日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

忙しいけど、師走っぽくないです。

2009年12月04日 | 夫との日々
最後まで悩んだ草壁塾の、
欠席連絡をした数分後、
夫やケアマネさんからの電話連絡を受け、
気がつけば、義母が入院することになっていた。

草壁塾どころか、仕事もキャンセルやら調整やらを、
余儀なくされて、
竜巻にでも巻き込まれたかのようだ。

胸椎の圧迫骨折で、命に直接触れる、
重い入院ではないけれど、
すべてにおいてビギナーな私には、
すべてのことが重い。

     ★

義母が入院した翌日、
入院の準備が不十分だったため、
夫と一緒に、義母の家に
荷物を取りに行ったときのことだ。

家に到着して、
持って行く荷物をチェックすることや、
掃除などをすること、
その段取りで、頭がいっぱいいっぱいの私を無視して、
夫が真っ先にやったこと。

驚いた。

彼は、
17年前に亡くなった、
父親の仏前に行き、
お水の入れ替えをし始め、
蝋燭をともし、
チーンと鳴らして、
「お母ちゃんを直してください」と、南無南無しはじめたのだ。

普段、義母の家に来たときは、
仏前に手を合わせないし、
息子に話しかける、
生きた母親にも、生返事しかせず、
TVばかり見ている人が。

彼という人が、
特別に、そうなのかもしれないが、
反射的に、
「男の人って……、よわいかも……」
と、全世界の男子に対して、ドンビキ。

これは……、これから迫ってくる、
ひとつひとつの、
重たい選択や、決断は、
私が賽を振らなければならないのではないか。

彼に頼られることはあっても、
彼を頼ることはできないのではないか。

そんな恐さを予感させる姿だった。

夫の南無南無は、亡き父のいる天を経由して、
私の双肩に。

義父にまでも託されているような二重の重さになって、
のしかかってきた。

あぁ、夫よ。
この家の中を見て。

食べ残されている、スーパーで買ったお弁当。
散乱している、洋服。
放置されてしなびた、白菜。

みんなみんな、掃除されたがっているよ。

「Yさん。とりあえず、ひとしきり祈ったら、
蝋燭は消してもらえる?
掃除するんだから、危ないやろ?」

正しいことを言ったつもりだが、
夫はその時、
決していい顔をしなかった。

こんな風に、今年の師走が始まり、こんな風に、師走が駆け抜けている。

     ★

病院からの電話というのは、
容赦なく、絶対的なものなんだな。

「お母さんの下着がありません。持ってきてください」

と、言われれば必ずもって行かなければならないし、

「お母さんの行きつけの病院の薬をもらってきてください」

と、言われれば必ずもって行かなければならない。

その度に、
予定を全部変えなければならないことが、
とても苦痛で。

また、
義母の排泄物の付いた下着を洗うのも。

最初の頃、
義母は痛みに耐えかねて、
トイレに行くのも我慢してたので、
粗相をよくした。

あぁ、汚物って、岩のりみたい。

岩のり……。

これ、五行歌にしたらどうなるだろう。
嫌だ嫌だだけではなくて、
ちゃんと人に読めるものにするには、どうすれば。

読んで、
笑えたり共感してもらえたりするには、
どこをどう、自分の感じているものを、
花咲かせればいいだろう。

臭いで理性が木っ端微塵になるたびに、
歌という花の種が散らばる。

真っ最中は出来なくても、ちょっと時間が空いたりすると。
紙に言葉を乗せなくても、頭の中でそうやって。

あまりにも、使える下着がすぐ無くなって(下痢気味でもあったからね)、
泣きそうになりつつ病院通いをしていたら、
尿漏れパッドとリハビリパンツの存在を知って、
感動した。

きっとこれらを発明した人は、
「汚いものは、汚い」と「世話はちゃんとしたい」という矛盾を
両方とも抱えて突破口を開いたんだろうな。

精神論とか、常識とかに縛られて、
どちらかに偏って、我慢することなんてせず。

その正直さと、建設的な方向の先に、尿漏れパッドとリハビリパンツ。
素晴らしい。

言葉の向こうに、人の想いがあるのなら、
発明の向こうには、人のたくましさがある。

裂けていきそうな感受性と洞察力と観察力で、
全ての汚さを受け止めなければ。

せめてそれだけでも、しなければ。

     ★

義母の圧迫骨折は、順調に治っている。
義母も退院に向かって、意欲的にリハビリを始めたが、
私とケアマネさんは、
お医者さんと話し合って、もう1ヵ月、
入院を延長してもらった。

義母が一人暮らしであるためと、
住んでいる家の造りが、老人向きではないからだ。

義母の落胆は大きかった。

なまじ先日、
仲良しのご近所さんがお見舞いに来てくれて、
里心(っていうのか?)がついていた直後でもあって。

この入院延長で、
義母が私に対しての感情をよく思わなくても、
それは覚悟の上なのだが、
延長している間に、
考えなければならないことや、
重い決断をしなければならない。

今の義母の家に、義母をひとりでこれからも住まわせるのか?
単純に考えて、同居をすれば、全てが丸く収まるのか?
どこか別の、今の義母の体にあった家に引っ越してもらうのか?そのお金は?
特養に入れるのか?いやいや、介護認定が無理なのでは?

すべてのものを考えるときに、
一番優先しているのは、本当に義母のことか?
それとも。

突きつけられて、追い詰められて。
突きつめていく。追い詰めていく。

とりあえず、来年になったら、介護認定の為の調査に、
市役所の人が病院に訪れる。

夫よ、
神や仏は、生きている人には、無力かも。
生きている人には、生きている人しかないのでは?

ひとつひとつ、歩みを進めては、考えをまとめていくしか方法はない。

     ★

そんなこんなで、自分の家の事は、なにひとつ出来てません。

綺麗な新品の床の隅には、髪の毛の絡まったホコリが。あぁ……。

年賀状、元旦にお届けすることは出来ないと思います。

あしからずです。

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