中越沖地震-2・・・・柏崎市の地形・地勢

2007-07-20 19:49:55 | 地震への対し方:対震

 上掲の写真は、散歩中の男性が建物倒壊で難にあった「円通寺」の周辺のgoogle earthからの航空写真。
 ゼンリンの地図を見ると、あたりには、驚くほど寺院が多い。そこで、上掲の写真には、周辺の主な寺院名を加筆した。
 そして、それがなぜなのか、あらためて、柏崎市について調べてみた。資料は、「日本歴史地名大系15 新潟県の地名」(平凡社)。

 先ず地形。その部分をそのまま転載する(読みやすいように段落変更)。

   黒姫山より発する鵜川(うかわ)が河谷平野を形成しながらほぼ北流し
  柏崎の平野部に出て日本海に注ぐ。
   鵜川との間に黒姫山から北に延びる丘陵を挟んで東方に
  ほぼ並行するように鯖石川(さばいしがわ)が北流し、
  これも河谷平野を形成しつつ刈羽平野に出て日本海に注ぐ。
   途中右岸へ長鳥川(ながとりがわ)・別山川(べつやまがわ)を
  合わせる。
   鵜川・鯖石川は河口部で、7~8メートルの柏崎砂丘によって
  しばしば堰止められ、流路が変更している。
   河口部の旧柏崎町は砂丘上から東に向かって発展した。

 この「旧柏崎町」が、現在の柏崎市のいわば中心、そこで「本町」の名があるものと思われる。
 同書によると、「柏崎町」は日本海に鵜川が注ぐ河口に発祥した町で、その名はモチガシワの木が群生する岬の意という。北陸道の宿駅、日本海海運の港として発展。陣屋が設けられているが、領主はたびたび変わっている。

  [註] 北陸道:佐渡国の国府に通じる古代の官道。
      近世までは山中を通る道であったらしいが、
      近世には海浜沿いに変る。

 地内には、真言宗五、禅宗三、法華宗二、浄土宗四、浄土真宗七、時宗一の多数の寺々があり、円通寺は真言宗の寺院の一。上掲の航空写真の範囲内でも五つの寺がある。
 つまり、栄えた町の人びと向けに競って各宗派の寺院ができた、ということなのではないだろうか。

 寺院だから、ほぼ似たようなつくりのはず。「耐震の専門家」の解説のような、古く、瓦屋根で、壁が少ない・・が倒壊の理由であるならば、大半の寺院が倒壊してもよいはずだが、そうではない。上の航空写真の中の、円通寺以外の寺院には、被害がないようだ。だから、「理由」を、そのような点だけに絞ることはまちがいだろう。
 円通寺の北隣は、数階建ての駐車場ビルらしい。一帯は深い砂質地盤。ことによると、その工事によって周辺地盤に変化が生じていたことが影響したのかもしれない、とも思う。

 いずれにしろ、素直に、何が倒れず、何が倒れたのか、それを見てこそ、「科学的」調査というもの。
 「専門家」には、先入観を捨て、是非そういう態度で調査をしていただきたい、と思う。そして、その報告を期待する。
 ただし、阪神・淡路の際の報告書のような内容ならば要らない。結論を勝手に出してくれなくてもよい。単純に「事実」を伝える生の資料の開示で十分(その際、被災建物だけではなく、隣接の建物はもちろん、無被害の建物も含め、一帯の状況を、地図なども含めて示さないと、片手落ち)。

 いま私が見たいのは、地震後の一帯の航空写真。得るところが多いのではないかと思う。
  

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