと75%も残っている、という。
壮大な建物の壮大な夢の終わりは、まだまだ続く。

地中海珍道中5~何だこりゃ!

2013-06-20 | 日記
フラメンコの話は次回に回して、サグラダファミリア。

マドリッドから空路2時間のバルセロナにきた。
暑い。
イベリア半島ド真ん中マドリッドから随分、南下した気分だ。
だだっ広い空港。
空港内を歩いて、歩いて、15分もかかってバス乗り場に到着。
空港からバルセロナ中心部カタルーニャ広場まで約30分(5・9ユーロ=750円)。
そこからタクシーで三つ星「アラネアホテル」までタクシ-で5分(6・5€=荷物代含む=800円)。
3泊だけとってあった。
あと1週間泊まりたい、とフロントに告げたが「部屋がない。1日だけならある」という。
それまでは、娘と一緒のツアー代金なので、宿泊代を知らなかった。
「これからの予約をしていない」というと「1泊120€(16000円)です」という。
「よかった」
そばにいた娘と顔を見合わせた。
「1週間も延長していたら、エライ目にあった」。

事実、大したホテルでもなく、相場は60€~80€(8000~11000円)ぐらいなので、内心ほっとした。
外の気温とともに、体までホットになった。
暑いと言えば、もっとも熱い建造物のド迫力にはオーマイガア!でんがな。
トンガン、キンガン、槌音が響く。
巨大なクレーンが、天空で動く。
ここで建設に携わり、重責を担った日本人がいる、という。

59歳。外尾秀俊。
あの槌音の中にいるんだろうか。
会えるものなら、会って話を聞きたい。
観光客が行列を連ねるが、もう少し滞在して、会える算段をしてみよう。
今夜はかつて記者仲間だったA・Nに会う。
現在は退職してバルセロナ在住のスペイン人と結婚した夫婦とのディナーが楽しみだ。

地中海珍道中4~ベレン

2013-06-19 | 日記
ポルトガルはイベリア半島の大西洋側に細長くへばりつく。
首都リスボン駅前(写真上)から238番のバスで北へ20分(1・8€=230円)のベレンという街に行った。
ここにも世界遺産がある。
ジェロニモス修道院(写真上)とベレンの塔だ。
リスボンからすぐのところに、左側が大西洋、右が内陸部の素晴らしい街が視界に広がる。
鉄道を真ん中に両サイド3車線の道路が走る。
途中にあった警察署。
赤いブーゲンビリヤの花が警察署の入口に垂れ下がっている。
なんとも小粋。
赤い花のお蔭で、警察署まで穏やかに感じるから不思議だ。

エッグタルト(写真下)が美味しい店という娘の案内で、土地と同じ名の「ベレン」に入った。
まあ、評判の店なら入っておくべし、ではあろう。
旅の心得として。
観光客らしき人で盛況だった。
言ってしまえば甘いお菓子。
娘には悪いが、どうって言うこともない。
ビスケットとプリンの合いの子のようなもの。

驚いたのは、ビールと合ったことだ。
周囲がビールで食べていたので「こんな甘いものと合うのかな?」と疑問に思った。
びっくり!こいつはいけた。
糖尿には最悪の取り合わせだが…。
最悪の代物といえばシーフード。
有名な「発見のモニュメント(写真上)」を眺望できる近くのレストランに場所を変えた。
注文した。

エビやカニ、牡蠣はいいがグロテスクな一品も。
(写真上)
日本の海辺にフジツボと同居しているようなものだ。

サルバトーレ・ダリがヒゲを取ったような顔の!店員が、手で剥いてくれたが「何が美味しいねん」と日本語で毒づいた。
言葉の通じないダリくんがニコニコ愛想ふりまく。
次から次へと鮮やかに剥いてくれるのだが、誰も手をつけない。

一口食べただけで皿の片隅に集めた。
生臭いにおいがした。

牡蠣もフニャッとして、プリンとしていない。
明日の腹具合に自信がない。
ビールと赤ワインで胃を洗浄しておこう。
◆ポルトガルの首都リスボン テージョ川の右岸に位置。15世紀に始まった大航海時代。エンリケ航海王子の号令で海外進出。ポルトガルは欧州最大の貿易国に発展。ジェロニモス修道院はエンリケ航海王子とバスコ・ダ・ガマの偉業をたたえるために16世紀初頭建造された。

