日本の建築技術の展開-9 の補足・・・・細部は簡単!しかし・・

2007-04-03 10:11:33 | 日本の建築技術の展開

[註追加:11.19AM]

 南大門の各部の納まりが「文化財建造物伝統技法集成」(文化財建造物保存技術協会刊)に載っている。上掲がそのコピー。
 よく見ると、驚くほど簡単な納まりであることが分かる。

 柱頂部と「大斗」は、通常は「太枘(ダボ)」で取り付けるが、ここでは「頭貫(かしらぬき)」の天端を柱の頂端より4寸高く据え、その分「大斗」の底を十字形に欠き込み設置して固定している。それゆえ「太枘」はない。この方が確実かもしれない。

 「貫」は、同じ高さで柱を直交貫通する。交叉する「貫」は、交差部を半分ずつ欠きとり、柱内で噛み合わせ、孔の隙間に楔を打つことで噛み合い、柱と一体になる。孔の大きさ:丈:は、噛み合わせ分だけ、余裕:逃げが必要。
 「貫」を継ぐ場合は、端部を下段の図にあるように鉤形に加工して(丈、幅とも材の1/2)柱内で噛み合わせて継ぎ、「楔」で締めて固める。
 ともに、一見面倒で難しそうに見えるが、よく見るときわめて簡単、しかも理に適っている。噛み合って楔で締められれば柱と二本の「貫」は、ほぼ一体になる。

  註 「頭貫」は「貫」ではない。

 下段右上の写真は、単材に「添え木」をして軒の反りを造っている箇所。従来なら、一木から造りだしたにちがいないが、当時、大寸の材の確保は難しくなっていたからと考えられる(奈良時代の末ごろには、すでに、近畿周辺で材を確保することは難しくなっていたという)。
 東大寺復興のための木材は、遠く山口あたりから取り寄せ、その海上輸送などをも含め、一切の手配をしたのが重源という。

 右下は、桁の継手。「目違い」だけの簡単な継手。桁の載る相手がしっかりしていれば「鎌」や「蟻」は不用という考えだろう。

 かなり綿密に計算された計画でありながら、やりかたは大胆。しかし、理屈は通っている。

 この建物の構築で、一番手がかかったのは、材料の手配もさることながら、太い木材:柱を貫通する孔を穿つこと、そして、あの長い柱を立ち上げることだったろう。今なら機械があるからなんて事はない。小さな建物でもアームの長いクレーンが入る。

 しかし、これも機械があり簡単なのに、「貫」工法は行われなくなった。
 それは、1950年制定の建築基準法が、「貫」の効能を認めなかったからだ。
 10数年ほど前から「貫」を認めるように変ったが、それはあくまでも耐力壁の下地としてであって、本来の「貫」の効能が認められたわけではない。

 今も、市場には「ヌキ」と呼ばれる材が出回っているが、それは正味厚さ14mm程度の薄い板のこと。こうなったのは、「貫」が構造材として使えなくなってからのことだ。かつて、「貫」に使われた材の寸面は、近世の農家や商家、武士の普通の住居建築でも25~40㎜×90~120mm程度はあった(厚さは柱の太さによって異なり、大体柱幅の1/4~1/5の厚さ。南大門では、柱径の1/4はありそう)。
 ところが、改変された法令の小舞土塗り壁の《貫》は、なんと15㎜でもよいことになっている(105㎜角の柱で1/7しかない!)。これでは、単に小舞の下地であって、「貫」の効能は認めていない証である。
 
 これまで何度も触れてきたが、今の「理論」で解析ができないからと言って、「本来の貫の効能」を無視・黙殺するのは科学的(scientific)ではない。南大門は、建設当時の材のまま、800年以上にわたり、無事に建っているのだから。
 先ず、この「事実」の正当な認識から始めよう。

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