日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

田口ランディ『根を持つこと、翼を持つこと』(新潮文庫)

2007年06月27日 | 五行歌以外の文学な日々
(月)にもチラッと書いたけど、
田口ランディさんの
『根を持つこと、翼をもつこと』(新潮文庫)という
エッセイを読み終えた。

私は最初、
田口ランディさんを、男性だと思っていた。

というのも、
NHKの『プロジェクトX』の、
ナレーターが、
田口ランディさんだと思っていたから。

ナレーションや俳優もしながら、
小説まで書く。多彩な人だなぁ、と。

数年前の東大阪歌会で、
当時北里英明君が読んでいて、
「稲田さんと通じるところがある文体(思考?どっちだったかなぁ……)ですよ」
と、オススメされ、
「田口ランディって、『プロジェクトX』のナレーターでしょ?
多彩だよねぇ」
と、つぶやいたら、
「女性やから。それは田口トモロウ」
と、楽人さんに冷静に突っ込みを入れられて、
ようやく人並みの認識になり。

まぁ、そんなテンネンなエピソードと、
以下の本題は、関係ないんだけれど。

信じたい。

同じ勘違いをしている(していた)人が、
この世に2,3人はいることを(笑)

     ★

印象に残ったのは、
「呪術と『LET IT BE』」というコラム。

詳しくは、書かないけれど、
あるイベントで、ある女性が、
田口さんに唐突に「あせらないで」と言った。

知り合いでもなんでもない女性が、
手を握って、「あせらないで」。

その「あせらないで」という言葉が、呪詛。

田口さんは、その女性に殺意を覚えた。

で、再び、その女性を見かけ、
田口さんは、彼女を呼び出して、
その失礼さを諭した。

その女性は、田口さんの怒りの意味が理解できない様子で、
形ばかりの謝罪をした。

しかし、立ち去る間際、また「あせらないで」とつぶやく。

田口さんは逆上した。
「殺したい」と本気で思った。

しかし、たまたま、近くにいた、
友人の古代史、古神道などの研究家がいて、
ある呪文を切ってくれて、ふっと気が軽くなったのだそうだ。

「あせらないで」何気ない言葉。でも呪術。

同じようなメにあったことが、一度だけある。

大学院に入ったときに、言われた、
ある文化人類学の先生の一言。

殺意は芽生えなかったけど、「死にたい」と思った。

その先生に、別に他意はなく。

約、10日ぐらいおかしかった。
どうおかしかったかは、説明できないのだけれど(記憶がない)、
とにかく、人生の中で、
あれほど、空白な日々はない。

日記もつけていない。
いや、一言、「死にたい」と書いた気はする。

一体どうやって、立ち直ったのかわからないけど、
立ち直ったと同時に、その一言も忘れてしまった。

意味不明な一言ではないけど、
私の根幹を揺るがした一言。

できれば、一生、そんな一言にはもう、巡り合いたくはないと
思っている。

でも、もし、
そんな一言を言われ、
かつ、呪文を唱える、
古代史や古神道の研究家がそばにいないときは(笑)、
声に出して、
自分の信じている言葉を言えばいいんだそうです。

田口さんにとっては、その時思い浮かんだのが、
「LET IT BE」なすがままに。

瞬間に思い浮かんで。

     ★

言葉というものを、神秘化してみるのは、
好きではない。

だが、それは、
個人的に私がそれを取り扱う際の心がけのようなものであって、
読み手がそれを「言霊」にしてしまうことがある、と、
認識している。

これも、昔に書いたけど、
歌誌の私の歌を読んで、
「私のことを詠っているんですか?」と、
自宅に電話してきた人がいたという事実があるので、
その思いつめ方を回想すると、
言葉を発する人物の想いとは別に、
そういうのがスイッチになることは、
神秘ではなく、事実として、不可抗力として、理解する。

事故には、遭いたくないが、
この世界で生きている限り、
そんな目に遭う可能性は
常にあるんだという認識と同じで、理解する。

なので、そのコラムに、
そういう、
自分の根幹を揺るがす言葉を誰かに発された時の、
対処方法が書かれていたので、ほっとした。

私にとっては「LET IT BE」ではないだろうけど。

また、それらとは別に、
その研究家という人に対しては、
なんとなく
胡散臭い印象をもったけど(笑)。

     ★

田口ランディさんの文体は、「肉厚」な文体でした。
「骨太」ではなく。

骨の部分は、常に揺らいでいる。
そこを筋肉で補っているような文体。

私の文体(思考)よりも、たくましいと感じました。

好き嫌いはあると思うけど、読んで損ではないと思います。

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