地中海珍道中3~コインブラ大学

2013-06-18 | 日記
コインブラ大学の校舎は王宮をそのまま使った。
今年、世界遺産に登録されたばかり。
圧倒的な古代建築の佇まいに沈黙するしかない。
1290年創設され800年余。
丘の上に建つポルトガル最古の大学と聞いて、身がすくむ。

授業開始とともに、高い丘の上で鐘楼の鐘の音を奏でる。
学生中心の街だけに、ここそこで、チュッチュしておる。
西洋人に恥の文化はないのか、まだ昼下がりだぞ。

か、と思えば洒落たモダンなカフェテリアが伝統建築と同居。
眼下に眺めつつSAGAのビールを喉元に流し込む。
フランシスコ・ザビエル以来、ポルトガルと日本の味覚は近いのか。
ビールの喉ごしはアサヒドライだ。

気温20度の涼しい風が至福の時を運んでくれた。
こんないいキャンパスで我が娘は青春を過ごしたのだ。
11年前に娘がコインブラ大学留学していなかったら、コインブラという名前さえ知らなかった。
まして、欧州でも古い大学の一つなんて、爪の先ほども知らない。

ひょっとしたらイベリア半島の端にへばりつくような国ポルトガルさえ訪れることがなかったかもしれない。

ぶらーり、ガイドしてくれた娘。
そして育児放棄の父親に代わって育てた家人に感謝だ。

道に迷いつつ留学時代ホームステイした下宿先を探し当てた。
だが、コインブラの"母"は留守だった。
会えなかった。
これも旅の一つかな。

それにしても、日が長い。
21時過ぎても、まだ明るい。
夜がとにかく短い。
坂道、路地、石畳…老体を忘れて2万歩。

ハネムーンの娘夫婦とは、途中で別行動。
そろそろ宿のあるリスボンへ電車賃35ユーロかけて帰ります。
◆コインブラ大学(Universidade de Coimbra)1290年ポルトガル王ディニス1世によって創設。ポルトガルの北部コインブラにある国立大学。大学が街の中心。黒いマントを着た学生が行き交う。学生数は8学部約2万2000人。学部ごとにシンボルカラーがある。欧州でも長い歴史を持つ大学のひとつ。「コインブラ大学 - アルタとソフィア -」として2013年、UNESCOの世界遺産登録された。

地中海珍道中2~ポルトガル

2013-06-17 | 日記
日本は雨が降ったのか?
梅雨明けを聞いた日本を離れて、はや3日。

64歳リセット。
地中海一人歩きのツユ払いを、我がハネムーン娘夫婦にしてもらっている。

娘との夢の約束の一つが、11年前に娘が留学したポルトガル・コインブラ大学に案内して貰うこと。
もう一つはホームステイ下宿先のお婆さんに挨拶することだった。

叶うと思っていなかった夢がようやく叶う。
どちらかの仕事や家庭、健康・・タイミングがすべて一致しないと不可能だった。
私は64歳で会社をリタイアした。
娘は結婚をし、職場も新たなスタートを切る時だった。

首都リスボンから北へレンタル車(シトロエン)で2時間半。
運転しようと思ったがマニュアル車だ。
坂道、石畳の多い道路はオートマチック車に適さない。
なので、欧州ではほとんどがマニュアル車なのだそうだ。
マニュアル車など教習所でしか乗っていない。
せっかくの国際免許も役立たず、あきらめた。
娘婿の運転で、今年世界遺産登録されたばかりのコインブラ大学をめざし、ひた走った。
ハイウェイに入るまでが大変。
左ハンドルで右車線。
標識案内もポルトガル語。
予想以上の困難を極めた。
娘婿は、日本でもマニュアル車を運転している。
「もう、楽なATにしたら」と言っていたが、それがこちらへ来て、こんなに役立つとは思わなかった。
娘婿に任せてビデオ撮影役に専念した。
リスボン市内をそれこそ、ぐるぐる回ってどうにかハイウェイに乗った。
娘のポルトガル語が少々役立った。
迷った挙句、途中の道で、白ヒゲの老人に道を尋ね、うまくいった。
ハイウェイに乗ってしまえば快適だった。
広い3車線に加えて車の数が少ない。
日曜日だからトラックが少ないのか、乗用車が多い。
スピードメータは130キロを指している。
突っ走ったが、どんどん追い抜かれる。
「150キロ以上出してるよ」娘婿も口あんぐり。

