文言

2011-03-26 18:21:39 | 専門家のありよう


客観的に文章を書く、というのは、普通、事態・状況を、先入観を持たずに、あるいは私情を交えずに、描写するというような意味と考えてよいでしょう。
しかし、一見客観的に見える文章が、実は「為にする」ためのものである場合があります。

今日、次のようなニュースが伝えられていました。例の、原発事故現場で健康に差し障る被爆者が出た件についての東電の「報告」です。

  「1号機で高い線量が出た情報が現場全体に伝わり、注意喚起していれば
  今回の被ばくを防げたのではないか。
  情報共有が甘く反省している」


たしかに、状況を、まるでドキュメンタリーのように「客観的に」描写しています。

だが、ちょっと待ってください。
「情報が現場全体に伝わる」には何が必要か?
「情報を伝える」という作業です。この作業なしに、情報が伝わるわけがない。

では、この事故の場合、「伝えるのは誰か」?
現場を遠くで見ていた人?空から見ていた人?TVを見ていた人?・・・そうではない。
「高い線量が出た」ということを知っていた人です。
それは誰か?
東電(の現場担当者)です。

もう一つ、同じことが「情報共有が甘く・・」というところにも見られます。
「情報共有」は、「情報」を知っている人が、知らない人に伝える、という作業がなければ成り立ちません。
誰が「情報」を知っていたのか?
東電(の現場担当者)です。

つまり、この東電の「報告」は、
「現場の線量が危険なほど高いという事実を、知っていたけれど、現場作業者に伝えなかった」というきわめて簡単な文言で済むのです。

なぜ、このような もってまわった言い方をするのでしょう。
当然、「わけ」があります。

こういう文章のつくりかた、書き方は、工系の人たちの文章に多いように思います。

  今日は触れませんが、いつも私が引っ掛かる語があります。
  それは「評価」という言葉。
  たとえば、東電のHPにある「津波対策」の文言にもあります。
    原子力発電所では、敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、
    過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を
    数値シミュレーションにより評価し、・・・

この語も一見「客観的」に見える語です。
なぜ、この語が頻繁に使われるようになったのか?

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