日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

『新・平家物語』(吉川英治・講談社吉川文庫)

2011年05月19日 | 五行歌以外の文学な日々
去年から1年ちょいかけて、
吉川英治著『新・平家物語』を、読了した。

何故ならば、『平家物語』には、「崇徳院」という人が、
登場するだろうと思っていたから。

知ってます?「崇徳院」。この和歌なら知ってます?

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞおもふ

百人一首にあるんだけれど。有名なほうだと思うんだけれど。

私が初めて、和歌とも知らずに出会った和歌だ。
小学校1年生の時に、漫画で。

簡単に説明すれば、
その漫画に描かれた人たちの恋愛が、
「悲恋」だったっていうことを表す画に、
この和歌が添えられていた。

「和歌」とか「恋歌」とか「悲恋」とか、
言葉は知らなくても、
その短い言葉は、そういう場面を象徴していることが、
子供ながらにイメージできた出会い。

その解釈はずーっと、2006年の明石に住んでいた頃ぐらいまで、
疑うことなく固定されていた。

ところがところが。

ある女性の解釈が、それを一変させた。
白洲正子さんだ。

偶然に購入した白洲正子著『私の百人一首』(新潮文庫)で。

      ★

確かに、この歌は、恋歌としての解釈が、
一般的な解釈だ。

だけど、白洲正子さんは、

「崇徳院の悲劇の一生を思う時、
恋の歌に寄せて(『女に逢うことではなくて』)、
『世に逢うこと』を切望されたのではあるまいか。
緊迫した詞(ことば)の激しさに、私はそういうものを感じる(カッコ内註・稲田)」


といい、崇徳院の一生を簡単に説明してあった。

それを読んだ瞬間、
今までの自分のこの歌の解釈が、
ガラガラと音を立てて崩れていった。

歌の印象が、
見る間に、ドス黒く染まった。
ドス黒く染まって、いきいきとした。

うん……。ドス黒いけど、いきいき、ピチピチ。

こういう別の解釈が与えられて、
目からウロコが落ちる感覚は、
初めての感覚ではない。

歌会で、作者から歌の話を聞いたときの、
目からウロコが落ちるときの感覚と同じ。

同じなんだけど、この場合、作者が目の前にいなくて、聞くに聞けない。

     ★

歌っていうのは、半分は読んだ人のものになる。
残りの半分は、その歌を世に出した作者へのリスペクト。

つまり、読んだ人の解釈が、
作者が詠んだ時の思いと全く違ってても、
尊重する気持ちさえあれば、感動さえすれば、
その解釈に、正しいとか、間違いとか、
そんな二者択一を迫るものではないだろう。

だが、作者について何も知らずに、
その歌の真に放つものに触れてしまったら、
作者に近づくしか、その謎を解くことは出来ない。

だから、思ったのだ。
作者の言葉を聞けないなら、せめて、
説明ではなく、もっと肉厚のある文章で教えてほしい、と。

「崇徳院」という人を。人生を。

で、多分、『平家物語』あたりに載っているんだろう、と、
漠然と、密かに、目をつけて。

でも、そのデカすぎる物語に、しり込みをして。

2000年代も、はや、10年を過ぎてしまい……。

で、読み始めれば、あっけなく、
二巻目で、非業の死を迎えてました。「崇徳院」。はやっっ!

「しまった……。『平家物語』じゃなくて、『保元物語』って本を探せば、
コト足りてたんじゃんか……」

と、後悔したものの、頑張っちゃった!
「崇徳院」を横に置きつつ、1年かけて、読破しちゃった!
ホメテ!ホメテ!(笑)うっひょひょ~いっっ!!

……いけない、いけない。ズレてしまった。
気持ちを戻して!戻して!

そんでもって、
「保元の乱」から、8年後、
流された先の讃岐で憤死した、
「崇徳院」の人物像とは。

その和歌の印象は。

     ★

一言で言うと、
「この人は、何のために生まれてきたんだろう」と、思うくらい、非業の人生だった。

生まれた時の親たちの人間関係、そして、
成長と共に変動する彼の地位には、
裏で、ある捩れた説(愛憎……、と言ってもいいかな)があり、
吉川英治氏の小説のフィクションも、その断定されていない捩れた説を
真として、描いていて、
それに私が、影響を受けていないわけがないのだが、

和歌から立ちのぼってくる、ピチピチとしたあのドス黒さは、
よりどころのない真っ暗なところから、光に触れようとするような、痛みなんじゃないかと感じる。

そこに原因を求めたほうが、この歌から感じるものに、私の中で納まりがつく。

逆に、なんで、この歌が、恋歌として位置づけられているかというと、
初出のところで(『詞花集』)、恋歌っぽい前提(序句ってやつでんな)がチラッとサラッと、
あるからのようだけど、

どうも、この人の恋愛のエピソードが、現代まで言い伝えられてないせいか、

「相手は、どこの姫やねん。
なんで岩砕くまで、年月かけてでも、なんとかしようとするねん。
そこまで忍ぶ相手が、なんでここまで、この歌のカヤの外やねん。
どこにも伝聞されてないって、なんかおかしないか?
この和歌は、こんなに知られているのに」

と、ツッコミたくなるのだ。

晶子なら鉄幹。ロミオならジュリエット。
和泉式部なら、在原業平なら、あの人とか、この人とか、……歌ごとに違ってても。

伝えたいリアルな相手がいる、伝わって欲しいリアルな相手がいる、
と、そんな前提を考えずに、
ただ、「崇徳院」という人物の、願いというか、希望というか、
漠然としたものに対する、
ただのピュアな思いのカタマリの歌だと受け止めたほうが、
なんだか、しっくりくる。

まぁどこまでがんばって、近づこうとしても、
所詮は、私の主観なのだけれど。

ただ、作者の背景を全く無視して、
「恋歌」という前提で、
せつなさや儚さの感覚を感じ取るよりは、
「崇徳院」は喜んでくれるんじゃないかと思う。

そう詠まれたほうが、
自分の生まれてきた意味も、
すべてのものを恨み、憎しみ、憤死した、この世における自分の無力さも、
ほんのちょっぴり報われて、
草葉の陰で、「ぐっすん」って、鼻をすすってくれるかもしれない、と思う。

自分の存在を慰められるのではないか、と。

だってね。

     ★

『崇徳院』って、古典落語でもあるんだって。

それも、「崇徳院」の人生そのものには、全く触れず、
その歌だけが、恋歌として登場して、
若い男女をハッピーエンドに導くためのアイテムになってたんだもの。

千年ものあいだ、読み継がれた和歌。

優れている歌だから、
作者の暗黒の人生とは、全く切り離されて、
落語や漫画の、キラキラとした、明るくて、ちょっと感傷的なところから、
知る人が現れる。

それが悪いとは、全く思わない。

でも、ひとりでも、和歌を通して、
「崇徳院」という人の、
いくさの道具にしか扱われなった人の、
悲しい人生に思いを馳せてあげてほしいと願う。

思いを寄せるだけで、きっと供養になっているから。

「まだ、この世で、菅原道真っぽいことしてる?してるのなら、もうやめてね。
髪も切ってね。爪も切ってね。成仏してね」

詠み継がれていく和歌ならば、
そんな風に思う人が、数百年後にでもいいから、また現れてほしい。

少なくとも私は、白洲正子さんからバトンをもらって、
こんなかたちで、渡したからね。

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