AKIRAがGLAYのメンバーに加わったことでドラムの音も安定し、TAKUROはますますやる気が出てきた。
「絶対、これから1年のうちに曲で答えを出すよ。絶対、頑張るよ」と言いながら曲作りに励んだこともあって、持ち歌がたまってきた。AKIRAが働いていたサウンドステーションで安上がりなレコーディングのパックを売り出したのは、ちょうどそんな頃だった。
●レコーディング決定
「レ . . . 本文を読む
俺(AKIRA)がGLAYに入って3ヵ月目。92年8月からは、赤羽の「LMスタジオ 新一社」から東村山の「サウンドスクエア」に練習場所を移すことになった。
所沢に住んでいたTERU、浦和のTAKURO、田無のHISASHI、板橋のSHINGO、俺は八王子に住んでいたが、とにかくメンバーの中間点ということで、この東村山のスタジオが選ばれた。
スタジオまで片道1時間半ほどかけて通ったが . . . 本文を読む
1992年の9月初旬、神楽坂のエクスプロージョンでGLAYはライブをした。
このライブは、GLAYにとってかなり大きな意味を持っていた。ひとつは、Zinxとの対バン。Zinxというバンドは当時、エクスプロージョンのイチオシのバンドだった。
このイチオシのバンドと対バンを組めるということは、エクスプロージョン側がGLAYの存在を認めたことでもある。
●お別れライブ
AKIR . . . 本文を読む
GLAY号は50年式のトヨタの「ハイエース」で、白いボディに黒のペンキで“GLAY”と書いてあった。
でも、メンバーは洗車をしなかったので、もともと白い色だったのが汚れて灰色になっていた。また、相当に古い車で、修理をしたくても修理をするお金がなく、ダマシダマシ乗り続けていた。
GLAY号は所沢のTERUが住んでいる家の近くに駐車していて、ライブ当日はTERUが各メンバーを乗せて . . . 本文を読む
酒を飲むと人格が変わるのはTERUくんだ。まず目が座ってくる。そして、言葉が乱暴になってくる。短気な振る舞いも出てくる。そんな性格が引き起こしたこんな事件があった。
高円寺の「赤ちょうちん」で打ち上げを済ませて店を出て、JR高円寺駅へ向かっているときのこと。打ち上げが夜の11時ごろから始まり、終わったのが朝の5時。
ぶっ続けで6時間も対バンのメンバーなどと飲み明かしたわけだから、 . . . 本文を読む
GLAYのメンバー5人は酒が強い。
「GLAYの皆さん、一杯如何ですか」と言ってビールを差し出されても、「え、もういいですよ。そろそろもう限界ですよ」などという言葉を、メンバー5人の口から聞いたことは一度もない。
打ち上げが深夜の3時、4時頃になっても、ほかのバンドのメンバーからお酒を勧められると、必ず、「あ、いただきます。どうもありがとうございます、ごちそうさま」と酌を受ける。 . . . 本文を読む
93年3月の中旬、それまで定期的に月1回ほどのライブをしていた神楽坂のエクスプロージョンの社長から、こんな話があった。
「うちでCD出してみないかな。君たちもCDを1枚出すことで、かなり自信がつくと思うんだけど」 ライブハウス・エクスプロージョンは、インディーズのレーベル「エクスプロージョン・レーベル」というレコード会社をもっていた。
メンバーにしてみれば、インディーズにしろ何に . . . 本文を読む
インデイーズのバンドは、だいたい月に2、3回のライブをこなしている。
もちろんどのバンドもワンマンライブが目標であるが、集客力が30人ぐらいであったりすると、とてもワンマンのライブなど開けない。そうなれば、当然2つか3つのバンドとの対バン形式でライブをこなすことになる。
●しょうがない
GLAYのメンバーは、TAKUROくんもTERUくんもHISASHIくんもJIROちゃんも、 . . . 本文を読む
当時のスケジュール帳を見ると、いろんなライブハウスにデモテープを送ったおかげで、確実にライブの本数は増えていた。
1993年2月から、3月、4月、5月、6月と月3本でこなしていたライブも、7月は10日に横浜モンスター、21日が池袋サイバー、22日、市川CLUB GIO、31日、エクスプロージョンと4本になった。
横浜モンスターも池袋サイバーも、デモテープのおかげで出演できた。8月 . . . 本文を読む
93年8月20日、横浜モンスターでライブを開いた時のこと。俺たちがステージに上がると、中年で正体不明の人が肩に大きなビデオカメラを抱え、俺たちのライブ状況を撮影し始めた。
この時はメンバーも、「どうしたんだろう。俺たちのビデオなんか撮って得することあるのかなぁ」という感じで眺めていた。
「ひょっとしたら、俺たちのビデオを撮ってビデオショップに流すのかな?」 TERUがそう言うと、 . . . 本文を読む
GLAYが天国へと登る階段。それはある晩突然、目の前に降ろされた。
それは、忘れもしない1993年10月17日。場所は市川のCLUB GIO。千葉県市川市、総武線市川駅前にある地下のライブハウスだ。その客席に、X JAPANのYOSHIKIが登場したのだ――。
●気合入るメンバー
10月2日の新宿LOFTでのライブを終えると、次のライブは10月17日の市川CLUB GIO . . . 本文を読む
エクスタシーレコードの本社は、恵比寿の駅前近くのオフィス街の一角にあった。
エレベーターに乗る。「うちの事務所は3階だからね。3階で下りて」とエクスタシーのスタッフが教えてくれた。AKIRAがエレベーターで3の数字を押す。3階でエレベーターが止まった。
ドアが開いて一歩足を踏み入れると、正面に漢字で“無敵”と書いてある。事務所の方がちょっと誇らしげに言った。「我がエクスタシーレコ . . . 本文を読む
話し込んでいるうちに、夜も遅くなってしまった。
GLAYと仲のよかったバンドで、ブルーというバンドがあり、そのボーカルのタクくんという子が江戸川区の新小岩に住んでいた。それまで、何回かタクくんの実家に遊びにいったこともある。
そこでAKIRAが、「今日、エクスタシーレコードの関係者と、たぶん契約の話になると思うんだけど、けっこう遅くなりそうなんだよね。よかったら、泊めてくれない . . . 本文を読む
俺(AKIRA)は中学を中退してバンド活動をするようになってから、メジャーデビューすることを第一の目標に頑張ってきた。
しかし、市川CLUB GIOにYOSHIKIさんが来て、その日のうちに、「今度から一緒にやっていこうよ」と契約に似た確約をすると、メンバー全員がエクスタシー・レコードの指示で動くことになった。
しかし俺の心の中では、「なにか違う。これは違うんじゃないか」という気 . . . 本文を読む
デビュー曲『RAIN』のレコーディングをロスでするというのは、1994年早々に知らされた。恵比寿のよくメンバーが使っていた居酒屋に5人で集まることになった。
「今日は、メンバーにとっても大切な話があるんだ」 TAKUROがそう切り出した。
●ロスでレコーディング
それは、エクスタシー・レコードが、GLAYのデビューアルバム「灰とダイヤモンド」のリリースと同時に、メジャーレーベ . . . 本文を読む