ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育、第208号、話し合いのない社会

2009年05月30日 | カ行
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 学校や教師に対して生徒の保護者が「無理難題」を言うそうです。それがかなりひどいのでしょう。朝日新聞が取り上げたところ反響があったとして又07月10日に特集していました。

 もちろん教師側の非を責めるものと保護者側の非を責めるものとの両方が載っていますが、どちらも自分の主張に合った事実だけを根拠として述べています。

 こういう問題に対する私の基本的な考えを述べます。

 第1に、未成年者の教育は家庭と学校と地域社会の3者が協力して行うものである。

 第2に、組織はトップで8割決まる。

 第3に、学校教育は個々の教師が行うものではなくて、校長を中心とする教師集団が行うものである。

 第4に、問題があれば、関係者で話し合い、それぞれの規則に基づいて処理するのが民主主義である。

 さて、この基準を適用して考えてみましょう。特に学校側のトップの意見を検討します。朝日紙に載った埼玉県の或る小学校長(56)の意見は次の通りです。

- 保護者の批判は教師の日々の言動や指導力不足など多岐にわたりますが、うわさによるものが多くあります。複数の保護者からセクハラの苦情が寄せられたことがありましたが、実は子どもが「先生いじめ」でうその話を親にし、それが親の間で広まった結果でした。多くの教師は一方的な攻撃を受けると自信と意欲を失います。大切なのは事実を把握し、問題に取り組むことです。 -

 これは最後に「大切なのは事実を把握し、問題に取り組むことです」と言っていますが、それが実際にどういう事なのか書いていませんし、自分の実践の報告もありません。こういう書き方しかできないのがそもそも校長として情けないです。

 私の提案は、日頃から学校の方針や活動を保護者や地域社会に知らせ、意見や批判も聞いて話し合い、その話し合いも報告するようにしておく、です。今ではインターネットという武器がありますが、古典的な紙による通信も重要だと思います。

 しかるに、その紙による報告(主として「学校だより」)が内容の乏しいものになっていますし、何よりも「議論のない通信」でしかありません。これでは問題が起きたとき、対処できないでしょう。なぜ議論がないかと言いますと、校長が自分の学校運営に対する批判を聞くということをはっきりと言っておかないからだと思います。

 愛知県小牧市の教育長は自分の考えを積極的に発表する人ですが、07月22日付けの「教育委員だより」でこれを取り上げています。

 大阪大学の小野田氏が日本教育経営学会で発表されたこともこういう問題が取り上げられるようになった機縁ではないかと言っています。又、平成14年には『子どもより親が怖い』という本も出ていると紹介しています。

 そして、肝心の対策についても、この本の提言を紹介しています。曰く「親を変えるのはあきらめましょう」「目の前の子どもで勝負」「学校でできることを精一杯やろう」「保護者との人間関係づくりに積極的に打って出よう」。

 結論として「満点の教師や親はいないことを前提に、言うべきは言いながらも、協力し合うこと以外に方法はありません」と結んでいます。

 この程度の考え方しか出来ないような教授や教育長ではもの足りません。

 教育長のするべきことは、第1に、上の4点を確認し、各学校長に指導性を求めることです、第2に、保護者から出された「無理難題」とその処理を報告させて、校長会で本音を出し合った議論をするように指導することです、第3に、必要な場合には、PTAの会長たちや自治会長たちとの話し合いの場を持つようにイニシアティブを取ることです、そして第4に、それが難しい場合には県知事や市長や町長にリーダーシップを求めてそういう場(議論の場)を作ってもらうことです。原則として、全て公開しつつ進めた方が好いと思います。

 わが町の中学校の教頭が、自分の娘の通っている小学校のPTAの副会長になったようです。PTAの「通信」に一文を寄せていました。保護者の問題を指摘したものですが、その最後の方に次の文がありました。

- 昨日(7月14日)は、私の学校〔この人が教頭をしている中学校〕の開放日だった。

 ガムをかんでいる保護者、携帯電話のメールに夢中になっている保護者、子どもはそっちのけでうわさ話に興じている保護者。

 この小学校〔この人の娘さんが通っている小学校〕の参観会では見られない光景であり、これも様変わりである。 -

 これも教頭の発言としてはおかしいと思います。学校の参観会のことは校長に責任があると思います。まずこれが分かっていないようです。

 そもそも校長に意見を言ったり、話し合ったりする雰囲気がないのでしょう。初めから校長の学校運営を批判的に検討する習慣なり姿勢がありません。これでは民主教育は不可能でしょう。

 私がどうしているかを報告します。

 教師としての私は、第1に、最初の授業で「授業要綱」を配ってルールを説明します。その中に、私の授業に不満ないし疑問を持った場合の対処について書いてあります。

 「この授業について、根本的に間違っていると思う場合は大学と相談して下さい。根本的には肯定できるが部分的に改善してほしい点があるという場合は、アンケートに書くとか、小テストの際に書くとか、メールで伝えるとかして下さい」。

 第2に、今年もそうですが、授業内容ではなく、私の態度とかやり方とかの形式的な批判が出ることがあります。昨年から、「講師の話す口調がきつくて、怖い感じがする」という意見が出ています。

 こういう時は、全体の問題にします。アンケートの時に皆の意見を聞いた上で私見を述べます。今年も先日そうしたところです。

 第3に、親との話を奨励します。夏休みの宿題にはいつもの通り「親及び他の多くの人と話した上で、組織はトップで8割決まるという講師の考えについての自分の意見をまとめよ」というのを出しました。

 第4に、「言いやすい人にだけ言う」という卑劣な態度とか、根本を問題にしないで派生的な問題を論じる間違いとかは適宜、指摘します。

 教科通信を出しているからこそ、これも可能なのだと思います。

 次に親としての私、または地域社会の一員としての私はどうしているか。学校とのやりとりは自著などにも発表してきました。全体として、学校(主として校長)と関わるほど疑問が大きくなっています。かつて校長を訴えたこともあります。

 昨年度は自治会長をしましたので、又新たな事がありました。その一部は「私の自治会長」で報告しました。まだ決着が付いていない事もあります。その内、報告できるといいと思っています。

 (2005年08月06日発行)