とり急ぎ・・・・災害防止には木造建築禁止が一番?!

2010-08-19 20:37:08 | 建物づくり一般


我が家の前にある藪。
以前は柿木畑。実生のシュロがあり(もしかして、持ち主が植えた?)、そこにカラスウリとヘクソカズラがからみついています。
それでも毎年シュロは確実に成長しています。これが自然界のエネルギーです。
   *****************************************************************************************

[註記追加 20日7.00][追加 20日 11.53][語彙訂正 21日 11.13]
ケンプラッツのニュースで、私はよく知りませんが、木造建築をダメにした一つの原因は、日本建築学会だ!と明言したあるコミックが話題になっているそうです。
建築学会も、捨てては置けぬ、沽券に係わる、というわけで、「止せばいいのに」、下記の「解説」をホームページで掲載しています。

http://www.aij.or.jp/jpn/databox/2010/20100726-1.htm

なぜ「止せばいいのに」と言うか?
端無くも「本性」が出てしまっているからです。

これは、1959年秋の伊勢湾台風の直後、その年の建築学会の大会で、500名ほどの「有志」が集まって出した「決議」のようです。

ホームページは次のような書き出しで始まっています。
「本会が1959年9月の伊勢湾台風による甚大な被害の直後におこなった『建築防災に関する決議』において、火災、風水害防止のため『木造禁止』の決議をしたのは歴史的事実ではありますが、決議前後の状況と切り離されて『木造禁止』だけが一人歩きしますと、『木造禁止』の意味および本会の活動に対する誤解を招くことになりますので、・・・・」

この台風では、15万棟を越える被災家屋があり、そのほとんどが木造であった・・・、そこから「木造は災害にはダメだ」という「結論」が「導き出された」のだと思われ、事実、そういうことが解説にもあります。

   註 「短絡的」という語があります。
      この方がたの対応は、まさに、「短絡的」の見本です。[註記追加 20日7.00]

よく考えてみてください。
伊勢湾台風が通過した地域には、いったい、総計でどのくらいの家屋があったのでしょうか。おそらく、はるかにその数字を上回る家屋があったはずです。つまり、その数字をはるかに上回る数の木造建築が無事であった、ということです。

   そしてまた、有史以来、台風は、頻繁に日本を襲っています。
   その間に建てられた建屋は、すべて木造のはずです。
   それが、木造ゆえに、壊滅したのでしょうか。
   そんなことはありません。
   そういう災害に如何に備えるか、人びとは「知恵」を培っていたはずなのです。
   これも、立派な「歴史的事実」。
   木造がダメなら、とっくに日本には人が住めなくなっていたはずです。
   そんなことはない。これも「歴史的事実」。
   そこに「知恵」を見つけたのは人びとなのです。
   学会の方がたは、「知恵」を見抜きましたか?
   頭からバカにしていませんか、人びとを。

そのとき、scientific に考えるならば、
では、その15万棟の木造家屋は、どういうところにあったのか、
無事な家屋はどういうところにあったのか、
と考えなくてはなりません。そのように私は考えます。
私の知る限り、被害を蒙った家屋は、ある地域に集中しています。つまり、かつての人びとならば決して住み着かない場所です。低湿地です。

私は、そこに住み着いた人びとが悪い、などと言っているのではありません。
そういうところにしか住まいを設けられない人びとがいたのだ、そうせざるを得ない社会だった、ということを言っているのです。
建築学会の偉い方がたは、そのことについて、そういうところは、危険なのだ、と言ってきましたか?住むべきではない、と言ってきましたか?助言してきましたか?そういうところには住むべきではない、という「都市計画」を諮りましたか?

そうではないはずです。
建築学会をはじめとする偉い方がたが言ってきたことは、そういう低地などではベタ基礎にしなさい・・・などの施策だけだったのではありませんか?
たとえば、東京でも、環状8号沿いにグリーンベルトを設けるという昭和初期の構想は、1960年代だったと思いますが、あっさり廃棄されます。そのとき、それに「抗議」した建築学会の「偉い方がた」はおられましたか?
むしろ、グリーンベルト撤廃に加担したのは「偉い方がた」だった、のではないですか?

つまり、建築学会の偉い方がたの目は、言葉は悪いですが「近視眼的」に過ぎ、前後左右の見通しが悪くなっているとしか思えません。「日和見」です。「定見」がない。
一言で言えば、scientific とは縁が遠い人たち。

今、木造建築の振興のために学会は努めている、と解説は言います。
しかし、かつて、公共建築の非木造化を推奨したのは、紛れもなく建築学会です
学校建築の非木造化を奨めたのは建築学会、手のひらを返したように木造の奨めを説くようになったのも建築学会・・・・
そこに「定見」がありますか?これは「日和見」の典型です。これが偉い人たちなのです。
   註 この点については、資料を基に、下記で書いています。
      http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/3b6f3e8a95496606517aa2ed5bf578ab
      これは、下記シリーズの一部です。[語彙訂正 21日 11.13]
      http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/b9957b5eb2065b38dbc67fdae5ece87d[追加 20日 11.53]

こういったことを、端無くも、今回の「事件」への対応で、「本性」を示してしまったのです。《止めとけばよかったのに・・・・》。

学会という「裸の王様」を、偉い人たちに気を遣うまわりの目を畏れずに、「彼らは裸だ」と堂々と言ったこのコミック(を書いた人)は、大したものだ!と私は思っています。物書きはこうでなければならない、とさえ思います。
   *****************************************************************************************

本題の方は、もう少し時間がかかります。週明けかも・・・。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« とり急ぎ・・・・「沈黙の春... | トップ | 工事大幅遅延中です! »
最新の画像もっと見る

建物づくり一般」カテゴリの最新記事