こちら噂の情報局

酒のツマミになる話題をセッセセッセ。独断偏見は”味付け”です※文中の敬称は略。

40年ぶりの洋行

2013-06-14 | 日記
お久しぶりチョコボさん、有り難う。行ってきます。

「洋行」・・・なんと古めかしい言葉だろうか。
40年ぶりの南欧への旅。

だが、のっけからトラブル発生。
「人身事故のため、一部列車の運行が遅れています」と始発駅のアナウンス。

今朝は5時前に起きた。関西空港まで行かねばならない。
乗り換え5度。2時間半はかかるので、我が家からの交通時間は東京→大阪間の新幹線に匹敵する。

乗り換えの連絡が命。電鉄会社が違うので待ってはくれない。スタートでつまづくとろくなことはない。

それにしても、荷物が重い。カラコロ引っ張って歩くのは結構恥ずかしい。

旅は身軽が一番、と言いつつ、娘が用意してくれたキャリートランク(この言い方が正しいのか分からない)を運んでいる。
それでも家人は、そんな身軽でいいの?と不審顔。

取り敢えず気まま洋行記第1弾だ。

離陸時間までに着けばいい。なるようになる。

ふあー、眠いけれど、睡眠は機上でとればいい。

怪童・尾崎「太くて短い人生」

2013-06-14 | 日記
まるで7月の真夏の気温だ。
13日には大阪・豊中で発熱ともいえる37・9度。
梅雨というのに、雨がまるで降らない。

農家どころか、元気な人までぐったりする。

50年前の怪童が死んだ。

小学校6年生で野球をしているころ、浪商に「ごっついピッチャーいてるで」という噂を耳にした。
それが尾崎行雄投手だった。

浪商1年生で甲子園のマウンドに立つ姿は、まるでゴリラだった。
胸板の厚い、でっ尻の体型と風貌。
投げる前には、ドンと胸をたたく仕草は、ハリウッド映画「キングコング」そのものだった。
ややスリークォーターから、右腕を振ると、うなるという表現がピッタリの豪速球がミットを叩いた。

「戦後最速の甲子園投手」は誇張ではない。
並び称される江川卓(作新学院→法政→巨人)が、ピュッとくる快速球なら、尾崎のそれは「ズドーン」と浮き上がる剛球だった。
野球人生の後半7年でわずか9勝。
強打のボクサーが自らパンチの強さに耐えかねて拳を骨折するのと同じで、尾崎も腕の振りの鋭さで指のマメすぐできて苦しんだ。
ストレートとカーブだけで、入団5年で98勝をマークして、プロ野球人生はほぼ、終わった。

中京大体育学部・湯浅景元教授の解析によれば、球速はMAX159キロだった。
体格とトレーニング方法の変化で、150㌔は当たり前の現在と違って、50年前だからすごいとしかいえない。
90年代前半の甲子園でも、140㌔投手は怪腕と言われた。

球速と共に、野球人生も超高速だったことになる。
登板過多で、肩を故障したことでも、恨みつらみは一切吐かなかった。

「太く短い人生」こそ、怪童・尾崎行雄そのものではなかったか。

◆張本勲(浪商→東映の先輩)「私よりも4つも若く、本当に信じられない。大変ショックを受けている。母校・浪商の後輩で、東映に入団したときは17歳。駒沢の合宿所で2年間、一緒に過ごし、「ちび」と呼んでかわいがっていた。江夏豊を右投手にして、さらにボールを速くした感じだった。本当に速かった。右肩を痛め、太くて短い野球人生だったが、あんな投手はもう二度と出てこないだろう。尾崎は本物の怪童だった」
◆高田繁(浪商1年後輩→巨人)「浮き上がってくるような剛速球。打者は分かっていても打てなかった」
◆柴田勲(法政二高→巨人)「僕はコントロールで勝負するタイプだが、彼は剛球。球の速さは当時の高校生では打てなかった」
◆野村克也(峰山高→南海)「打席に立っていて、踏み込んで打ちにいくのに勇気がいるタイプの投手」
◆楽天・星野仙一監督「めちゃくちゃ球が速かった。うなりがあった」
◆片岡宏雄(浪商OB→元ヤクルト・スカウト部長)「尾崎が浪商に入ったばかりのころ“凄い投手が入った”と聞いて見に行った。見たらボールがうなってた。今まで見た投手の中でも球威はNo・1。ボールが指に掛かりすぎてよくマメをつくっていたが、それでも投げていた。プロでは短命だったが、今のように球数制限とかあったらもっと活躍していただろう」
◆中西太(元西鉄の怪童)「彼は確かに怪童だった。素晴らしいスピードでストレートと分かっていても空振りした。ただ速いだけじゃない。切れ、伸び、コントロールも良かった。ごっつい投手が出てきたという印象。1カ月ほど前、浅草で舞台を見たときにあいさつをしてくれて、元気そうだったのに」
◆牛島和彦氏(浪商→中日)「高校時代から「伝説の人」と聞かされていた。自分は球がそれほど速くなかったけど、尾崎さんを目標に頑張ってきた。数年前に大相撲の富士ケ根親方(元小結・大善、浪商)に誘われて、尾崎さんのお店で一緒に食事をした。「これからも野球界のために頑張れよ」と声をかけてもらい、そのときの元気なイメージしかないので、びっくりしている」

【NEWS抜粋】「怪童」の異名をとった伝説の豪速球投手、尾崎行雄(おざき・ゆきお)さんが13日、肺がんのため急死した。68歳だった。先月に体調不良を訴え、今月初めに東京都内の病院に入院していたという。通夜は18日午後6時、葬儀は19日午前10時、東京都荒川区町屋1の23の4の町屋斎場。喪主は長男力(ちから)さん。大阪・浪商高(現大体大浪商)で1年夏からエース。3季連続甲子園出場。2年時の61年夏の甲子園で優勝高校中退した17歳で東映に入団。ルーキー年の62年にいきなり20勝をマーク。東映球団初のリーグ制覇に貢献、新人王を獲得。65年には27勝12敗で最多勝。登板過多で右肩を故障。プロ12年目の73年、29歳で引退。通算107勝83敗。

★尾崎 行雄(おざき ゆきお)1944年9月11日、大阪・泉大津市出身。浪商高校(現大体大浪商)2年の夏の甲子園優勝投手。1年生夏の甲子園から法政二高の柴田勲(巨人)との対決は名勝負で、野球ファンを熱狂させた。1年後輩に高田繁(元巨人V9戦士)がいる。20勝9敗、防御率2.42で新人王。18歳の新人王は史上最年少記録。64年から66年まで3年連続20勝。65年には27勝を挙げて最多勝。73年に29歳で現役引退。引退後はステーキレストランを経営。176㌢、83㌔。右投げ右打ち。