日本のように制限速度や注意書き、道先案内的標識が極端に少ない。

もちろん、オービスなどない?。
覆面パトカーなんぞ、姑息なものはあるのか?
点在する家はすべてがオレンジ色の屋根に白壁。
ヂスイズ南欧だ。

ポルトガル第1の学研都市コインブラに着いた。
まさに古色蒼然とした街並みだ。

長くなったので、続編は明日にしよう。
焦る道中ではない。

地中海珍道中1~怪しげアムステルダム

2013-06-16 | 日記
いきなり、やらかしてしまった。

スキポール空港からアムステルダム中央駅に向かっている列車に乗ったはずが、どんどん郊外の牧歌的な風情になってきた。
列車乗り違いだった。
欧州放浪の第一歩の地は、空港駅から列車で20分のところのはずだった。

おかしい。
いつまでたっても、つかない。

どうやら、途中から違う軌道に入ったようだ。

「OH!」目の前に座った女性に尋ねると目をひんむいた。
左手を振り回し、やたら向かいのホームを指さす。

あわてて飛び降り、走った。
お供したハネムーン若夫婦も続いた。
列車は逆方向に走っていた。

これも旅そのものだ。
着いた。
アムステルダム中央駅。
片道550円。
余計に乗れて、いい景色も見れて得した気分だ(と、強がる)。

出口に改札がない。
素通り(何の為の切符)で改札口を出ると、歴史あふれる建造物が圧倒的な存在感で迫ってきた。
全体が大学のキャンパスのように美しいオランダの首都アムステルダム。

駅舎自体が、新東京駅をそのまま歴史的建造物に仕上げた風情にあふれる。
駅前にはモダンな市電が縦横無尽に走り、建物とそれが妙にマッチする。

日本は梅雨真っ最中だが、ここは気温16度。
肌寒いくらいだ。

人波について行くと、淫靡(いんび)さが漂い始める。
雑貨屋と思い、足を踏み入れるとショーウインドーにはパイプがズラリ。
大麻吸引パイプのようなものが所せましと陳列してある。
オランダが大麻を合法化していることを実感させられた瞬間だった。
更に歩いて運河沿いに行くと、若い男の集団が橋の上で歓声を上げている。
よく見るとガラス戸越しに下着姿の女が立って誘っている。

アムス名物の飾り窓の女だ。

カメラを向けた。
赤いカーテンを女が引きぴしゃりしめた。
身体を隠した。
金髪、真っ赤なルージュの女が顔だけ出して、こちらに怒りの形相。
何やら身振り手振りで叫んでいる。
「NOピクチュア」とある。
写真ご法度。

一旦立ち去るをふりする。
それでは再チャレンジ。
風景を撮るようにゴミ箱の上にコーラ缶を乗せて、フェイントかけるようにカメラを向けた。
黒服の大男の黒人が飛び出してきた。
スーッと顔を合わせずに、何事もないように逃げた。
写真にしておきたかったがトラぶりたくない。

運河沿いは美しい町並みと淫靡さが入り混じり漂う。
まるで新宿・歌舞伎町をもっと淫靡にした雰囲気。
昼間だったから良かった。

夜になれば、もっと不気味だろう。
アンバランスな佇まいが魅力の街だ。

駅前でユーロミュージックを奏でる男2人を後に空港に戻った。
空路2時間余りのリスボンへ。
さて、明日は娘が10年前に留学したコインブラ大学を訪ねることにする。

もうすぐ日本脱出

2013-06-15 | 日記
ユーロただ今129円也。
飛行機座席を受け取り、取り敢えず5万円を両替した。

380ユーロ。洋行ムードになってきたぞ。

それでdocomo窓口に行ってみた。
念のため、だったが行って良かった。

海外でのメールのやり取りは、高額費用がかかり、写真添付すれば数千円にもなる、と受付嬢がサラリ。
おぃ、おい、驚愕の事実がわかった。
かからないような手続きをやってもらってふー!とひと安心だ。

分からないことは怖いもんだ。

でも、徒手空拳の40年前の、お気楽旅が懐かしい。