当時のスケジュール帳を見ると、いろんなライブハウスにデモテープを送ったおかげで、確実にライブの本数は増えていた。
1993年2月から、3月、4月、5月、6月と月3本でこなしていたライブも、7月は10日に横浜モンスター、21日が池袋サイバー、22日、市川CLUB GIO、31日、エクスプロージョンと4本になった。
横浜モンスターも池袋サイバーも、デモテープのおかげで出演できた。8月に入っても、15日、エクスプロージョン、18日、目黒鹿鳴館、22日、横浜モンスター、29日、エクスプロージョンと4本のステージをこなした。
9月も、10日に市川CLUB GIO、22日、目黒鹿鳴館、25日、市川CLUB GIO、26日、池袋サイバーの4本をこなし、それまで月平均3本だったライブの本数が4本に増えてきた。
ライブの本数も増えていったが、この頃になると、ライブに詰め掛けてくれるファンの数も急激に増えてきた。
●デモテープの持ち込み
それには1つ理由がある。行動派のJIROちゃんが「デモテープを都内のインディーズ・テープを扱っている店に持っていって、売ってもらったらどうかな」 そんな提案をしたのだ。
それまで自分たちのデモテープは、ライブのたびにライブハウスの入口に並べて置き、ファンに帰り際に買ってもらっていた。これでは売れる数にも限りがある。
「そうすればさ、今まで俺たちのステージを見たことない人だって買ってくれるだろうし、ファンだって増えるよ。やろうよ。それをやらなきゃ、いつまでたってもファンは増えないよ」
JIROちゃんがそう言うと、TAKUROくんは、「うん、もしできたらそういうのもいいよね。JIRO、やってくれる?」
何気なくTAKUROくんがJIROちゃんに振ると、JIROちゃんは「いいよ、俺がやるよ。由貴ちゃん、手伝ってくれる?」と私に話を振ってきた。私もそれには大賛成だった。
翌日から即、行動に移った。JIROちゃんは大きなリュックサックに自分たちのデモテープを詰め込むと、背中に背負った。
そして、新宿のエジソン、テイトロックス、目黒のサードステージ、池袋のブランドエックス、ブロンズ・エイジなどの店に直接足を運び、デモテープを置いてくれるようお願いした。
「これ、僕達が作ったデモテープなんですけど、ぜひ置いてください」 リュックサックからデモテープを取り出し、「僕、GLAYというバンドのベースをしてるんです」
こう言うと、店員さんは「あ、本当?ミュージシャンなんだ。ミュージシャンが自分で自らテープを持ってくるなんて、初めてだよ。いいよ、ちょっと聴かせてみてよ」
レコードショップの店員さんは、たいていが音楽好き。音楽談義に花を咲かせながら、GLAYのデモテープを聴いてくれる。
「なかなか、いいじゃん。置いてってよ」 新宿のテイトロックスでは店員さんが気に入ってくれて、「7掛けでいいよね。7掛けで売ってくれるんなら、うちで置くから」と言って、20本ほど一気に買ってくれた。
1本960円のテープだから、1本売れれば600円が入る。20本買ってくれたことで、1万2000円の現金が入った。
他のインディーズ・レコードショップでも、5本、10本と買い取ってくれた。そんなことが1カ月、2カ月、3カ月と続くうちに、テープを聴いたというファンがライブハウスに詰め掛けるようになった。
TAKUROくんは、「自分達で歩いてみるもんだよね。なんかここんとこ、客が2~3割増えたんじゃないかな」とすごく喜んでくれた。
●盛り上がるメンバー
リュックサックの中に、50本、100本というデモテープを入れ、毎月レコードショップを歩いて回る私とJIROちゃん。
スタッフやマネージャー然とした人物が、商売そのものといった感じで持ち込むテープは、レコードショップの店員もなかなか聴いてくれないけど、「僕がべースを弾いているんです」 こう言うと、興味深々で、どの店の店員さんも必ず聴いてくれた。
そうなると、5本でも、10本でも必ずと言っていいほど売れた。
「なぁ由貴ちゃん、やっぱり人間、足で歩かなきゃダメだよ。これ聴いてくれたお客さんが1割でも2割でもライブハウスに来てくれれば、由貴ちゃんが苦労して手売りでチケットまかなくて済むんだから」
そんな話を聞いていたら、私も嬉しくなった。「そうだよね。もう、私に手売りの苦労なんかさせないでよ」と冗談を言いながら、JRや地下鉄を乗り継いで次の店へ向かう。
レコードショップでの評判がいいと、 「俺たち、イケるよな。GLAYの音楽性って、やっぱり間違っていなかったんだよ」と、メンバーも精神的にとても盛り上がった。
【記事引用】 「私の中のGLAY/清水由貴・著(インディーズ時代のスタッフ)/コアハウス」